2025-12-29 11:11:11
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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【みっつ追記し、ひとつ推敲し、その場所を明記しました】 アメリカ軍のインド太平洋軍司令部および太平洋艦隊司令部を訪ねて議論することが、新年は断ち切られる怖れが出てきました


( このチラシをなぜ、このエントリーに掲げたかは、あとで分かります )
▼長いあいだ続けてきた米軍の中枢との直接議論が、新年はできない懸念が浮上しています。
アメリカ軍は世界に展開していますが、その統合司令部のいちばんの中枢は、米国ハワイ州の真珠湾にあります。
日本人にとって一般的には、ハワイは観光の島ですね。しかし世界でもっとも枢要な軍事的要衝の島でもあります。かつて帝国海軍が真珠湾を攻撃した当時と変わっていません。
毎年、5月の連休を活用して、その真珠湾にあるアメリカ軍太平洋軍司令部 ( PACOM / 正式にはインド太平洋軍司令部:Indo-Pacom ) を訪れ、歴代の最高司令官と直に議論してきました。
日本が連休で動きが止まって、こちらの身が自由になり、アメリカはその連休は無関係で仕事として会えますから、5月が最適です。
PACOMのあと必ず、同じく真珠湾にある太平洋艦隊司令部も訪れて、やはり歴代の司令官らと議論しています。
この両司令部で、たとえば台湾有事の問題についても、何度も重大な議論をおこなってきました。
▼まず、民間専門家の時代にこれを始めようとしたときは、PACOMの壁は極めて厚く、高く、門は固く、「民間人など受け容れない」と何度も米政府および米軍から撥ね除けられました。
こうしたとき、日本政府の防衛省も外務省も、助けにはなりません。
おのれのルート、パイプを通じて、粘り強く交渉を続け、ついに壁を越え、門は開かれました。
そして、戦闘艦のマストを模した階段が中央にある司令部の建物に入り、最高司令官室で初めて司令官 ( 当時。現在は退役大将 ) と向かい合いました。
司令官は、アメリカ軍の高位の将軍らしくリラックスして、フランクな様子です。
その脇には、幕僚たちがずらり、司令官とは対照的にやや緊張した表情で並んでいます。当時のわたしは、いち民間人ですから、その緊張ぶりが意外でした。
最高司令官VSいち民間人の直接議論というのが極めて異例だから、というちょっと珍しい緊張感だったのかもしれませんね。
その最高司令官室には、広大な真珠湾を一望する大きな円形窓があります。おそらく抗堪力 ( こうたんりょく ) の高い強化ガラスです。
わたしが米語をふつうに話すのを知った司令官は、窓辺にわたしを招き、親しく真珠湾 ( ほんとうは真珠港 / Pearl Harbor ) の軍事態勢の本質的な意義を、端的に説明してくれました。
そのあと踏み込んだ議論を、たがいの眼を見て、交わしました。
ペンタゴンの当局者によると、司令官は後日、「あのアオヤマサンとは、他にない、非常に有益な議論ができる」 ( 原文は米語。「アオヤマサン」だけは日本語風 ) と評価なさったそうで、これが、大きかったのです。
そこから一気にたがいの信頼感が深まり、歴代の司令官がいずれも後任に申し送りをなさってくださり、国会議員となってからも同様に深い議論ができています。
▼これをやれないとなると、歴代の司令官、幕僚、専門部長らとそれぞれ確実な信頼関係と友情を育んできたのも、無駄になりかねません。
あまりにも僭越な物言いになってしまいますが、ほんとうは、日本の安全保障の深い部分に影響があると考えます。
【 追記の1 】 なぜなら、この議論の機会は、日本のほんとうの本音が米軍の上層部に直にぶつけられ、米軍の側がそれに反論したり同意したり、これもあるがままの意見を言えて、双方の理解が格段に深まる場だからです。
▼原因はずばり、自主出張の資金の枯渇です。
この司令部訪問は、民間専門家の時代はもちろん国会議員になっても、すべて自主出張で実行してきました。
上掲のチラシを見てください。
思えば、長いあいだ、正直に申せばおのれの生活を犠牲にして自己資金を投入してでも、海洋資源を実用化して日本を資源を持つ国にするために、海洋調査、研究、実用化実験そして発信を重ねてきました。
日本政府は、その長いあいだ、あろうことか意図的に海の自前資源の開発を手控えてきたのです。
なぜか。
理由は複合要因ですが、もっとも直接的な理由は、日本を資源の無い国のままにして輸入に頼り、ガス代や電気代を高止まりさせた方が利鞘が大きくて、既得権益が潤うからです。
▼民間専門家のときに、日本海沿岸の知事のみなさんを説得に歩いて「日本海連合」を発足させてから、政府にわずかな変化が生じました。
しかし自治体のなかにも官僚主義が強く、わたしが命名した日本海連合の名の前に、長すぎる名を付け加えたのも、初回のフォーラムをわたしに知らせることすらせず無視したのも、黙してじっと耐えました。
やがて、断り続けた選挙に出ることを覚悟して、国会議員となり、さらに政府の変化が加速しました。
わたしが取り組んできたのは、青山千春・東京海洋大学特任准教授が取り組んでいるメタンハイドレートだけではなく、日本の海にある全ての資源です。
たとえばレアアースについても、内閣府のSIP ( 戦略的イノベーション創造プログラム ) の石井正一プログラムディレクター ( PD ) と東垣 ( あずま・がき ) サブPDと、連携しています。
新年の1月に南鳥島の深海底でレアアースの試掘を本格的におこなうことについて、この年の瀬に石井、東両氏が揃って、議員会館の青山繁晴事務所へお出でになり、あらためて連携を確認していかれました。
▼国際社会でも、わたしが五分野 ( 安全保障、国家危機管理、外交、資源エネルギー、情報 ) において専門性を持つことが理解されています。
しかし、まさか国益のために自己資金でその専門的仕事を遂行しているとは、諸国では誰も想像しません。わたしがお金持ちでも何でも無いからです。
金持ちならざるふつうの男が、おのれを犠牲にしてもなお国がなかなか動かないとは、ありのままに申せば国の恥ですから、わたしは諸国の政府と軍の知友に「自分のおカネでここへ来ているよ」と話したことがありません。
生家は古く続く家ですが、わたしは末っ子で、家を継ぐことがあり得ませんでした。
母から「末っ子のおまえだけは、何にも、家からもらえへん。ひとりで生きていくんや」と、この言葉がよく理解できない幼い頃から、ことあるごとに言われ続けて育ちました。
母には深く感謝しています。
わたしに、古い家だからこその現実を教えてくれたこと、おかげで気の強い子供に育ったこと、ありがたく思っています。
武家の娘の誇りを、没落士族ゆえの艱難を受けて育ったにもかかわらず持ち続けて、厳しく、かつ魂の奥が深く温かく、一方でぼくに「お母さんは歩く矛盾や」と言われるほどフシギな矛盾を抱える母でありました。
父は、先祖から受け継いだ家を守り、明治維新から間もなくにもう創立されたという繊維会社の社長として業界団体の長も務めていました。
西暦1972年の日米繊維交渉の決着を「日本はアメリカから沖縄を買って、その代わり糸 ( 繊維業界 ) をアメリカに売ったんや」と看破しつつ、それでも繊維業界を見捨てるのではなく守ろうと苦しみ抜きました。
末っ子は自由な立場でもあるので、わたしにどんどん内心の苦悩を話してくれたのでした。
その父が、日米繊維交渉の前から、自社の繊維工場の一部を潰して自動車教習所にするという先見の明を発揮したから、わたしは教習所の休みに教習所内で、廃車寸前の教習車を運転して、下手なレーシングドライバーになる土台ができたわけですね。
父は、67歳の現役社長のまま、会社と、日本の繊維産業の未来を案じつつ、医療過誤で急死しました。
わたしはその葬儀の前に、遺産相続の権利をすべて放棄し、上のきょうだいに渡しました。
そしてわたしは18年9か月の長きにわたって、共同通信のサラリーマン記者でした。その時代は記者であることに徹して、作家になってそれを兼ねるようなことも一切しませんでした。
したがって、金持ちどころか、海洋資源開発の資金など、ほんらいはつくれるはずの無い金銭環境でした。
だから諸国の政府高官と軍の将官たちは、わたしの活動は日本政府から支援があってのことだと勝手に思っていたのです。
実際は、政府支援、公的支援は、きれいにゼロでした。
国会議員となった現在も、献金ゼロ、政治資金づくりパーティもゼロ、企業支援もゼロ、団体支援もゼロ、後援会も存在せず、第一、政治資金管理団体も政治団体もゼロ、つまりはおカネづくりの隠れ蓑も皆無なのです。
▼わたしの活動を資金面で支えてきたのは、実際には、会員制レポートの東京コンフィデンシャル・レポート ( TCR ) だけです。
この東京コンフィデンシャル・レポート ( TCR ) は、わたしが共同通信を辞めた直後から、経済記者の時代に信頼関係のあった企業から求められて、いくつかの法人会員に対して西暦2000年3月30日に第1号を配信したことが始まりです。
以来、25年9か月、倦まず弛まず配信を続けて、今年の締めは12月26日に配信した第1518号のレポートです。契約上は、月に4本から5本のレポート配信ですが、たとえばこの12月には7本を配信しました。
レポートの内容は機密であり、契約上、会員外への漏洩は絶対にできません。もしもそれがあれば、民法上の損害請求が発生し、刑法上も「業務妨害罪が成立する可能性が高い」 ( 司法関係者 ) という特徴があります。
▼このレポートのための国内外の情報収集、一字一句に魂を込めた執筆、そして極めて高い完成度を常に目指す仕上げ、全てわたしひとりで行います。
完成すると、それを独立総合研究所 ( 独研 ) に渡し、独研は会員への配信と、会員の管理だけを担います。
わたしは独研の創業社長でした。
しかし平成28年、西暦2016年の参院選に初出馬したとき、選挙中に、おのれの決断で独研の代表取締役社長・兼・首席研究員を辞め、創業者株も全株を無償で返上して、独研との経営上の関係を一切、断ちました。
国会議員となっても独研の社長で居るのは可能でしたが、わたしなりの判断です。
わたしが国会議員となったのち、独研の新経営陣が弁護士事務所や会計事務所と協議を重ね、独研からわたしに対し、東京コンフィデンシャル・レポート ( TCR ) の執筆や、独立講演会で講演すること、IDC ( インディペンデント・クラブ ) のイベントに参加することを業務委託することが始まりました。
国会議員の兼業そのものは認められているからです。
一方で、東京コンフィデンシャル・レポート ( TCR ) の運営、独立講演会の運営、IDCの運営をはじめ独研の経営には完全にノータッチです。
独研は、その理念が「会社の利益は追求せず、民間から国益だけを追求する」ことです。
官だけに国を任せているから、日本国が傾くのであって、民からも安全保障、外交、資源エネルギーといった国益の追求をやるべきだという、創業社長だったわたしの思想に基づく社是でした。
そして3代目社長となった現在も、その理念の灯火 ( ともしび ) を掲げ続けています。
独研には、独立講演会や東京コンフィデンシャル・レポート ( TCR ) 、IDCといった一般の目に見える仕事だけではなく、重要インフラストラクチャに対するテロリズムを防ぐことをはじめ、政府内の一部だけが知悉していて、誰の高評価も受けることの無い重大な仕事もあります。
その経営は、わたしが創業社長の時代から3代目社長の現在に至るまで、厳しいです。
独立講演会は、毎月、千人ものみなさんが集まってくださいますが、いただく会費は基本的に大きな、かつ聴講者にとって好ましい会場を確保することと人件費に費やされます。
IDCの集会は、赤字ベースが常態です。
テロ対策といった非常に難しい仕事も、赤字が基本です。
唯一、収益力のあるのが、東京コンフィデンシャル・レポート ( TCR ) なのです。
なぜか。
執筆者のわたしが必要経費を一切、請求しないからです。
請求すれば、情報源の秘匿が危うくなりかねません。
東京コンフィデンシャル・レポート ( TCR ) はおよそ1520本のレポート全てに、膨大な情報収集がありました。
その手間、コスト、どれも大きな負担ですが、情報源を護り抜くことが何より肝心です。
▼その東京コンフィデンシャル・レポート ( TCR ) の会員が減っているという衝撃の事実を、最近わたしは、独研から知らされました。
聞けば、議員会館の青山繁晴事務所が企業や団体に決して頼らずに、主権者のみなさんの志だけに期待して集めてきた自由民主党の党員が、減っていることとほぼ同じ構図です。
4年連続で党員数1位だったのが、権力の移行に伴い、党員が権力のあるところへ移動していると思われるのと似た現象が、TCR会員にも起きているようです。
【 追記の2 】 同時に、歯止めのない物価高をはじめ日本経済の変調が法人会員、個人会員のいずれにも打撃となっている現実があります。
東京コンフィデンシャル・レポート ( TCR ) は前述のように、法人を対象に始まりました。
しかし営業は原則せず、宣伝もしていません。わたしが創業社長の時代から変わらず、独研は営業部門を持たない極めて例外的な株式会社なのです。
法人会員が自然に増えるにつれ、くちこみで、個人からも「レポートを購読したい」という要望が増えました。
そこで「特別個人会員」として、個人の参加も受け容れるようになりました。今では、法人会員と共に、個人会員も東京コンフィデンシャル・レポート ( TCR ) の支柱です。
25年9か月前に、ある企業が「青山さん、共同通信の記者を辞めて自由な立場になったんだから、東京 ( 中央 ) のコンフィデンシャルな情報の正確なレポートが欲しい。あなたなら出来ますよ」と仰ったとき、「会費は、社内稟議を通さずとも私の裁量で出せる程度の額で、とりあえず出発しませんか。今後、上げていけばいいから」とも提案され、わたしは即、それを受け入れました。
しかし、あれから四半世紀を超えても、1円も上げていません。
理由は明確です。
わたしは今は、独研から業務を委託されているだけであっても、創業者として正確に理解できます。
独研にとって唯一、収益が期待できる部門であっても、「会社の利益は追求しない。追求するのは国益だけ」という社是が変わらないからです。
▼ところが、わたしが権力に浴していないから、党員も減り、執筆者である東京コンフィデンシャル・レポート ( TCR ) の会員も減っています。
辛い、哀しいことですが、よおく理解はできます。
やはり、みなさんは権力が好ましいのかなとも思いますが、それはごく自然なことです。
【 追記の3 】 一方で、東京コンフィデンシャル・レポート ( TCR ) の会員減については、それとは関係なく、会費の捻出が難しくなった元会員も少なくないとみられます。
わたしはアメリカのワシントンDCで在米の有識者に「TCRは値段が安すぎる。米国でこの内容なら、ゼロが2個多い。日本では情報の値段が安いという深刻にして根本的な問題がある。あなたがこんな値段でレポートを配信すると、その問題が解決も改善もしないのではないか」と指摘されたことがあります。
まだ独研の創業社長だった当時のことです。
わたしは日本の経済と会員の置かれた金銭環境を考え、在米有識者の実は的確な指摘も考え合わせ、そのバランスを取って会費を据え置くことを、当時は社長として決しました。
国会議員として独研の経営から完全に退いている今は、前述の通り、東京コンフィデンシャル・レポート ( TCR ) の運営には一切、関わりませんから、据え置きは、現在の独研経営陣の判断だろうと推察しています。
【 推敲 】 そのうえで、会員減をめぐる一切の最終的な責任は、わたしだけにあります。
それは党員減にしても、まったく同じことです。わたしの責任です。
▼独研は、このままでは、真珠湾への出張ができないという懸念を、ありのままに伝達してくれました。
真珠湾への出張は、たとえばテロ対策のための諸国歴訪と同じく、ロジスティクスが非常に手間が掛かり、また専門性を持つ人材でないとそのロジ構築は無理です。
わたしひとりでは、ロジの構築ができません。絶対最優先であるふたつの公務、すなわち参議院議員の公務と副大臣の公務、そして作家として書き続けるという読者への責任、これを全てこなしながら、複雑なロジを構築して真珠湾に向かうことは不可能です。
また、わたし自身としても、国会議員になる前は『ぼくらの祖国』は単行本、新書を合わせて32刷を数えた記念碑的ベストセラーとなり、新書の『壊れた地球儀の直し方』、『危機にこそぼくらは甦る』もいずれもベストセラーとなり、国益のための活動の資金になりました。
しかし今は、「セイジカの書く本なんて」という見方に徹底的に苦しめられています。
わたしは国会議員となっても旧来の政治家になった側面は、実際に皆無ですが、そんなことは顧みられません。
▼独研によると、法人会員が3社、抜けたこと、個人会員が減ったこと、そして新規の会員が乏しいこと、三重苦となってのしかかっているとのことです。
法人、個人を問わず、すこしでも関心をお持ちなら、ここを見ていただけませんか。
また、上述の通り、東京コンフィデンシャル・レポート ( TCR ) 全号の内容は、一字一句に至るまで、会員外に決して漏れてはなりません。
しかし、主見出しと、小見出しは、全公開しています。
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を押してください。▼みなさん、お気づきの人も居るかもしれませんね。
このエントリーを書き始めたのは、見出しの上にあるように、きのう12月29日の午前11時11分11秒でした。
おっ、1の並びだと思ったのはいいのですが、ようやく書き上げようとしている今は、もう12月30日の午前2時28分です。実に15時間と17分が経過しています。
途中に、国会の開会中はまったく行く時間の無かった予防接種に行くのもあり、入浴と食事もありました。
しかし、そのあいだもずっと、このエントリーのことを考え続けて、ひどく苦吟して書きました。
小説新作の執筆は完全にストップしてしまいました。
この暮夜に、なんとも言えない気持ちです。
多くの人が苦しむ今、公人として、おのれの苦しみに拘泥してはなりませぬ。
そう考えています。
あなたさまの年の瀬に、新しい希望のありますように。













