On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2006-05-06 20:22:02

たっくると花桃





▼いま、テレビ朝日系「TVタックル」のスタジオ収録から、帰宅したばかり。

 今回は、タックル国際会議ということで、中国、韓国、アメリカ、カナダ、ロシア、そしてイランのジャーナリストや大学教授ら外国のかた7人が参加し、日本側は、三宅さん、ハマコーさん、桝添さんに、ぼくの4人。
 これにレギュラー陣のたけしさん、阿川さん、大竹さんの3人が加わるから全部でなんと、14人。

 2時間のスタジオ収録で、これは黙っていてはいけないという場面では、必死の思いで発言したつもりだ。
 だけど、放送されるのは45分間ほど。
 そして、この人数の多さだから、いつもの通り、ぼくの発言がどれだけ放送されるか、まるで、わかりません。

 ただし、日テレの「太田光の私が総理になったら」の一件のときに書いたとおり、これはあくまでもテレビ局の編集権の範囲内だから、仮にぼくの発言が使われなくとも文句は一切、ない。

 かといって、使われるように「工夫」するということも、あえて今回も、しなかった。
 ぼくはテレビタレントではなく、視聴者、国民に伝えるべきと信じることを伝えようと努める、その本来の目的に徹する立場だと思うから。
 その代わり、ここは黙っていてはいけないというところだけ、懸命に自分を励まして発言した。

 それでも、他の出演者には「あおやまの野郎、しゃべりすぎだ」という印象になったようだ。
 ぼくは、この番組に慣れるまでずいぶんと時間がかかり、ほかの常連出演者のかたがたには、ぼくは『ろくに発言できない男』のはず、というイメージがまだ強いからだろうなぁ。


▼しかし、実は、ぼくはまだ全然、この番組に慣れていない。

 ぼくの少年時代に受けた家庭教育は、とても輪郭のはっきりした教育だった。
 たとえば、人と話すときについては「相手の話をしっかりと、充分に聞いてから、発言すべきことだけを発言しなさい」という原則を身体に叩き込まれた。
 タックルで、そのようにしていると、何も口を開かずに帰ることになって、番組のスタッフから、視聴者のなかの数少ないぼくの理解者のかたがたまで、みなを落胆させることになってしまう。

 だから、懸命に自分を励ますことになるのだけど、無理に励ますものだから、きっと顔が怖い、言葉遣いもへたくそ、言い間違えたり、言い淀んだり、ひどいだろうと思う。
 まったく謙遜じゃないのです。


▼そもそも、ぼくはテレビ番組に顔を出すと、いつも、いつも自己嫌悪に陥る。
 たった今も、そうです。

 この連休は、かなりテレビ番組に忙殺されたけど、関西テレビの「スーパーニュース・アンカー」から、このタックルまで、すべて出演後に自己嫌悪です。
 出演じゃなくて、コメント撮りだけでも、しっかり、そのあとに自己嫌悪を味わってしまう。
 正直、すこし辛い。


▼その意味で、番組スタッフから視聴者のかたがたにまで、ほんとうに、本心から、いつも申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまう。

 今日の収録に関しては、収録の最後のほうで、教育基本法の改正について大竹さんが疑問を呈した。
 ぼくは「今の改正案は、政府が国会に提出した。だけど、ほんとうは、ぼくら国民がまさしく決めることであり、国民の直接の代表である議員立法で出し直すべきだと思う。国民みずからの議論がもっと必要だから。ただ、現在の教育基本法は、そのままにしておけない。なぜなら、憲法とペアだから。教育基本法は憲法と同じく1947年に施行された。憲法を国民みずからの手で考え直してみようという機運にようやく到達しそうになっている今、教育基本法を放ってはおけない」ということを、もう少し詳しく、しかし言葉にさんざん詰まりながら、話した。

 あと、靖国参拝をめぐって、中韓だけじゃなく、アメリカ、カナダ、ロシアまでそろって「参拝をとにかく、やめりゃいいんだよ」という話の流れになり、そのまま議論が終わってしまいそうだったから、ぼくなりに懸命に反論した。
 しかし、これもまるで言葉足らず、舌足らず。へたくそ。

 この二つの場面は、本音を言えば放送してほしいけど、話し方がへたくそなんだから、どのようにカットされても、文句は言えません。

(このスタジオ収録は、5月15日月曜の放送です。
 その前の8日は、コメントが放送されます)



※写真は、桃の花です。
 いま咲き乱れている地元では、『花桃』と呼んでいるそうです。
 最近に、ぼくの携帯で撮りました。
 携帯で撮っても、こんなに凄絶な、そして柔らかな美しさです。

 桃の花がこんなだとは、ぼくは知らなかった。
 遅い桜の開花を見るつもりで出かけて、偶然に、桃の花に出逢いました。
 桜と花桃が相次いで咲く国が、この日本です。

 わたしたちの柔らかな、それでいて、きりり毅然と美しい祖国を取り戻し、再興し、伝統に立脚しつつ、国民国家としての哲学を、この国の主人公であるわたしたち自らが新しく創造し、世界へアジアへ発信する。
 それが、ぼくらの子々孫々への、新しい教育理念だと信じます。



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