On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2006-05-06 02:03:10

にくたい





▼2006年5月5日、げんきな男の子の端午の節句は、残念ながらどーんと体調が落ち込んだ。
 小説新作を書くパソコン画面に向かいながら、気がつくと、椅子の上で、首をがっくり垂れて、うとうとしている。
 一日の時間が午後から夕方に移るころ、もうたまらず、ベッドで仮眠すると、それが苦しい。

 ほんものじゃない、かりそめの眠りに、やすらぐどころか苦しみながら、いつものように半分起きて時計をみている。
 仮眠する代わりに無理にでもジムに行って鍛錬して、それで体調を取り戻すようにして、この頃はそれで肉体を支えている。
 だから、ジムに行こう、行こうと思いつつ、そのジムがクローズしてしまう時刻が近づいているのを、仮眠のなかで見ている。

 きょうは世は休日、ジムは休日には早じまいしてしまう。
 ああ、もう無理だ、ジムにも行けない、行けないと、この不調を乗り越えられないと思いながら、どうにも身体が動かない。
 全身疲労という粘る網に、身体が捕らえられていて、そのまま泥のなかに沈められている実感だ。


▼それでも、もうほんとうのぎりぎりの時間に、這い出るようにベッドを脱出して、車庫へ降り、アウディ・クワトロ80のエンジンをかける。
 雪と氷のモンテカルロ・ラリーで2連覇した、18年前のエンジンは、げんきに咆吼する。
 そのエンジン音にも励まされて、このステアもクラッチも重いラリーカーをドライブし、ジムへ到着。

 もうクローズの時間も迫っているから、身体をあたためてやる時間もない。
 ごく簡単にストレッチをしただけで、ダンベルとバーベルに挑む。

 疲れているのは脳と内臓であって筋肉じゃないから、ダンベルもバーベルも挙がると思っていたら、これが違う。
 どうなるかと思うほど苦しい。

 ベンチプレスでバーベルを挙げているとき、ついに胸の上に落としそうになる。落とせば胸は潰れる。潰れなくても、あまり無事では済まないだろう。
 トレーナーが付いてくれているので、とっさに手を添えてくれて、あやうく持ちこたえる。
 それなのに手を貸してくれることが嫌で、内心で『手を出さないでくれ』と叫びつつ、同時に『ありがとう』と心の奥で呟きつつ、どうにも筋肉が動かない。

 苦しい汗のなかで、にんげんの肉体って、面白いなぁと、考えている。

 筋肉が疲れているはずはない。
 ほんのちょっとしか鍛錬はしていないんだから。
 かつて競技スキーをしていたとき、あるいは高校生、中学生のとき長距離走をしていた、ささやかな体験から、筋肉の疲れがどんなものかは多少、知っている。
 今の疲れは、それとはまったく違う。
 内臓と脳の疲れから来る、全身の疲労だ。
 それなのに、いつもは挙がるバーベルが、挙がらない。

 トレーナーはあっさりと「ああ、お疲れですね。いいことですよ、そういうときに(ジムへ)来るのは」と言う。
 その言葉に答える余裕は、ぼくにない。
 頭の中で、トレーナーが口にした「お疲れ」は筋肉のことじゃないとわかる。
『ああ、そうなのか。トレーナーにも、全身疲労だとわかるんだ。つまり身体の科学からすると、全身が疲れていると、それが筋肉の疲れでなくても、筋肉が力を出せなくなるんだ』と考えている。


▼どうにか、いつもの筋力メニューを終えて、プールへ。
 もう時間がないこと、そして全身の疲労から、調整程度にしか泳げない。

 ところが、水が軽い。
 調子の悪いときには、あんなに重く感じる水が、なぜか軽い。

 ブレストからフリーに切り替えて、すこしアップして泳ぐと、苦手な右腕が、よく遠くへ伸びて新しい水を掴んでいる。
 また内心で「おもしろいなぁ、にんげんの身体は」と思う。

 泳ぐたび、水は違う。
 肉体の、ちょっとした違いで、水はがらりと変わる。
 生命は水から生まれたから、なのかなぁ。

 今のぼくの肉体は、瞬発力はあっても持久力がないから、泳ぎはすぐに乱れはじめる。
 乱れに耐えられず、泳ぎを短く打ち切った。
 それでもプールから上がるときは、水中ロケットが打ち上がるように一動作で、ぴょんと上がる。
 水の抵抗をあっさりと振り切って、一瞬でプールサイドに立っている。
 これができるうちは、まだ鍛錬すれば実る可能性はあるよね。


▼写真は、高速道路から撮った、日本アルプスの残雪です。
 携帯電話のカメラをいっぱいにズームして撮ったから、すっかりぼけているけど、ぼくには胸に迫るものがある画像だ。

 ことしの冬は雪が多かったから、きっと夏スキーもいつもの年より雪がある。
 かつては、こういう夏山の雪渓で、コンクリートのように硬くなったスプーンカット(スプーンで一面にえぐっていったような残雪)を、激しい振動にかろうじて耐えながら競技用のスキーで滑っていた。
 へたくそだったけど、一生懸命ではあった。

 あの頃につくった下半身が、今もぼくを支えている。
 だけど、椅子の上と飛行機のシートにあまりにも長く座っている生活だから、このごろ股関節がびっくりするほど固くなっている。
 さぁ、どうにかしなくちゃ。
 どうにかするなら、それは鍛錬するしかない。
 きっと、その新しい鍛錬と、小説新作の完成は、同時進行になるよ。

 天よ、おのれを捨てて、世界に、ほんのささやかに寄与する、創造の力を、ぼくに。
 創造に耐える力を、この肉体に。



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