On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2007-05-22 07:55:53

深く淡く生きる  その、ある一日





▼5月21日月曜の朝、5時に眼を覚ます。
 鏡を見なくても、顔がぱんぱんに腫れあがっていると分かる。

 このごろ、週の初めには必ずと言っていいほど、こうやって顔が腫れあがる。
 身体が発信しているメッセージだろうな、とは思う。
 共同通信を辞めてから、ことしで足かけ10年、年末年始を含めてただ1日の休みもなく、ここまで来た。
 10年の節目を迎えつつあるから、身体はとにかく休みを求めているのだろう。

 そりゃ、休みたいよ、ぼくだって。
 身体にそう言いながら、朝刊を手にとる。眠い。それでも睡眠時間はふだんよりは、いくぶん多い。3時間半ぐらいは寝ているだろう。


▼朝8時50分に自宅を出る。
 霞ヶ関に向かいながら、関西テレビの硬派の報道番組「アンカー」のディレクターに電話する。

 その番組で毎週水曜日に生で放送している「青山のニュースDEズバリ」というコーナーについて、今週はペルー日本大使公邸人質事件の真実を話そうかなと考えているから、そう提案する。

 きのう日曜日のニュースで、「ペルー事件の最後の武力解決をめぐって、すでに投降した犯人たちを逮捕するのではなく虐殺した容疑があり、ペルーで裁判が始まった」と伝えていた。

 ぼくは、このペルー事件で記者を辞めた。
 辞めてからの10年、ずっと「あの武力解決はフェアな解決ではなく、日本人の人質の命を考えた解決でもなく、ペルー国民を黙らせるための虐殺だった」と述べ続けてきた。
 裁判で判決が出たわけではないから、結論が出たのではないことはきちんと踏まえねばならない。
 そのうえで、ぼくには『やっと真実の一端が外へ出始めた』という思いが湧く。

 敏腕のディレクターは心なしか、反応が鈍い。
 眠いのかな?
 月曜朝の電話は気の毒とは思うけど、きょうは、この時間しか電話する時間がない。


▼霞ヶ関に着き、月刊誌「フィナンシャル・ジャパン」のために、自衛官出身の優れた評論家の潮匡人さん、金融プロフェッショナルの木村剛さんと鼎談(ていだん)に入る。

 1時間40分ほどの鼎談を終えたあと、紙面に載せるための写真撮影。
 顔がますます腫れあがったまま。
 つまり、ハレハレ写真が月刊誌に載る。

 鼎談会場の近くに、信頼する名物ママのいる小料理屋があるので、久しぶりに寄って、昼の定食を食べる。
 体調からして、全部はとても食べられないと思ったけど、ママの心づくしが伝わってきて、どうにか食べられた。

 ママは「太ったの?」と聞く。
「いや、顔が腫れてるんです」と答える。
 休みなさい、ドクターに診てもらいなさい、とママ。
 うん、ぼくもそう思います、と内心では考える…。


▼霞ヶ関から地下鉄と井の頭線を乗り継いで、東大の生産技研へ。
 駅から東大へ歩くあいだ、明るい日射しが、きょうのぼくには苦しい。
 なんということかなぁ、太陽の恵みがつらいなんて、と、ちらり思う。

 きょうのおれはドラキュラか。夜にしか生きられないのか。

 東大に着くと、講演をするまでのわずかな時間に、モバイルパソコンを開く。
 これまで使っていたモバイルパソコンが、ぼくの身代わりになるように壊れたので、新しいパソコンだ。
 ところが、ウィンドウズXPに代わって搭載されているVISTAに悪戦苦闘する。

 こりゃ、未熟なまま出荷されたOSじゃないかなぁ。
 実感をそのまま言うなら、ユーザーのことを思って新しく出されたOSじゃなくて、とにかくモデルチェンジして儲けようと思って出したんでしょ、という感じだ。
 いずれはVISTAも成熟していくんだろうけど、わずかな時間につくった文書が保存されずに消える。
 悔やむ気もしない。
 ああ、やっぱり、とぼんやり思うだけ。

 そのあと、「海中海底工学フォーラム」の会場へ入る。
 次から次へと集まってくる聴衆のかたがたや、資料やパソコンを手に会場入りする多くの海洋工学の専門家を見て、気持ちをぐいと引き締める。

 顔が腫れていようが、文書が消えようが、そんな講演者の事情は、講演を聴くひとびとには一切、関係ない。
 さぁ、伝えるべきを伝えなきゃ。
 その『ほんらいの目的』に集中するように努める。

 フォーラムでは、ぼくのほかに7人の講演者がいらっしゃる。ぼくは、たまたまトップバッターとして講演する。
 このフォーラムは39回目を迎えた、伝統あるフォーラムだ。

 東京大学生産技術研究所・海中工学研究センターの浦環(うら・たまき)教授がまず、柔らかな、ほどよくリラックスした開会の挨拶をされた。
 浦さんは、海中ロボットの研究で世界に知られている。

 それから、同じ東大生産技研の浅田昭教授が、ぼくの紹介をなさった。
 浅田さんは、海中音響学の専門家だ。
 ぼく、および独立総合研究所(独研)と連携して、北朝鮮の工作員らテロリストの侵入を防ぐための水中ソナーの研究開発を進めている。

 きょうのフォーラムは講演者が多いので、ぼくの講演もぎゅっと短くした。
 時間がないために質問も1問しか受けられなかったけど、広い会場が隅々までしっかり耳を傾けてくださっている感じがあって、こころのうちで深く感謝した。

 講演のあいだは、体調のことはまったく忘れていた。
 それは、いつもと同じ。


▼講演を終えて、霞ヶ関へ戻る。

 ある中央省庁の最高幹部室で、独研の自然科学部が取り組んでいる「日本を資源大国へ生まれ変わらせるチャレンジ」、すなわちメタンハイドレート(天然ガスと主成分が同じ埋蔵資源。日本の周りの海に、大量に存在する見通し。「燃える氷」と呼ばれている)の探索・開発について、議論する。

 同席した独研の自然科学部長(水中音響学の博士)は、新しい探索メソッドの特許をすでに取得している。

 まったく新しい試みなので、官庁や学界に抵抗や異論が多く、正直、苦労している。
 独研は、みずからの利益は考えずに、国民益と国益のために取り組んでいることを、あらためて話す。
 実際、この仕事は独研にとっては膨大な赤字だ。


▼そのあと銀座へ歩き、ビルの屋上にあるゴルフ教室でクラブを振って汗を流す。
 仮眠するより、こうやって身体を動かすほうが、ぼくには特効薬になる。

 そりゃ仮眠もしたいけど、仮眠から目覚めるときが地獄のように苦しいので、1年半ほど前から、わずかでも仮眠の時間などがあれば、ジムでバーベルを挙げたり運動するようにしている。
 
 ゴルフは大嫌いだった。
 今でも、著名なプロゴルファーのなかに、アスリートとして尊敬できそうにないひともいる。

 だけど、ぼくがライフワークのひとつと考えている沖縄戦の克服をめぐって知り合った沖縄のひとから、「やんなさいよ。わたしは青山さんと沖縄でラウンドしたいんだから」と強く勧められて、1年ほど前に始めた。
 始めた、と言っても、ほとんど回れない。ラウンドは、滅多にできない。

 だけど、この銀座のゴルフ教室なら、仕事の合間のわずかな時間を活かすことが、たまになら、できる。
 このゴルフ教室は、独研の本社から近いという理由だけで最初は来たのだけど、北沢修プロという信頼できるコーチに出逢った。

 今は、ゴルフというスポーツのよい面を汲みとりたいと考えている。
 ただね、日本にはやっぱりゴルフ場が多すぎるとも思う。
 毎日のように飛行機に乗る。
 そのたびに、山々の緑を切り開いて造られたゴルフ場が、あまりにも近接して沢山あることに、胸が痛む。
 ほんらいのスポーツの目的、あり方からも、あまりに、かけ離れてはいないか。

 北沢プロと、こんな話はしたことはないけど、きっと同じことを考えているのじゃないかなぁと勝手に考えている。
 ゴルフをまさしくスポーツとしてとらえ、そのスポーツを通じて世の中をクリアに、公平にみているひとだから。
 ぼくは、どんなときでもお世辞は言わない。


▼汗を流したおかげで、顔の腫れはすこし引いた感じになる。
 独研の本社へ入り、研究本部や総務部の社員と、さまざまな打ち合わせをする。

 そのとき、ある大切な件で、あるひとの考え方や行いにショックを受ける。
 独研の社員に関係することでは、もちろん、ない。
 ただ、深く信頼しているひとに関係することなので、仕事上はもちろん、人間としてショックを受けてしまった。

 怒りと悲しみで、次の来客の出版社のひとを待たせたまま、こころを静めるのに苦労をする。
 ようやく出版社のひとに社長室へ入ってもらい、よもやま話をする。
 このひとにとっては、ぼくに起きていることが分かるはずがないし、第一、彼の仕事には関係がない。
 待たせてしまったことを申し訳なく思いつつ、懸命に自分を取り戻して、このごろの円安がほんとうに意味するもの、円と元、ユーロの戦略的な情況について話す。
 ただ、おそらくはぼくの顔も声もこわばっていたと思う。
 ごめんなさい。


▼そのあと、雑仕事をしようとするが、ほとんど進まず。
 自分の弱さが情けない。

 夜8時すぎ、先日のアメリカ出張の打ち上げと反省会をかねて、独研の本社近くのカジュアル、つまり庶民的なイタリア料理店で、ごはんを食べる。
 出張したメンバー、研究本部・社会科学部の主任研究員J、若き秘書室長S、それに不肖ながら社長のぼくの3人だ。

 このふたりとは、三菱総研で出逢った。
 独研の誕生からここまで、ほんとうに一緒に苦労を重ねてきたふたりだ。
 世間的に言えば、ふたりともまだ若い小娘ということになっちゃうのだろうけど、そんなこたあ、かんけいない!

 ふたりの志の高さ、努力の深さをあらためて受けとめて、ぼくもちょっと元気を取り戻す。
 それから、ふたりの話から、いまの独研の全社員・スタッフ(男性のほうが多い)がどれほど私心なく、しかも強烈な連帯、チームワークをもって仕事をしているかが、生き生きとトップのぼくに伝わって、それも大きかった。


▼そのあと帰宅。
 先週の木曜日に、80歳を過ぎた母を、関西から東京に迎えている。
(引き取った、という言葉は、毅然と生きてきた母に失礼なようで、なるべく使いたくない)
 だから、早めの帰宅を心がけている。
 だけど、時計をみたら、夜11時にはなっているね。

 そして息子のひとりと、彼のごく近未来の将来をめぐって、真夜中のミーティング。
 理系の研究を通じて世界に寄与したいという、積極的な話なので、ここでも、すこしだけ安心する。

 ぼくは、セキュリティの意味合いもあって、家族の話はこのブログでもほとんど書かない。
 きょうは、ぼくの一日をありのままに書いているから、ちらりとだけ触れた。
 ただ、今後も、家族をめぐる詳しいことは一切、書きません。
 家族はみな、ぼくの仕事とは関係なく、プライバシーを保って安全に暮らす権利があるから。


▼この家族ミーティングのあと、強烈な眠気に襲われる。
 風呂にでも入って、ちゃんとベッドに入って、ちょっと眠ればいいのだけど、ぼくのいちばん悪いところが出てしまい、ソファで、がっくり首を垂れて、眠り込む。

 そのあと自分を励まし、ソファから起きて、会員制レポート「東京コンフィデンシャル・レポート」の再取材と書き直しを始める。

 このレポートの会員は、独研をまさしく支えてくれている。
 会費はもちろん、すべて独研の収入になる。

 ぼくは、講演も、テレビ・ラジオの出演料も、そして自分一人で企画し、取材し、執筆するこの会員制レポートの会費も、すべて一切合切、独研におさめて、ぼくの財布には1円も入れない。

 独研は、いかなる支援金も基金も持たないから、ぼくがこうしないと、たいへん困る。
 このことは実は、いろんなひとから聞かれることが多い。ぼくとしては、当然のことだから、ふだんはあまり説明しない。





▼なにはともあれ、こうやって、二度と帰らない人生の一日が、きょうも終わりました。
 終わったというか、切れ目なく、次の一日に入ったというか…。

 ふひ。

 写真は、きょうのブログとは、あんまり関係ないなぁ。
 アメリカの前に出張した中東ドーハで、アメリカ国防総省のジェームズ・クラッド次官補代理と、議論しているところ。
 国防総省の良心派のひとり、ジェームズは実名で、関西テレビの報道番組「アンカー」に登場することを了解したうえで、写真のようにカメラに収まってくれたから、ここでも実名を出すことができます。

 ジェームズのような良心派が政権内部に増えれば、アメリカは変わる。
 ただし、どの国家権力でも、良心派はやっぱりすくないです。




    
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