On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2007-09-24 21:43:35

苦しみを、いつかは超えて




▼足の怪我で、すべての予定をキャンセルしたおかげで、安倍さんの入院先での会見を録画ではなく生放送でみることができた。

 いつもなら、こうした場合、すこし周辺取材をしてから、どのような形であれ考えを述べるけれども、きょうは第一印象をすぐに書いておくことにします。


▼入院先で、しかも今のタイミングで記者会見するなら、こういう会見になるであろうと多くのひとが考えていたとおりの、予定調和のような会見内容という側面があった。
 それは、万(ばん)、やむを得ないと思う。

 安倍さんの国民に詫びるこころ、内閣と国会に詫びる気持ち、それから、おそらくは拉致被害者とその家族への責任感もあって、一議員としては課題に取り組みつづける決心を述べたことは、伝わるひとには伝わったと、思いたい。


▼そのうえで、いくつかを記したい。

▽まず辞任の「最大の理由」を健康問題とし、辞意を表明した会見で、ただの一言も健康に触れなかったことについては「現職の総理が、健康問題に触れるべきではないと思った」と述べ、しかし触れるべきであったと陳謝した。

 現職の総理で病気になったひとは、もちろん何人もいる。
 いずれもまず、入院などの加療を受けて、その経過を受けて退陣するか、あるいは病院で死去した。
 入院も、国民にわかる加療もなく、一切、健康問題に触れずに、別の問題を挙げて辞任会見をおこない、そののちに入院した総理はいない。
 さらに、その入院中に「実は、健康問題が辞任の最大の理由だった」と言葉を翻した総理大臣も初めてだ。

 安倍さんが、それだけ心身がおかしくなっていたんだ、という見方をするひともいるだろう。

 だが実際の安倍さんは、入院先の慶応病院の病室で、政治家ではない身近なひとには、「戦後レジュームからの転換は、1対99の戦いだった」という心境を、憔悴したようすで話した事実がある。

 安倍さんは、最後に、いわば、いちばん当たり障りのない「健康問題」を理由に挙げることによって、みずからが直面した「戦後レジュームからの転換、すなわち日本がフェアな国家主権を回復することを進めようとして、直面することになった孤立と孤独」を歴史の裏へ封印してしまった。

 わたしは、それを残念には、思う。
 ただ、安倍さんが保身のために、そうしたとは決して思わない。

 以下は、推測である。

 ひとつには、安倍さんは、拉致被害者とその家族のために代議士であることを続ける以上は、辞任をめぐる謎や混乱については「健康問題でした」とすることによって収束させ、みずからが引き起こした混乱劇に終止符を打つしかないと考えたのではないか。

 もうひとつには、安倍さんは、麻生さんがクーデターを起こそうとしていたとの嘘をはじめ、おなじ自民党内に疑心暗鬼の状況を生み出したことについて、安倍さんらしく本心から申し訳なく思い、誰もが、すくなくとも表面上は納得したように振る舞うしかない「健康問題」ですべてを説明しようとも、考えたのではないか。

 以上は、前述したように、ただの推測であるが、これがいくらかは当たっているとしても、「それこそが安倍の弱さだ」と非難するひともいるだろう。

 その非難に当たっている面があってもなお、わたしは、安倍さんが仮にこう考えたとするなら、理解はする。
 たとえばアメリカやヨーロッパの政治と社会でも、高官たちが「家族と一緒にいたいから」といった、その社会では誰もが反論できない理由を掲げて、ほんとうの辞任理由は明かさずに去っていくことがあるし、それは例外的には大統領や首相クラスでも起きている。
 安倍さんだけが例外だとみることは、やや違う。

 わたしは、きのうの出雲の講演で申したように、安倍さんが、戦後の首相として初めて、この祖国のフェアな主権回復に取り組み、その壁の厚さに孤立して異様な形で辞任したからこそ、壁の厚さと巨大さをよく知り、これからに活かすようでありたいと、今あらためて思う。


▽次に、麻生さん、与謝野さんとの関係について、安倍さんが「クーデター説は、そのような事実は全くない」と述べ、安倍さんが、麻生に騙されたという言葉を発したという説についても、しっかり否定したことは、当然であり、ありのままにおっしゃったと思う。
 いずれも事実でなく、卑劣な情報の操作と偽造が、政治家(複数)によって行われたことは、わたしもこれまで指摘してきたとおりだ。

 そのうえで、安倍さんが、麻生さんについて、辞意表明後の混乱の「収束」について頑張ってくれたという認識を二度にわたって強調し、一方で、辞意を表明する前のことについては「麻生幹事長もよく支えてくれました」と一度だけ、淡々と述べたことに、わたしはいささか着目せざるを得なかった。

 解釈の違いはあり得る。
 安倍さんの病院会見は、これからも代議士として政治生活を続けるひとのそれらしく、きわめて政治的な言葉、あるいは日本的な配慮たっぷりの言葉遣いであったから、さまざまな解釈はあり得る。
 簡単に言うと、あまり露骨には言わないけど、分かるひとは分かってくださいね、という会見でもあった。
「予定調和」に加えて、その一面もあった。

 安倍さんの現在の麻生さんへの感謝、それは間違いなく本心だろう。
 ただ、それは、辞意表明後の混乱の収束や、『北朝鮮への強硬路線の継続』という日本の選択がしっかりとあることを、総裁選の健闘を通じて、国民に示してくれたことへの感謝だということも、安倍さんのこの入院中会見で、あくまでも周辺取材のない第一印象としては、わたしに伝わってきた。

 辞意表明に至るまでの道のりでは、安倍さんの、恐ろしい孤独と孤立があったことを、安倍さんは、それが無意識なのか意識してなのかは、すくなくとも現時点では分からないが示唆していることを感じた。

 いずれも、先の長い書き込みで、わたしのささやかな分析として書いたことと、わたしは矛盾をみることがなかった。
 さきほど記したように、解釈の違いはあり得るから、別の見方も、もちろんあるだろう。それは、この部分以外のことについても、同じだ。


▽テロ特措法の問題について、安倍さんは冒頭発言で「特措法の延長によって」海上自衛隊の給油活動を継続したかったことを明言し、それをブッシュ大統領などに約束したことを示唆した。

 新法については、一言も触れなかった。

 このことも、先の長い書き込みの分析と、一致しているように、わたしは考えた。
 今夕の安倍さんのような短い会見で、しかも、政治的配慮に満ちて丸められた言葉のなかから、おのれの分析にとって都合のよい言葉だけを拾うことは絶対にやってはいけない。
 安倍さんの今夕の会見のすべての言葉を通じて、すくなくとも矛盾はないとだけ、わたしは考えた。


▽もうひとつ、小沢さんとの党首会談が、テロ特措法の延長のために(新法のためにではなく)、やる会談であり、その会談ではテロ特措法延長の代わりに、首を差し出す(首相を辞める)ことを用意していたことを、ここは安倍さんはちょっとびっくりするぐらい、強く示唆した。

 これは、先の長い書き込みに記したように、麻生執行部が、そんな小沢さんと談合会談などやればテロ特措法延長の代わりに首相の首を差し出すことになってしまうと懸念して、そのセットに不熱心だったことについて、その懸念が正しかったことを物語る。
 懸念が正しかったからこそ、その当時の安倍さんと麻生さんや与謝野さんとに、食い違いとコミュニケーション・ギャップが生まれてしまったのだった。


▼さて、安倍さんはこうして、一応の説明も完成させ、体調が戻れば、いつかは政治に戻ってくる。

 会見を、おそらくは食い入るようにご覧になっていたであろう、拉致被害者の家族のかたがたは、安倍さんの別人のように生気を失った姿に衝撃を受けつつ、これからも頑張るというニュアンスに、いくらかの安堵もされただろうと、そう祈る。

 拉致被害者の、有本恵子ちゃんのお父さんは、このごろ安倍さんがテレビに出るたび、涙しておられた。
 きょうは、どんなであっただろうかと、胸をえぐられる。
 恵子ちゃんは、わたしと同じ幼稚園の出身だ。
 それもあって、わたしなりに懸命に関わっているが、この有本恵子ちゃんの事件を初めて、まともに取り上げてくれたのが、安倍晋太郎さんの秘書だった当時の安倍晋三さんだった。

 安倍晋三さんがいなかったならば、恵子は闇の彼方に閉じこめられたままだったと、ご両親が思うのはまったくその通りであり、その安倍さんが総理になったときの期待はどれほどであったか。

 安倍さんが、そのことを忘れていることは、まったくないだろう。
 だからこそ、きょうの苦しい会見もやったし、きょうの会見を、クーデターの明快な否定も含めて完遂したのであり、それは、安倍さんと麻生さんらが再び、連帯できるよう信頼関係が回復したことを物語っていると思う。

 そこに、麻生さんの総裁選での驚くべき健闘、なんと200票近くを集めるという結果をあわせて思えば、まだまだ決して絶望ではない。

 生放送で眼にした安倍さんの憔悴した表情にも、胸に浮かぶ有本さんご夫妻のようすにも、深く苦しみながらも、わたしは、そう思っている。



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