2007-12-27 03:04:56
この社会のひとと組織と、そして祖国の危機管理が仕事だけど、おのれの危機管理はしない。許せ、みなさん。
もうテレビもラジオも出たくないなぁ。
それが、たった今の、いちばん正直な気持ちかな。
といっても、もともと、あんまり出てはいないけどね。
へたくそな話でも、こころの耳を傾けてくれるひとたちが数は少なくても、いるから、ぼくには、短く生きているあいだに、どうしても伝えたいことがあるから、すこしだけテレビやラジオの番組に参加している。
出演という言葉は、違うと思う。
俳優じゃなくタレントじゃなく、演じているのじゃないから。
裏取りのできた事実だけを話してきた。
ぼくだって憶測も推測もする。
共同通信の記者として生きた19年と8か月のあいだに、その憶測や推測を、そのまま人様に読んでもらう記事にするのではなく、仮説に変えて、その仮説をもとに、事件や経済の動きや政局の当事者の、その懐に飛び込んで、話を聞いて聞いて、また聞いて、確認ができたことだけを記事にしていく。
それを学んだ。
ほとんど、それだけを学んだ。
報道機関から、シンクタンクの三菱総研に移って、さらに三菱総研で出逢ったひとたちと共に、独立系のシンクタンクを創立しても、この記者時代の原則は変えなかった。これからも変えない。
おのれの、いちばん大切な原則が、ぼくのあまりに下手くそな話しぶりによって、なかなか信じてもらえない…ときも、ある。
めげる。
めげるから、もう、やりたくない、というのでは、ただの子供に戻ってしまう。
だから、逃げるわけにはいかない。
それでも、年が越せない気分、というか、こんな気分は、生まれて初めてだ。
刀折れ、矢尽き、という言葉があるけれど、それだね、それ。
伝えたいことが通じない。
いや、違う。
伝えたい事実が、通じない。
いや、事実の背後にある積み重ねが、通じない。
どれほど積み重ねても、テレビ画面やラジオのスピーカーの真向かいにある、この日本社会の常識や決めつけや利害によって、あっさりと幻にされる。
すべては、ぼくの非力のせいである。
年を越していくとしたら、ぼくの力ではなく、天がぼくを越させてくださる。
もっともっと、もっと、私、わたくしを捨てる。
それしか解決はないのだろう。
2007年の12月27日未明3時4分 ゆうべ輝いていた月がみえない
- 2014-12-31 19:29:41
- さらば
- 2014-12-30 23:57:22
- あらためて祖国へ
- 2014-12-30 17:37:16
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- 2014-12-26 12:00:17
- みなさん、一気の情報です。(サイン会福岡の曜日を訂正しました)
- 2014-12-26 06:46:31
- きょう欧州出張へ出発なのですが…
- 2014-12-23 22:08:28
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- 2014-12-23 12:45:01
- 実はぼくも今、知ったのですが…