On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2008-05-13 06:09:28

断腸の記  番外




▼ぼくは、いま実は、ほかのさまざまな仕事に加えて 、ふたつの仕事で一生懸命です。

 ひとつは、4年ぶりの新刊書の原稿を完成させること。
 完成の間際までいきながら、落ち着いて執筆する時間をとろうとすると、動かねばならないことが起きます。
 身体を原稿の前から引きはがして、人と会ったり、会合に出たりせねばならないことが続きます。
 原稿を辛抱強く待ってくれている出版社の誠実な編集者を裏切る日々が続いていて、苦しいことが多かったこれまでの人生でも、一番と言えるぐらいの鋭い苦しみのなかにあります。

 もうひとつは、ぼくが不肖ながら代表取締役社長を務めているシンクタンク( 独立総合研究所 )が、国造りのために決意して、新しく教育分野にも出て行こうとしているので、その準備です。

 つまり、いずれもぼくの本業( ひとりの物書きであること、それから、自立のために、また国家に税を払いたいがために株式会社組織を採っているシンクタンクの全社員を率いる代表取締役であること )にとって、とても大切な試みです。

 正直、ブログに割く時間がなかなか確保できません。
 それでも、日日をそのまま記した「断腸の記 その2」をすこしづつ書きためているのですが、きょうは、いくつか取り急ぎ、書き込む必要を感じましたので、それとは別に、簡潔で恐縮ながらすこし、いわば臨時に書き込んでおきます。


▼まず、「ふつうの生活者が、どうやって声を上げたらいいのか」ということについて。

 声の上げ方が分からないという切実な声の書き込みがあり、そして、「私はこうやって声を上げる」という書き込みも沢山ありましたから、すでに答えはある程度、出ている気はします。
 ネット時代であることを活用して、公的機関にメールを送ったり、これと思うブログにコメントを書き込んでいるかたもいるし、あるいは直接、関係先に電話をしたり、あるいは、次の総選挙ではこれまでにないほどじっくり考えて投票することで意思表示したいと思っているひともいるし、そのすべてが実際に、「声を上げる」ということです。

 ぼくが「この国の主人公として声を上げましょう」と申すときは、生活者としてそれぞれの場でできる範囲のことをしてみませんか、と申しています。
 特別な難しい努力や犠牲、あるいは特定の運動や行動を求めているのでは、ありません。

 そして「どうやって声を上げたらいいのか分からない」という切実な問いの背後には、「名もない庶民の声で、世の中がほんとうに動くのだろうか」という根本的な問いかけがあるようにも思います。

 ぼくが客員教授として国際関係論を講じている近畿大学経済学部の授業でも、学生からそうした真摯な質問が出ました。
 ぼくが答えた趣旨は、次のようなことです。

「きみがもしも、『すぐに結果が出て欲しい、世の中がぐらりと動くさまをすぐみたい』と思うのだったら、きっと無力感にもとらわれる。
 しかし、もしも、『自分の生きているうちには仮に、なにも結果が出なくてもいい。それでも、自分の生きているあいだに、ひとりとか、ふたりとか、同じ志を持つひとを見つけたらずいぶんと幸運だし、子々孫々の代になって、ほんの1ミリでも世の中が良い向きへ動くのなら、わたしがそれを見ることができなくても、わたしは生きて、戦って、良かった』と考えるのだったり、あるいは『わたしが世の中をよくするために、自分なりに、自分のできる範囲で戦ったことに誰も気づかなくていい。結果を求めるのじゃなくて、まず、わたしが、この蒼い天の下で、祖国の大地の上で、誰が見ていなくても、誰も耳を傾けていないようでも、ささやかに戦いたい』と思うなら、いささかも無力感に囚われることはない」

 これは、ぼく自身が生きようとしている生き方と同じです。

「声を上げる」ことについても、共通するのではないでしょうか。

 それから、もうひとつ申したいのは、小さな呟き声であっても、それがたくさん集まれば、案外に権力者にも届くということです。
 これは20年間の記者生活の結論のひとつなのですが、生活者が友だちに、あるいは近所のひとに、たとえば「アメリカでも中国でも、強い国に言いなりになる日本じゃ、もう嫌だよね」と雑談を交わすだけでも、それがたくさん重なっていけば、自然に、無視できない大きなプレッシャーとなって総理大臣や政府高官たちに、意外なほどに届くように思います。

 これは、なかなか信じてもらえないかもしれません。
 しかし、総理番記者として、中曽根康弘首相や竹下登首相(いずれも当時)が起床する前から首相の身近に詰めて、一日の激務を終えて首相が就寝するまで、息づかいを感じるほど間近で取材した日々に、いちばん、それを感じました。

 だからメールもできない、電話する勇気もない、ブログに書き込んだりすることもためらわれるというひとでも、家族や友だちと祖国や社会のことを話しあうだけでも、ほんとうは充分に意味があることを、ぼくなりに体感した実感として、知っていただきたく思います。


▼もうひとつ、長野事件をめぐって、特定の動画に騙されているのではないかという趣旨の問いが寄せられています。
 これも、最初の問いかけがあった直後に、他のかた( ぼくのつたない考えに、長く関心を持っていただいているひと )が別の意見を書き込まれていますが、ぼくから申したいのは、その動画に出てくる男性はそもそも、「殴られた」とも「殴られて血が出た」とも言っていないのではないか、ということです。

 その動画とは、男性が、「平和の祭典」にペケ印を入れ「血の祭典」と書いたTシャツを着て、赤いもの、または茶褐色のものをあご、頬、腕などにつけて、警官隊と揉めている画像ですね。問いかけで挙げられているのは、そうです。
 ぼくの見たたくさんの動画のなかに、この動画もありましたが、この動画の男性は「殴られた」とか「殴られたので、こうやって血が出た」と言っているでしょうか。

 音声はかなり聞き取りにくい部分もありますが、総じて男性は「中国人の集団に、自分の持っていた旗を奪われた」と警官隊に訴え、警官隊は「そんな刺激的な格好をして、中国人の側に近づくからだ」という趣旨を言っているように聞こえます。
 すくなくとも、男性が「殴られて出血した」と主張している声は、ぼくにはこの動画の中からは聞こえません。
 何度、繰り返し聞き直してみても、そうです。

 推測を含みますが、男性は「北京五輪が血の祭典になっている」という、この男性の主張を強調するために、赤いものを自分の身体につけ、旗を持って、中国人の集団に近づいて集団に旗を奪われ、その旗を奪うという不法行為について警官隊に訴えているようにみえます。
 殴られたとか、殴られて血が出たとか訴えているのではなく、この男性の場合はあくまでも「旗を奪った不法行為を見逃すのか」と訴えている、その音声しか聞こえません。
 警官隊もむしろ、赤いものは血ではなく男性の演出であることを前提に、「旗を奪われた」と言えるかどうか分からないと主張しているようにみえます。

 すなわち、この動画に記録されたケースは、男性も警官隊も、殴打とか出血とかで争っているのではなく、旗を奪われた事実を見逃すのかどうかについて争っているようです。
 不明瞭な音声だけですから、ぼくも確たることは言えませんが、ふつうに音声を聞き、この場面を見れば、そうではないでしょうか。
「殴られて血だらけになっている」という見方は、動画に付けられた、ほかのひとびと( 動画を見るひとびと )のコメントにあるだけです。
「赤いペイントを付けて、嘘をついているのじゃないか」という趣旨のコメントも付けられていますが、この男性は嘘をついていると言うより、血の祭典というみずからの主張を強調するために明らかな演出として赤いものを付けて旗を持っていたように推測するほうが、自然にみえます、聞こえます。
 ただし、あくまでも推測が主であることは、ぼくも、動画に付けられたコメントも、同じです。

 それらのコメントのなかには、「青山がこの動画を見て、血だらけの日本人が…とTVで言っている」という趣旨の大きな文字もありました。
 いろいろな憶測があるのは世の常です。別段、インターネットに限りません。
 だから、ひとつひとつをあげつらって非難するつもりはないし、「ネットの弊害」とも思いません。
 ただ、このコメントについては、動画の中で争われている場面そのものの解釈が、ぼくとは違うようです。


▼みなさん、夜がすっかり明けて、いま朝の5時50分です。
 正直、血の涙が出ます。
 ゆうべは、参議院関係の会合がひとつ、それからさらに海上保安庁の会合がひとつあって、それらをこなしてから、会合を受けての指示や調整を独立総合研究所の役員とおこない、さらにいつもの情報収集をやってから、眠気と疲労を押して、未明から朝までは執筆の時間を確保したつもりでしたが、このブログへの書き込みで、ほとんどの時間が費やされてしまいました。
 朝になればまた、シンクタンク社長としてのアポイントメントや出張がぎゅうぎゅう詰めでぼくを待っています。

 ブログへの書き込みは、ふだんの原稿よりも、時間を使います。
 活字で表現する書籍というのは、ひとに何かを伝える手段として確立されていますが、ネット上の書き込みは、まだ確立されていません。
 環境のまったく違う外国のひと、あるいは、書籍を買うほどの関心は持っていないひとも、きわめて簡単に読める新しいコミュニケーションが、ネットでありブログですから、従来型の原稿を書くよりも、さらに丁寧に書いていく時間が必要です。

 ぼくの原点は、ひとりの物書きであり、それを致命的に離れてしまっては、ぼくはもはや生きられません。
 物書きがプロとして原稿を仕上げ、それを世に問うためには、プロの編集者との確かな信頼が必要です。
 それを裏切ることにつながるのであれば、ぼくが万やむを得ず、ブログを休止することもあると思います。

 ぼくがまともに作家として活動し、小説の単行本「平成」を文藝春秋社から出版した頃も、担当のベテラン編集者から「青山さん、インターネットに書き込むより原稿を書いてください」と厳しく指摘されていました。
 その後、ぼくの執筆時間はさらに少なくなり、とうとうこうやって、作家としては休眠状態で4年が過ぎています。
 雑誌にすこしだけ連載はしていますが、ぼくの個人的な気持ちとしては、単行本を出さないなら作家ではありません。作家全般のことを言うのではなく、ぼく自身に対してのことです。
 今回のノンフィクション原稿を待ってくれている若い女性編集者を、今夜も裏切って、こうしてブログに書き込んでいることを、この編集者に限りなく、限りなく、申し訳なく思います。

 万一、ブログを休止するときは、一切誰のせいでもなく、すべてぼくの非力に責任があります。
 ただ、ブログは誰でも無償で読めるだけに、なるべく、力を尽くして続けたいとは思っています。
 力が尽きるまでは。





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