On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2008-06-20 08:39:44

断腸の記  「凄まじい話」の巻




▼おのれの仕事ぶりに、このごろ不満がつのって、胸の奥が悲しい。
 シンクタンクの社長として、講演やテレビ・ラジオで拙いなりに話す語り部として、大学の客員教授として、ひとりの物書きとして、みずからのどの仕事にも、あまりに未完成という自己評価を下して、暮夜、ひそかに唇を噛む思いでいる。
 朝に向けて、苦しみ抜くこともある。

 プロフェッショナルというものは、おのれだけに課した厳しい基準をどうにか満たしていると胸のうちで静かに感じることができて初めて、プロであることができる。

 未完成は、つらいことだけれども、命の豊かな余韻でもある。
 すべてのクラシック音楽のなかで、ぼくはシューベルトの交響楽「未完成」がいちばん好きだ。
 途中までの楽章があまりに美しく書きあがり、シューベルトがどうしても残りの楽章を完成させることができなかったという伝説の残る、この曲ほどに、みずみずしい響きはわたしたちの世にないと思ってしまうのだ。
 それは、未完成であることがむしろ生み出した、人智を超える清冽かもしれない。

 だが、おのれの仕事の未完成ぶりには、夜半に耐えがたくなることがある。
 特に今は、きょうリリースされる新著について、あともう少し時間があれば、という思いも募る。


▼もっとも、三菱総研の研究員だった時代に、凄まじい話を聞いた。
 当時のぼくも、多忙に多忙が重なって、本がなかなか出せないでいた。

 すると、三菱総研生え抜きのベテラン研究員が、こんな話を聞かせてくれた。
 三菱総研には、一時代を画した、たいへんに高名なエコノミストがいた。
 もう故人になられたから、この話もここに書くのだけど、テレビ出演も多く、一般のひとにもよく知られた日本を代表するエコノミストだった。仮にX(エックス)さんとしよう。
 著作もとても多く、何冊もベストセラーになった。と言うより本を出せば、たいていはベストセラーの仲間入りをした。

 ぼくが共同通信から三菱総研に移ったころには、もう高齢で第一線ではなかったが、まだしっかり在籍されていた。フロアが同じだったから、姿を拝見することもよくあった。

 ベテラン研究員は、若いころに、このXさんにアテンドする役割だった時代があったという。
 たとえば、Xさんが京都へ講演に行く。
 すると新幹線のなかで、この研究員が用意した雑誌や新聞をXさんが、さぁーと読み散らし、記事のいくつかにボールペンで丸を付ける。
 それらはXさんの書いた記事ではない。すべて他人の記事である。
 京都に着いて、Xさんが講演をしているあいだに、研究員は、この丸が付いた記事を切り取り、『きっと、こういう順番だろうナァ』と考える順にその記事を並べて、スクラップ台紙に貼り、クリップで仮ファイリングする。
 え? なんの順番かって?
 それらの記事をXさん著の本にするなら、こういう順にトピックを並べるだろうなという順番なのだ。
 Xさんは講演を終えて、帰京する新幹線に乗ると、そのファイルを見て「ここは、この順番に入れ替えて」と指示したり、すこし何かコメントを言ったりする。
 それはさして長い時間ではない。Mさんは、やがて寝てしまう。
 そのあいだ、研究員は記事の並べ替えをして、Xさんの一言二言のコメントを台紙の余白に書き込んだりする。
 東京駅に着くと研究員は、待機していたフリーライターに、そのファイルを渡す。
 フリーライターは、このファイルをもとに適当に、180ページから200ページ弱ぐらいまでの読みやすい本の原稿に仕立てて、研究員に戻す。文体は「Xさん風」にちゃんと、してある。
 研究員はそれをチェックして、ほとんどそのまま出版社の編集者に渡す。
 やがて出版社からゲラが出るから、研究員がチェックして、出版社に戻す。
 はい、これでXさんの新刊がまた書店に並び、好意的な書評も新聞に載り、かなり売れる。
 Xさんは、フリーライターの書いた原稿をチェックすることもなければ、ゲラに触れることもない。

 ベテラン研究員は、自分の若い時代のこの仕事の話を、なぜぼくにしたか。

「あのXさんだって、こうやって本を次々、出していたんですよ。時間がないことでは、青山さんはXさんより苛酷な状況なんだから、そんなに文章にこだわったりしていては本など出せませんよ。同じやり方をしろとは言わないけど、ざらっと柱だけ書いて並べて、あとは出版社のライターに任せればいいんですよ。ノンフィクションの本は、コンセプトが大事なんだから。文章に凝るのは、青山さんが別途、純文学を書くときだけでいいじゃないですか」

 ベテラン研究員は繰り返し、こう話した。  
 もちろん、まったく皮肉とか、そういうものは混じっていなかった。本気で、そのように奨めていた。

 ぼくは内心ですこし呆れた。
 ただし、ひとさまの仕事ぶりは批判しない。そんなに、えらくない。
 しかし同時に、ぼくは決してそんなふうに本を書かない、生きている限り永遠に。
 そう思った。


▼たぶんXさんには、自分が物書きだという意識が、全くなかったのだろう。
 だからコンセプトを示せばよかったし、たとえば学者の論文にも、他人の論文を批評して、その積み重ねによって自分の論文として仕上げていく手法があるのだから、Xさんのようなやり方も、ひょっとしたら天が許すこともあるのかもしれない。
 その通り、Xさんは、いわば幸せな充実した仕事人生を、最後まで無事に終えられた。

 Xさんの手法は、盗用とか剽窃(ひょうせつ)にあたるとも、必ずしも思わない。
 他人の文章をそのまま引用することはなく、ライターの手によって違う文章に書き換えられているのだから。
 Xさんのバランスの良いコンセプトが、どしどし世に出てくるのは、Xさんファンにとって幸せだったのだろう。

 しかし、ぼくはまさしく物書きだ。
 夜半に、ひとつの句読点をどこに打つかが定めきれなくて、そのまま朝になることもあるし、すでに印刷されて世に出た文章のたとえば動詞ひとつが拙劣であったと気づいて、がっかりと腰が抜けるように落胆することもある。

 わずかな救いは、逆に、その落胆にある。
 そのときは『全力を出し切った。これ以上はもはや推敲できない』と思った文章が、何年か経つと、文章のリズムを変えたいところ、言葉の繋がりを正したいところ、直しどころばかりの文章に思える。一変する。
 すこし辛いけれど、それは、ぼくの文章力が伸びたことの証左かもしれない。まぁ、ひょっとしたらね、の話だけど。





▽みなさん、新刊にたくさんの予約が来ているらしいことに、驚き、深く感謝しています。
 新刊は、不充分ではあっても、これを物書きとして再生する一歩と、必ず致していきます。

 この書き込みは、いつものように機中と、タクシー車内で書きました。
 機中、たまたま山本潤子さん(元ハイファイセット)のナチュラルな哀愁を帯びた歌声をすこしだけ聴いて、断腸の思いが短いあいだながら、やわらぎました。
 歌はいいですよね、いつだって説明抜きだから。





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