On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2008-09-25 05:14:58

ほんとうのぼく

 ほんとうのぼくは、めだつのがきらいだ。
 ひとのうしろで、ひっそりと、しごとをして、ひっそりと、いきていたい。





 小学生のとき、たまたま級長をすることがあっても、級長の責任をすばやく果たしたら、あとはさっさとみんなに混じっていたかった。
 中学のとき、友だちとバンドをつくったら、うしろのほうで目立たないようにサイドギターを弾いて、ただ淡々とリズムを刻んでいたかった。
 新しくメンバーになりたいという奴がきて、「楽器は何も弾けないけど、真ん中でボーカルをやって目立ちたいから、入れてくれ」と言った。
 その男が、爬虫類のように思えた。
 だいぶんあとで、爬虫類に申し訳ないと思った。

 いま週に一度だけ、ジムに行って、身体にひそむ力と意志を絞りきってバーベルを挙げるとき、ぼくのいまの生活のなかで珍しく気持ちのいい時間だ。
 しかし、ひとつだけ、すこしだけ嫌なのは、そのジムで鏡に映る自分に見とれながらダンベルを挙げるひとが横にいたりすることだ。
 目立つための、見せるための筋肉を作ろうとしているように思えて、それはそのひとの考え方と選択だからまさか決して干渉はしないけど、ぼくにとって筋肉は見せるためのものじゃなくて、なにかの競技や働きのために、気持ちよく使い切るためのものだから、鏡の自分に見とれる人の横には、あんまり居たくない。

 きのう組閣の取材をしていて、ひとのためではなく自分のために閣僚をしていると、ぼくには思える人が少なくとも一人いて、それが胸のうちで哀しかった。
 ますぞえさん、あなたです。
 七十五歳を超えたひとびとも、薬害に苦しみ抜くひとびとも、あなたにとっては、鏡に映る自分を見るための手段になっているのではないですか。

 テレビにたまに顔を出していて、すこしつらいのは、みんなに伝えるべきを伝えるためには、カメラに映らねばならないことだ。
 姿なき魂だけで、伝えられないかなと、ふと、考えたりする。

 ぼくにとって、仕事のほんとうの理想は、みどりに埋もれたような書斎で、ひっそりと、ただ物を書いていること。
 その書斎の近くの海や川で、週に一度じゃなくてさ、まいにち、スポーツをして、汗が引いたら、またひっそりと息を沈めて、ただ書くのさ。


 あぁ、ぼくのこの間違った人生。
 このさき、まもなく、もっと間違いそうな予感があって、しかしそれが天命ならば、すべて受け容れましょう。
 そしてきっとまた、ぼくには想像もつかないようなぼくを作られて、曲解もされる。

 みなさん、こころから申し訳なく思うけど、ぼくは自分の命を守らない。
 みんなの命を護る仕事は、させてください。それが自然に仕事になったということは、おそらくは天命なのだろうから。



 大阪にて 未明3時40分
 夜は長いようで、短く明ける





  • 前の記事へ
  • 記事の一覧へ
  • 次の記事へ
  • ページのトップへ
  • ページのトップへ