On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2010-01-05 11:20:14

ぼくらの祖国  その2

(承前/その1から続く)

 カットはこうしたところだけではなく、たとえば時間が足りなくて全くの舌足らずになってしまった経済の話はすべてカットされていますから、特に検察や小沢さんの話を避けたということではないだろうと思います。
 要は、収まり具合をみて、バランスよく残すことに苦心した跡のある編集ぶりです。
 関テレだから擁護しているのではありません。そんなことはしません。ちなみに、関テレと独占契約していると誤解されることが少なくないのですが、ぼくは一切の芸能プロダクションなどと関係を持ちませんから、そんな契約はありません。どこのテレビに出ようと自由ですが、たまたま現在は関テレが多くなっているというだけのことです。

 世の中からさまざまに誤解や曲解は受けます。それは世の常ですから、むしろ甘んじて受けるべきなのですが、テレビ番組への参加(出演)に関しては特に、ほんとうに多いですね。
 ネットであれだけ蔑視されているテレビですが、みんなの関心はまだまだ強いんだなぁと実感します。新聞や雑誌に寄稿した記事では、誤解を受けるなんてこと自体が、あまりないですからね。

 ついでに言えば、中国の四川大地震のとき関テレの番組内で、関テレの現地特派員と生中継で繋がって「○○さん、青山繁晴です」と呼びかけたら、「大物のつもりでいる」とネット上で、書き込まれたことがありました。○○記者と選挙取材を一緒にやって苦楽をともにしたことがあり、音声の状態が悪い状況の中でもぼくと分かるように名乗ったのだし、また、彼が知友であってもなくても、質問しているのが誰か分かるように名乗るのは当たり前ではないでしょうか。

 こういうのを思い出すと、たとえば、ぼくが三菱総研にいたというだけで「防衛利権と深い繋がりがある」という趣旨を平気で書き込まれたりしたのを思い起こします。ぼくがいつ、どこで、どんな防衛利権に預かったのですか。その利権とまさしく戦っている仕事の、何を知っているのですか。

 ぼく自身も肝に銘じねばならないのは、ひとはどうやら、おのれの隠れた欲求に合わせて、世のことども、世に棲むひとを曲解するらしいという教訓です。

 ぼくも似たようなことをやっていないか、自戒し、発信するときにいつも事前に、深く考えるようにしています。
 誤解や曲解がいけないのは、被害を受ける当人の名誉を不当に傷つけるだけではなく、間違った情報を広く流布する怖れがあるからです。だから誤解や曲解を、ほんとうに誠心誠意、避けなければいけませんね。

 話が逸れました。
 元に戻すと、この番組は「爆笑!」と銘打っているとおり、ほんらいは芸能・お笑い中心ですから、ぼくの堅い話にあれだけ時間を取っていること自体が、かなりの踏ん張りではないでしょうか。
 それは関テレと言うより視聴者の踏ん張りでもあると思います。


▼さて、早くアップしたいと思いつつ、年末年始も上述したように原稿に必死で、なかなか時間がとれなくて書けないでいた、いくつかのことを、書き込んでおきます。


▼まずは、4月に新しく始まるインターネットTVの「青山繁晴.TV」(あおやましげはる・ドット・ティーヴィー)の試験版は、予定通り毎週金曜にアップされています。
 1回目(12月18日)はhttp://www.youtube.com/watch?v=PuWsRxO8qL0でした。2回目(12月25日)は、http://www.youtube.com/watch?v=vzZJsQr_-Mkで、3回目(1月1日)はhttp://www.youtube.com/watch?v=eT_o31vzCuIです。
 またインターネット・ラジオの試験版、「やっと話せる青山繁晴の深ーい話」も同じように毎週金曜日にアップされています。
http://www.voiceblog.jp/yuukidesu/

 TVもラジオもアップされる度に、独研(独立総合研究所)の公式HP にURLが載りますから、よろしければ活用してください。
http://www.dokken.co.jp/


▼これらネットTVとネットラジオについて「検索しても出てこないよ」という心配を、昨年中に多くのひとからEメールや書き込みでいただき、協業しているプロデュース会社に問い合わせました。
 意外にも、YouTubeは検索でヒットするようになるのに時間がかかるそうですが、プロデュース会社がYouTubeに働きかけてくれたことが奏功してか、もうかなり前から検索でヒットするようになっています。

 ぼく自身が試してみると、YouTubeのトップ画面で、「青山繁晴」と入れても、「青山繁晴.TV」と入れても、試験版の「青山繁晴のココだけ話!」というタイトルを入れても、いずれも、現在アップされている試験版が、検索の1ページ目(第1回、第2回の分)と2ページ目(第3回分)に出てきます。

「青山繁晴.TV」というタイトルの動画は、今はありませんから、念のため。
 それは4月から本番が無事に始まった場合のタイトルです。

 ネットラジオの方は、グーグルに「青山繁晴」と入れてみると、検索結果の1ページ目に「やっと話せる青山繁晴の深ーい話」というタイトルが出てきます。


▼このネットTVとネットラジオの収録の様子を、この機会にありのままに記しておきます。
 収録は、先に書きましたように昨年の12月7日月曜の午前、3時間を使って、一気に行いました。

 このネットTV、ネットラジオの仕事は、これまでの仕事の上にオンする形で始まりましたから、午前の3時間を空けるためには、その分の別の仕事を前夜に済ませておく必要があります。
 というわけで徹夜となり、頭の回転ぐあいを良くしようと熱い朝風呂に入っていると、自宅を出る時間がぎりぎりになりました。
 そして渋滞が予想よりもずっとひどくてタクシーがなかなか進まず、都内の小さなスタジオに着いたときには20分を超える大遅刻となってしまいました。
 最初から大失敗です。

 インタビュアーの川崎さちえさんとは初対面で、こりゃ、きっと不機嫌でいらっしゃるだろうナァと思いつつ、部屋に入ると、川崎さんはとても温かく迎えてくれ、ぼくのお詫びをさらりと受け容れてくれて、ホッとしました。
 川崎さん、そして心配をかけたプロデュース会社のスタッフのみなさん、あらためて、ごめんなさい。

 部屋は、ほんとうはラジオ番組の収録用だと思います。狭い一室で、マイクを置いた机を挟んで向かいあうスタイルのスタジオです。
 ここで、音声だけじゃなく動画を撮らねばならないから、ぼくと川崎さんが、ほんらいは1人用の片側スペースに2人並んで座ることになり、女性ですから、肩などが触れないようかなり気を遣いました。

 収録は、すべて自由に行ったわけではありません。
 プロデュース会社のディレクターが、10ほどのテーマを決め、それに沿って作られた台本に基づいて川崎さんは、ぼくに質問していきます。

 ただし、ぼくがどう答えるかについては、まったく台本も何も作られてはいません(仮に作られていても恐縮ながら無視します)。
 ぼくがその場で頭に浮かぶまま、自在に話しています。

 それでも1点だけ、縛りがあって、それは時間です。
 プロデュース会社のディレクター陣は「ネットで動画を人が集中して視てくれるのは6分ぐらいまで」という考えを持っていて、1つのテーマについて10分、収録し、それを6分に編集するという方針です。

 ぼくは、たとえば講演では、最短で1時間半、ふつうは2時間から2時間半、長い時間が許されている場合は4時間、ぶっ続けで話します。
 おのれの意識としては、自分は決して話すのが上手でも得意でもなく、そして本業でもなく、ぼくはひとりの物書きです。
 だけど話す以上は、根っこの哲学にかかわることから、現場の具体的な事実まで、必要な最小限度の質と量を確保して、それによって聴衆のかたがたにご自分で考えていただくためのきっかけ作り、問題提起をしたいと考えていますから、それぐらいの時間があっという間に過ぎます。

 正直、ネットTVとネットラジオをやらないかという話が最初に来たときは、うーむ、自由なネット上だから、ブチ抜きの話をやれるのかな、と思いました。
 しかしプロデュース会社からは「ネットはむしろ、最後まで視てくれる人を確保するのが、たいへんです」という考えが示され、ぼくも独研(独立総合研究所)もネット番組の制作に関わるのは初めてですから、まずは、その考えを受け容れました。

 そこで、この日の収録は、政治から経済、外交、安全保障から純文学についてまで、10のテーマをそれぞれ10分づつ話すことになったのです。
 アップされている動画の中で、ぼくの目線がときどき川崎さちえさんでもなく正面でもなく、すこし横っちょの方を見ている場面があります。それは「あと●分」という紙を出しているディレクターを見ているのです。
 そして、ぼくはそういう人を単なる「紙出し人」とは決して思わないので、つい、その人にも話しかけるようになっています。たぶん、動画を視るひとにとっては「どっちを向いて話してるの?」という感じもあると思います。

 こうやって一気に撮っていったものを、すこしづつ新年1月22日の金曜まで、毎週金曜日に出していくわけですね。
 ちなみに最新アップの第3回は、テーマとテーマの間の時間に、何気なく雑談で川崎さんに話したものが、そのまま1回分としてアップされています。

 ネットTVでは1回を6分間に縮めてありますから、できればネットラジオと合わせて視聴していただくほうが、ぼくがみなさんに伝えたかったことが、よりそのまま伝わると思います。


▼それから、活発に発言されているジャーナリストの西村幸祐さんと、大人気のエコノミストの三橋貴明さんとぼくの3人による鼎談が掲載されているムック、「反日マスコミの真実2010」(オークラ出版)が年末から発売されています。

 ぼくは、もともとは「反日」という言葉が好きではありませんでした。ひとに一面的なレッテルを貼ることは、しないからです。
 今も好きではありませんが、日本の国内に「反日」という力が存在することは事実であると、実感はしています。
 日本を愛するとは言ってはいけないという教育が実在し、政党が実在し、メディアが実在する。それは、国際社会では信じがたいほどの異様な現実です。

 ただし、このムックの編集や発行に、ぼくが関わっているわけではなく、ただの鼎談の参加者に過ぎませんから、この書のタイトル付けも、ぼくはまったく関与していません。
 このムックに載っている他の記事も、申し訳ない、ひとつも読んでいません。

 鼎談の中のぼくの発言で、ぼくがテレビ出演をめぐって圧力を受けた話があります。
 ぼくの身に実際に起きて、それに対抗してぼくが現実に行動したことだけを述べていますから、知る人は非常に限られています。番組の制作スタッフで知っている人は1人もいないと思います。
 逆に言えば、ぼくに降板を示唆した本人、それから、ぼくから追及を受けた当局の当事者たちしか、その事実を知りません。

 鼎談で述べているとおり、ぼくはテレビが本業ではないから降板はいいけど、当局が圧力をかけているのなら許し難いから、降板を実質的に促された、その翌日に当局側にひとりで出向いて旧知のトップクラス(複数)と会い、強い怒りを述べ、事実関係を調べるように求めました。
 このトップクラスのひとたちは良心派であり、驚いて、調べてくれた結果、鼎談にあるような経緯となったのです。

 ただ一点、注意していただきたいのは、ぼくは「当局」とだけ記していて、どこの政府機関であるかは書いていません。
 ネット上では、それを推測して、ある一省庁の名が書き込まれています。もちろん、その推測も書き込みも全くの自由であり、むしろ全面的に保護されるべき、みんなの権利です。
 しかし、ぼくが鼎談でその省庁を名指ししたというふうになれば、それは事実ではありません。ぼくは、どこも、そして誰も、名指ししていません。
 それは自分を護るためじゃない。はばかりながら、一命を捧げて、非力なぼくなりに戦っているのです。一死一命、いつ死んでもよい。そうでなければ、発信もしません。
 当局と人名を名指ししないのは、これは関西テレビ報道局のフェアな頑張りを、まさしくぼくなりに助けるためであり、また当局内部で誠実に内部調査と叱責をしてくれた良心派に報いるためです。

 どこの誰であれ、民主党だろうが自民党だろうが、テレビ局だろうが当局だろうが、誠実に、フェアに踏ん張るひとなら、ぼくはささやかに助けることもあれば、わずかに報いようともします。


▼最後に、年末の12月21日月曜に、チャンネル桜(日本文化チャンネル桜。スカパーの中にあるチャンネル)で田母神俊雄・前航空幕僚長と対談しました。
 というか、田母神さんがチャンネル桜で、歌手のsayaさんというかたと一緒に「田母神塾」というレギュラー番組を持っておられて、そこにゲストとして臨時参加しました。

 放送は、1月8日金曜と1月22日金曜の2回に分けて行われます。
 2回目に放送されるだろう分は、田母神さんがちょっと意外なことについて「ぜひ、聴きたい」とおっしゃったので、ぼくも話す予定じゃなかったことを長く話してしまいました。
 見苦しかったら許してください。
 田母神さんの眼の奥に、静かな思慮深い色があったのが、とても印象的でした。ご本人には話していませんが…。


▼写真(その1の冒頭)は、東京湾岸の初日の出です。
 この苦しかった年末年始で、ただひとつ良かったのは、史上初めてという「元旦の月蝕」を、肉眼でも望遠鏡でも、魂に残るほどくっきりと、元旦の未明4時すぎから5時まえまで見られたこと、そしてそれから1時間55分ほどあとに初日の出、そして屹立する富士山に両手を合わせることができたことです。

 さぁ、ぼくはほどなく、平成22年、2010年、皇紀2670年最初の大阪出張に発ちます。
「爆笑!こうなる宣言2010」でも正直に申しましたが、ことしほど予測の付かない年もない。
 ぼく自身がさて、どうなるのか分かりません。

 ただ、もしも生きていれば、ネットTV、ネットラジオの4月からの本放送は実現したいと思っていますし、その新事業にも取り組む独研の灯火(ともしび)を絶やさず点し続けるし、もし生きていれば、扶桑社から「ぼくらの祖国」という新刊、PHPから新書版の天皇陛下をめぐる新刊、そしてある老舗出版社に約束している硫黄島をめぐる新刊、さらに、7年越しで書いている純文学の小説新作を、みなさんの前にお出ししたいと考えています。

 書籍をめぐって、多くの方にあらためてお礼を申したいのは、「王道の日本、覇道の中国、火道の米国」(PHP)を買い求められるひとが、いまだ絶えないことです。
 今は、新刊があっという間に売れなくなり、すぐに消える時代。そのなかで、昨年の8月に出版されたノンフィクションが、いまだに動きがあるというのは、例外的です。
 ぼくとしては、時代を超える思い、理念も込めたつもりなので、こころから感謝しています。

 さて、背中痛は、トレーナーの素晴らしい協力もあって、もう治せました。
 今もパソコンの前に屈んでいるわけだけど、痛くない。

 もしも、ことしに命が絶えるのであっても、独研の灯火だけは、後継の誰かに託していきます。日本国には、既得権益から独立した民間の知恵の集積所、シンクタンクが必ず不可欠ですから。
 そして、祖国と世界のために、命をみずから投じなければならない局面がもしもあるとしたら、志をともにするひとを募りつつ、そのひとびとは全力で護りつつ、天命に従うでしょう。
 武士道といふは(余人のために)死ぬことと見つけたり(葉隠)。




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