2010-01-11 22:34:23
清涼の風 その2
まだ、やるべきこととは、靖国神社に合祀されない、いわゆる賊軍とされたかたがたの御霊と、それから外国人の戦没者の御霊のいらっしゃる場所への参拝です。
靖国神社の拝殿の向かって左側に、他の場所とはまったく気配の違う一角があります。
そこには元宮(もとみや)と鎮魂社があります。
元宮は、靖国神社の出発点となった、小さなお宮です。そして鎮魂社こそ、合祀されざる御霊のお宮です。
独研の自然科学部長は、以前にこの鎮魂社に参ったとき、凄まじい気配を感得して気分が悪くなったことがあります。
だから事前には靖国神社に、「鎮魂社はわたし一人で参拝します」と伝えていたのですが、この日、自然科学部長は、独研としての正式参拝であることを考えたのか、「わたしも参ります」とみずから、さらりと述べました。
ぼくら3人は、到着殿の玄関で、権宮司らにお別れを告げ、松本権禰宜らおふたりの案内で境内を行きました。
境内には、さまざまな参拝客がいらっしゃって、旗を立てた団体のかたから、ひとりで来ているらしい若いひとまで、ちょっと嬉しくなるような多様さです。
とくに若いひとが少なくないのは、心強い。
さて、元宮と鎮魂社の鎮座する一角の門前に達すると、参拝客は誰もいません。
誰でも入れます。しかし、ぼくはこれまで参拝客に会ったことがない。今日もいませんでした。
そこが何であるか、ご存じないひとも多いからなのでしょうが、ほんとうの理由は、足を向けにくい、足を向けても、その門をくぐりにくい、独特の強い気配が漂っているからかもしれません。
この門は実際、ぼくも自分の背中を押すようにしないと入れません。
この日も含めて明るい、晴れた日でも、必ず雨の日のように陰っている門と、その内側です。
松本権禰宜から「この門を開いたのは、まだわずか3年余りまえのことです」という説明もありました。
その門をくぐり、まず元宮に参って二礼二拍手一礼をおこない、靖国神社創建への道を開いてくださったことに感謝を捧げました。
秘書は背後で待機し、ぼくと自然科学部長のふたりで行いました。
それから、いよいよ鎮魂社への参拝です。
ぼくのその場の判断で、自然科学部長は秘書とともに背後で控えることとし、ここは、ぼくひとりで参ると宣しました。自然科学部長は、この門内に入っただけで良しとすべきだと判断したからです。それぐらい、ただならぬ雰囲気がここにはあります。
写真は、鎮魂社へ入るまえの、深い一礼です。
ここだけが鳥居がないのです。
しかし、鳥居がある場所と同じように、深い礼をさせていただきました。
写真は、そのときの様子です。もちろん松本権禰宜が撮影してくださいました。
そして鎮魂社のまえに進み出て、二礼二拍手一礼をおこない、魂が鎮まりきらない気配を感じつつ、後ろに下がりました。
そして、ここへ同道くださった靖国神社のおふたりに、「ぼくは、賊軍とされるひとびとも、祖国のためであると信じて戦ったひとびとであるのなら、合祀されるべきだと考えています」と語りかけました。
靖国の側からは「神道の考えでは、いったん祀られた御霊は、永遠にここにおられます。青山先生のお考えはよく承知していますから、何か別の方法で、祀ることができないか考えているところです」という趣旨の表明がありました。(先生という尊称は、ぼくが記すのはあまりに僭越ですが、先方がおっしゃったままに記録します)
この「いったん祀られた御霊は、永遠にここにおられます」という神道の考えを無視するように、占領軍からA級戦犯とされたひとびとを「分祀せよ」という考えが、政治家から、自由民主党内も含めて、一部とはいえ強く主張されてきました。
神道の施設である靖国神社に、神道の考え、信仰のあり方と異なるふるまいを政治が強制することなどできません。
そもそも神道で言う「分祀」とは、祀られたところから御霊を切り取ってしまうことを指すのではなく、祀られたところの御霊はそのままで、下世話な表現を許してもらえば、いわばお裾分けのように各地にも祀ることです。A級戦犯の分祀論は、単に政治家の勉強不足から出ている側面もあると思います。
そして、祖国のためにこそ亡くなったひとを公平に祀るという根本的な考えを思えば、靖国神社ご自身も、賊軍とされているから別に祀るということは克服していくべきではないか、というのが、ぼくのふだんからの問いであり、この日も、そのまま申しました。
案内を頂いたから言わない、お世話してもらったから言わないのではなく、ふだんと同じことを言わねばなりません。
靖国神社の側が、きちんと誠実にお答えくださったことに感謝します。
ぼくは、民主党中心の現政権が考えているような「靖国神社に代わる、無宗教の国立戦没者追悼施設」の建設には、真っ向から反対です。
しかし同時に、靖国神社の現状がこれで良いとは思っていません。
まず、京極宮司にも申しあげたように、靖国神社を私的な施設にしておくのではなく、国家と国民による護持が不可欠です。
そのうえで、東京・九段の地域全体を再整備し、前述したように一神教の概念による「宗教」と言うよりも日本の伝統文化の根っこである神道、あるいは西欧的な概念ではくくれない民俗的信仰である神道による靖国神社を、中心施設にしつつ、仏教、キリスト教、イスラーム教をはじめとする多彩な宗教による戦没者慰霊施設を創建し、特定の宗教に依らない千鳥ヶ淵戦没者墓苑もその地域に包摂し、前述した母のようにキリスト教徒であっても、どのような立場のかたでも、祖国を愛し、祖国のために一命を捧げたかたがたへの永遠の敬愛を捧げることのできる地域を造るという考え方を持っています。
ただし、その目的のひとつは、靖国神社を弔いの中心に据え直すことにあります。
自民党の中川秀直さんなどの唱える「千鳥ヶ淵戦没者墓苑を拡充して大公園にする」という考えに、もしも靖国神社の役割を小さくする狙いが隠されているのなら、それには正面から反対します。
そして、もしも靖国神社の国家と国民による護持が実現するのなら、その際には、遊就館(靖国神社の境内にある戦争博物館)の展示も見直し、なぜ日本が戦争に敗れたのか、後世のわたしたちと子々孫々にフェアに明示されるべきだとも考えています。
たとえば零戦についても、戦争の初期には勝利をリードしたけれども、人間(パイロット)の守りが手薄である弱点を見抜かれてからは、むしろ敗北の理由にもなり、それを改革したいと設計者やパイロットから切実な改善案が出ているのを海軍軍令部が無視したことを、ありのままに明示すべきです。
ぼくがかつて新潟での講演でこれを述べたとき、講演のあとの懇親会で、「私は零戦のパイロットでした」というかたが、ぼくに話しに来られました。
高齢で小柄ながら、背筋のきりりと伸びた素晴らしい雰囲気のかたでした。そして「あなたの言うとおりだ。あの戦争の、ほんとうの総括はまだ終わっていません」と決然と、おっしゃいました。
▼元宮と鎮魂社に別れを告げて、その域の門を辞去し、すべての参拝が終わりました。
胸の内でほっとしつつ、松本権禰宜らに、心からのお礼を申してお別れし、独研の3人だけで、境内を広く散策しました。
松本権禰宜らからは、もっとご一緒してもいいんですよ、という様子も感じられましたが、それはあまりに申し訳ないと思ったのです。
まずは、一般参拝客と同じく、お守りやお神籤(みくじ)を買い求めました。
ぼくは、新年早々には、自宅近くの小さな神社に初詣をしています。それはビルの屋上にある、あまり知られていない神社です。
そこで引いたお神籤には、「世のために人のために尽くせ」とありました。そして、靖国神社で引いたお神籤には「困難が続くが、踏ん張り続ければ、前途は明るい」という趣旨がありました。いずれも、その通りだと思います。
それから、3人で焼きそばと甘酒(運転するぼくだけはお水です)をいただき、遅い昼ご飯にしました。
この日に同行した秘書のAは、もともと靖国神社などにきちんとお参りをしている34歳の、志ある女性です。正月三が日にお参りしたときは人で埋まっていたことなどを話してくれました。
ぼくは、社有車を駐めた場所に戻りつつ、自然科学部長に、淡い水色の清涼の風、真冬で、しかもそう暖かい日でもなかったのに寒くなかった不思議な風のことを聞いてみました。
彼女は感じなかったそうです。そして感じなかったことをむしろ当然のこととして、感じた者の責任について、さらり触れるように「それは、そういうことだったんでしょう」と言いました。
▼さて、これにて、ささやかな参拝記は終わりです。
最後にみなさんに付け加えておきたいことが、いつつ、あります。多いですね。
ひとつ。
この靖国神社には、沖縄戦の白梅学徒看護隊をはじめ学徒看護隊の少女たちも合祀されています。
しかし、前述の神職、岳さんの努力で、沖縄の白梅の塔で敗戦後初めてと思われる祭祀が昨年に行われたとき、ぼくの敬愛する中山きくさん、すなわち白梅学徒看護隊の生き残りのお一人であり、学徒看護隊の弔いのために長年、努力をされてきたかたは、同じ学徒看護隊の生き残りのかたがたと話しあわれた末に、その祭祀には参加されませんでした。
ぼくはそれを残念に思いますが、同時に、中山きくさんらのお気持ち、お考えもこころから尊重します。
だから、この参拝記でも、本文では触れませんでした。この付記には、少女たちへの尽きない思いも、明記させていただきます。
ふたつ。
靖国神社のほんらいの表記は、靖國神社です。
ぼくはふだん旧字体を原則、使いません。こうした参拝記だけ急に使うのはおかしいのと、靖国神社の公式HPでも、新字体、旧字体が併用されていますから、この参拝記は新字体で通しました。
しかし靖國神社という文字の深い落ち着きは、ほんとうに捨てがたいものがあります。
みっつ。
ここまで記したような正式参拝、すなわち本殿にあがる昇殿参拝は、申し込まれれば誰でも、できます。
特定の人間の特権ではありません。
この、小さな参拝記で関心を持たれたかたがもしもあれば、日本国民、外国人を問わず、もちろん考え方のいかんを問わず、靖国神社の公式HPの「昇殿参拝のご案内」をクリックすれば、いかに障壁なく昇殿参拝ができるか分かっていただけるでしょう。
10人以上の団体による昇殿参拝は、事前の申し込みが必要ですが、それ以下のグループや個人は、その時に思い立って申し出られれば、どなたでも昇殿参拝ができます。
よっつ。
みっつめに連なって、広く知っていただきたいことは、靖国神社がほんとうはどんなところか、昇殿参拝をされれば、日本国民、外国人を問わず、もちろん考え方のいかんを問わず、理解されるひとも多いだろうということです。
それは明治天皇が詠まれた御製(お歌)のとおり、祖国と世界よ、安かれという場所なのです。
ぼくが自衛隊に代えて、日本の永い歴史で初めてとなる国民軍の創設をかねてから主張しているわけも、まったく同じです。
戦禍を引き起こさないためにこそ、それから拉致のような国家テロをも二度と引き起こさないためにこそ、必要なのです。
いつつ。
この小さな参拝記は、いずれ書物用に書き直して、ことしに出したい新刊に盛り込みます。
たとえば、ことしPHPから出版を予定している天皇陛下というご存在をめぐる新書です。これは、まずPHPの論壇誌「VOICE」への集中連載で始まり、それが完結してから、もう一度、筆を入れたうえで、新書にまとめることになる見通しです。
それから、扶桑社から出版を予定している「ぼくらの祖国」にも入れたいと思っています。
もちろん、2冊はそれぞれの内容にふさわしいよう書き分けをします。
▼最後の最後に、参拝記とは別のお知らせを記しておきます。
4月スタートを予定しているネットTV、ネットラジオの試験版の最新アップが、予定通り1月8日金曜にありました。
ネットTVがhttp://www.youtube.com/watch?v=a6Y8OF3ACI0、ネットラジオがhttp://www.voiceblog.jp/yuukidesu/です。
これまでの試験版への多数のアクセスに感謝しています。試験版アップも、あと2回だけです(1月15日金曜、22日金曜)。
よろしければ、最終回まで、どうぞ。
- 2014-12-31 19:29:41
- さらば
- 2014-12-30 23:57:22
- あらためて祖国へ
- 2014-12-30 17:37:16
- 簡潔にお答えしておきます
- 2014-12-26 12:00:17
- みなさん、一気の情報です。(サイン会福岡の曜日を訂正しました)
- 2014-12-26 06:46:31
- きょう欧州出張へ出発なのですが…
- 2014-12-23 22:08:28
- 知らせてくれ、というリクエストが多いので…
- 2014-12-23 12:45:01
- 実はぼくも今、知ったのですが…