On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2010-07-28 12:02:45

うれしいこと、そして哀しいこと





▼ぼくが今のところはただ一作だけ発表している、純文学の書、「平成」(文藝春秋刊、現在は絶版)を、ご希望のかたにお分けする作業は、先の土日に、一応は完結しました。
 まず7月24日の土曜に、58冊、そして25日の日曜に44冊を都内の郵便局から発送しました。

 今ちらほらと「受け取りました」というメールが届いています。


▼土日にはなるべく社員を休ませたいので、土曜日は、独研(独立総合研究所)の取締役自然科学部長の青山千春博士が、ひとりで「平成」58冊をタクシーで都内の郵便局へ持っていき、料金別納郵便のスタンプを1冊づつ(ひと包みづつ)に押して、発送しました。
 この日、ぼくは大阪に出張していて、講演会とその後の懇親会で集まったかたがたにお話をし、質問に答え続け、大阪に宿泊しました。

 日曜日、ぼくは大阪から帰京すると、そのまま空港から独研へ、経費節減のため自分で車を運転して出社し、「平成」のうちサインが残っていた分にすべてサインをし、それから大阪の幼稚園から頼まれていた園児、保護者、園長先生への色紙に揮毫し、やはりぼくの運転で都内の郵便局へ向かいました。
 車に積むとき、44冊はずっしりと重く、『昨日の土曜日、青山千春博士は58冊がさぞ重かっただろう』と思いましたが、日本の女性で初めて船長となったひとである青山千春博士は、いつものように、「たいへんだった」とか「重かった」といった愚痴めいたことは、ひと言も口にしませんでした。

 郵便局へ着くと、窓口で係員から料金別納郵便のスタンプをふたつ借り、ぼくと青山千春博士で1冊づつ(ひと包みづつ)、料金別納郵便のスタンプを押していきました。
 途中からは、ぼくひとりで押しました。
 押すたびに、祈りの気持ちを込めていることに、青山千春博士は気づいたようで、すべてぼくに任せて、黙って見ていました。
 そして全冊を窓口へ運んで、全国で待たれているかたがたへと、発送しました。

 青山千春博士は、ぼくがスタンプを押しているところを、携帯電話で写真に撮りました。
 この自然科学者は、ふだんあまりそういうことをしないので、ちょっと珍しいことです。

 それから、夜の会合へ出席するため、車を都内に置いて、タクシーで出かけました。
 車内で、発送を終えてすこしホッとした気持ちを、一瞬だけ味わいました。


▼この「平成」について、希望されるかたを募り、大量に届いたメールの一通一通について、ご意志を確認し、届け先を確認し、さらにどのようにサインして欲しいかをお尋ねし、その通りにサインし、サインが間違っていないかをすべて丁寧に確認し、さらに本に汚れがないかを調べ、あればすべて消しゴムを使った手作業で、汚れを落とし、それらを梱包し、そうして上記のように発送するまでには、ありのままに申して、膨大な手間と時間がかかりました。

 最初から覚悟していたとおり、大幅な赤字の作業であり、独研は書籍の発送や販売を過去にしたこともなく、これが最初で最後、ただの一度切りになると思います。

 ご意志を確認したのは、「平成」が今のところは絶版になっている本であり、ごくごく限られた数しかないからです。
 所望されたかたがたの数は、現存する本の数より、はるかに多く、ほんとうに欲しいというひとだけに、きちんと渡るようにしました。

 どのようにサインして欲しいかをお尋ねしたのは、サインするぼくは、大量の本にサインするわけですが、受け取られるかたにとっては、ただ1冊のサイン本だからです。
 ぼくはふだんから、サインする時には、相手のお名前のほうを尊んで、真ん中に大きく書きます。その左横に、ぼくの名は小さめに書きます。
 たとえばサイン会で沢山のかたが並んでおられて、1人のかたが複数の本をお求めの場合は、うしろに並んでいるかたがたを考え、やむを得ず2冊目はぼくの名前だけにしたりすることもあります。
 しかし、ほんらいは相手のお名前のほうを大切にします。

 ですから、サインで入れるのは、ご本人のお名前なのか、ご家族のかたのお名前なのか、その両方なのか、あるいは愛称なのか、さらには贈呈される予定があって、そのかたのお名前なのか、すべて確認してからサインすべきだと考えました。
 また、たとえば「吉野」さんというお名前があれば、「吉」の上は、「士」なのか「土」なのかも、お一人づつメール交換をして確認していきました。

 サインに、わずかな間違いもないか確認したのは、お名前を間違えられるのは、きっとご本人にとってはとても悲しいことだろうからです。

 本の汚れは、「そのままでもまったく構いません」というメールも実は沢山いただいたのですが、これは青山千春博士が、本人は何も言いませんが、受け取るかたと、それから心血を注いで執筆したぼくの気持ちの双方を汲んでくれて、「すべて手作業できれいにする」と決めたのだろうと思います。

 梱包は、1冊も事故のないように願って、丁寧に行い、料金別納郵便のスタンプは、そもそもが発送者みずから行う決まりかも知れませんが、それは郵便局員には聞かず、これも全員のかたに確実に届くように願って、自分たちで押しました。


▼この「平成」の発送は、青山千春博士の発案です。
 独研は最近、本社を移転しました。経費節減と、それから警備上の理由もあってのことです。
 その移転の引っ越し作業のなかで、青山千春博士が段ボールに入った、絶版本である「平成」を見つけました。

 現在の独研は、人手もお金もまったく足りませんから、自然科学部長の青山千春博士が総務部長代理も兼ねていて、引っ越し作業の指揮をとり、業者任せにはせず膨大な荷物を作りました。
 その極端な多忙のなかで、絶版本を見つけたのですから、ふつうは、そのまま置いておくと思います。
 ところが博士は「欲しいかたにお分けしませんか」と社長のぼくに提案しました。

 青山千春博士は、自然科学者と船乗りの性格を合わせ持ったひとで、センチなところはありません。そして、ぼくの書くものはほとんど読みません。ぼくの書くものだけではなく、文系のものは読まずに、数式と記号で埋め尽くされている科学論文しか、ふだんは読まないし、本人が書くものも、数式と記号が中心の論文が大半です。
 この自然科学者&船乗りが、いったいいつ、絶版本の「平成」を手に入れたいという希望者が実は多いことを知ったのか、ぼくは不思議に思いました。
 それに、独研にとって負担が大きく、赤字になるのも、目に見えています。
 しかし、提案されたその場で、OKを出しました。

なぜか。
 水産庁という、はっきり申せば弱小官庁(ごめんなさい)から、大赤字になることが確実な低予算で、「漁業資源だけではなく、国民の未来のためにメタンハイドレートの調査をやりたい」、「魚群探知機を使って超低コストで調査できる特許技術を持つ青山千春博士が検討してくれるのなら、前へ進めたい」という提案があったときのことを思い出したからです。
 ぼくはその提案を断ろうと、いったんは考えました。
 赤字の予想幅が大きすぎるのと、低予算のために人手も確保できず、ほんとうは体調も良くない青山千春博士にとって負担が大きすぎるからでした。
 ところが博士は、ただひと言、「社長、やりましょう。祖国のためですから」と言いました。
 この時もぼくは、『数式に埋もれている研究者の青山千春博士が、祖国なんて言葉をどこで覚えたのかな』と驚きつつ、博士の意思を尊重しました。

 ぼくは、上記のことを思い出したことを、博士本人には何も言わず、「平成」をお分けしたいという提案にOKを出しました。
(青山千春博士は、このぼくのブログも読みませんから、ぼくが即、OKを出した理由はこれからも知ることがないと思います)


▼そして「平成」をお分けすると、独研の公式HP、それにぼくの地味ブログで告知すると、想像を絶する数の「欲しい」というメールが来ました。
 こころから、うれしかったです。

 ただ、当初は60冊しか見つけていませんでしたから、あまりに数が足りません。
 そこで博士はもう一度、引っ越し荷物のなかを探し回りました。
 そして、別の40冊を見つけたのです。
 しかし、この40冊には、すこし汚れがありました。博士はどうしたか。それは本人が、応募者のかたに出した返信メールを見てください。



> ○○洋佑さま
>
> この度は、「平成」をお申し込みいただきありがとうございました
> 残念ながら、60冊は昨日16:35ころに完売いたしました
>
> ですが、長い間段ボールに入っていたので、表紙が静電気により埃を吸着して少し汚れている本があと40冊ほど残っています
> 中身はまったく問題ありません。また、よごれは、試してみたところ消しゴムで消すとほとんどきれいになりました
> もしこちらでよろしければ、お分けすることが可能です
> 購入をご希望されるようでしたら、ご連絡ください


 これに対して、どんなメールが再び来たか。ご覧ください。

~引用始まり~

「平成」の残りを再送して下さり本当にありがとうございました。
大変感謝しております。

消しゴムで汚れを落としたということを聞いて、
胸の奥にジンとくるものを感じました。
日々の通常の仕事が忙しいというのに、それ以外にこういったことを
なされているということを想像すると身が引き締まる思いになります。

もしまだその40冊ほどがあるようでしたら、是非購入したいです。
本当に多忙を極めているなかと思いますが、宜しくお願いします。

○○洋佑

~引用終わり~


 ちなみに、この男性は、最初にこういうメールをくださいました。

~引用始まり~

初めまして。
○○県に在住の2○歳の○○洋佑と申します。
青山さんが出演していられますTV,ネットTVなどを毎回楽しみに見させてもらっています。
いつも青山さんを見るたびに、ふっと力が湧いてきて自分ももっともっと頑張らねばと立ち上がることができます。本当にありがとうございます。
さて、この度青山さんの絶版となっていた純文学の平成が出てきたということをブログで拝見しまして、それを購入したくメールをさせていただきました。
独研の皆様お忙しい中とは思いますが、宜しくお願いします。

日本国民として、いつも心から応援しています。

 ○○洋佑

~引用終わり~


▼こうした作業は、独研にとり、予想を超えてたいへんはたいへんでしたが、うれしい作業でもありました。

 ただ、哀しいこともあります。

 ブログに、「本が完売か」というタイトルの書き込みが、「なるほどな」というハンドルネームで書き込まれ、その文中に、こう書いてあります。

~引用始まり~

つまり、あんたは自分の本を売るために民主バッシングを繰り返してるんだろ?
勿論そんなことをあんた自身が認めるわけはないだろうが
客観的にみるとそうとしか思えないな。

民主をバッシングすれば自民党支持者が喜び、
気持ちのいいコメントをもらえ、本まで売れるという考えか?

自分の本を売るために、特定の政党だけをバッシングし続けているとしたら最低な野郎だ。

コメントが一切反映されないからこのコメントさえ
読まれているかどうか分からないが
視聴者に選択の余地を与えないで、一方的に自分の考えを押し付けるあんたなら
どうせ自分にとって都合の悪いコメントは読んでないだろうな。

都合の悪いことは隠す、やっぱり自民党と同じ思考だな

とにかく偏向報道しか出来ないならテレビに出るな。
テレビはお前の考えを押し付けるための私物じゃないんだぞ!

~引用終わり~


 ぼくは、この人物を特に批判はしません。
 ただ、このひとが日本国民だとしたら、ひたすら哀しいですね。
「民主党批判をしているのだから、自民党から官房機密費をもらっているはずだ。そう考える方が当然だ」という書き込みも、特定の人物から来ます。

 ぼくへの名誉毀損は刑事事件として公正な捜査や監視も行われていますが、こういう、おそらくは一般のかたからの中傷よりも、みずからも発信なさっている立場の人による中傷・誹謗をまずは問いたいと考えています。
 だから、事件うんぬんとして考えるよりも、なぜ「発信者には、必ず裏があって、カネなどの不正利得を手にしているはずだ」、「本を売るのは、あくまでも自分たちの利益のためのはずだ」という思想が、ぼくらの祖国にあるのか、それを深く、考えたく思います。

こういう書き込みがあったことは、青山千春博士には何も言っていません。
 前述したように、博士はぼくのブログは読みませんから、これからも知ることはないでしょう。
 そりゃ、教えたくないですよ。

 国際社会では「青山メソッド」として有名な資源探査技術をもつ女性科学者が、消しゴムを手に一生懸命、本をきれいにし、本の山と格闘しつつ、サインや宛名を確認し、一人一人の希望者と丁寧にメールの交換をしている姿を目の当たりにすれば、そりゃ、教えたくありません。


▼この青山千春博士は、私的にはぼくの配偶者ですが、それを知って「何もかもうさんくさく見えてきた」と書き込んでいる若い?ひとがいるのも、まことに哀しく思います。

 青山千春博士は、自立した先駆的な科学者であり、愛国者です。
 独研に入る前は、アジア航測という会社で課長を勤めたり、東京海洋大などで大学院生に教えたり、仕事もまったく自立して進めてきました。
 みずから独自の研究キャリアを蓄積してきたのです。

 ぼくが仲間とともに独研を創立し、そのあとに本人の意志と判断で、入社を希望し、ぼくが配偶者としてではもちろんなく代表取締役社長として入社を許可し、自然科学部長に任命し、それまでの研究者としての豊かな実績と国際社会での高い知名度を勘案して、重い責任のある取締役に就けました。

 海外で、たとえばサンフランシスコで毎年、開かれる「地球物理学連合」の国際学会に共に出席し、ぼくが Dr.Chiharu Aoyama is my spouse.(青山千春博士はぼくの配偶者です)と話しても、アメリカ人もフランス人も中国人も「そうですか」で終わりです。
 自立した科学者ですから、夫婦だからうんぬんという眼で、あるいは青山繁晴の奥さんだからうんぬん、という眼でみるひとには、これまで一度も、国際社会の仕事の場においては会ったことがありません。

 ところが日本では、たとえば講演で配偶者であることに触れると、笑いが漏れて広がるのが常です。
 なぜ公私の別が付かないのか。
 なぜ配偶者を自立した一人の人間として、なかなか見にくいのか。

 これは、日本の全体の課題ですね。世代も立場も超えた、全体的な課題です。
 ぼく自身のなかにも、ほんとうは同根の課題が存在している恐れもあると考えます。
 だから、たとえば先に挙げたコメントのひとも、ぼくは特に批判しようとは思いません。

 そういう日本国は、すこし変わってほしいと願います。
 そこを変えなければ、わたしたちの誇りある日本国が、国際社会に互していけない危惧があるからです。たとえば中国に呑み込まれる一因にもなりかねないと考えます。
 必ずしも、おおげさな懸念とは思いません。人口が少なくなる日本では、社会のなかのあらゆる力、潜在力も含めてそれをフェアに生かさねば、明日はかりそめにあっても、あさってはありません。
 だから、もはや疲れ果てたおのれの心身に最後の、いや最期の鞭を入れるだけです。


▼最後、といえば、「平成」に関して、ご希望の最終確認が取れない、つまり独研からの確認メールに返信のないかたが、ある程度いらっしゃいます。
 ほんとうに希望されるのであれば、返信を、できればお急ぎください。

 そして、最終的には確認が取れなくて、発送できない本も何冊かは出てくるのではと思います。
 ほんとうに欲しいかたにとっては、それは最後のチャンスになります。


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