On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2011-06-24 11:58:22

こころよりの感謝

 みなみなさま、ぼくの義母にして青山千春博士の母、横川和子さんを見送る通夜、告別式に、ご参列、供花、弔電を、ありがとうございました。

 義母の棺と祭壇は、思いがけないほどの沢山の供花に包まれ、おだやかな花の香りが満ち、そのなかを義母が生前、演奏したジャズの名曲が流れました。
 義母の残した録音のうち、クラシックよりも、スイングする明るいジャズのなかから何曲かを、義母のふたりの孫、つまりぼくの息子たちが一生懸命に選びました。

 義母の亡くなった旦那さま、すなわちぼくの義父、青山千春博士の父である横川秀男さん(トランペッター)と一緒のセッションも含まれていました。
 ぼくが旧姓・横川千春と出逢ったときは、この横川秀男さんが急死なさった直後でしたから、会ったことはないのです。
 それでも、「鉄腕アトム」や「ジャングル大帝レオ」の主題歌に残された高らかなトランペットの音は、ぼくも子供の頃から馴染んで育ちました。音でずっとお目にかかっていたわけですね。

 ぼくが横川千春という人を初めて知ったのは、産経新聞の「人間広場」という当時の連載コラムの記事でした。
 帝国海軍の軍楽隊だったお父さまから、海の素晴らしさを聞かされて育ち、日本で初めての女性船長を目指すようになったという記事でした。東京水産大学(現・東京海洋大学)の航海科の学生でした。

 その頃のぼくは、早稲田大学政経学部の学生で、アルペンスキー競技で両膝の皿を割り、山には入れない代わりに、先に中退していた慶應義塾大学の友だちらと、慶応OBの加山雄三さんの、海をテーマにしたコンサートを企画していました。
「こりゃ、その東京水産大学の航海科のクラスメートたちと一緒にチケットを買ってくれるんじゃないか」と考えて、連絡先を探したのでした。

 葬儀で喪主を務めたぼくは、最後のあいさつで、「おとうさま、おかあさまが、千春を立派な科学者に育てあげられました。これからも、祖国のために、ふたりは、ささやかなりに奮闘していきます」と述べました。



 みなさん、あらためまして、ありがとうございました。

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