On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2011-12-27 09:42:07

急告!です。「重版のためのあとがき」は全文、ここで公開します。




▼きのう12月26日月曜、出張先の長野を朝5時半ごろに、社有車を運転して出発し、霞ヶ関で開かれた原発テロ防止のための公的会議に出席していたときのことです。
 独研(独立総合研究所)の総務部からEメールが入り、以下のように書いてありました。


~「ぼくらの祖国」の担当編集者から電話があり、秘書室が対応しました。
 社長がブログで、「第2刷では、金正日に関して内容を修正追記した」ということを記載しているため、一般の人から書店に問い合わせが殺到しています。つまり、自分は予約をしたが第1刷ではなく第2刷を購入したいということです。
 というわけで、「すぐにブログのその部分を消してもらいたい」とのことです。~


▼「第2刷では、金正日に関して内容を修正追記した」というのは事実に反します。
 ブログにも、そのように書いていません。
 このように書きました。

~まず、北朝鮮の金正日総書記の死去を受けて、「重版のためのあとがき」を書きました。
 初版のための原稿をすべて書き終わったあとに、この「アジア史に残る死」が起きましたから。~

 初版には、「ふしぎの本」というタイトルの、あとがきがありますが、本が重版になるとき「重版のためのあとがき」をさらに記すのは、出版の健康な常識、あるいは出版というもののちょっとした愉しみとしてあります。
 そのため、ぼくからこの「重版のためのあとがき」を書きたいと編集者に申し出て、「400枚詰め原稿用紙で(わずか)6枚までなら」という条件でOKとなり、書きました。

 これは、あくまで「あとがき」であり、本文に「修正追記した」のではありません。
 また、前述のように6枚という短いものですから、金正日総書記の死去や北朝鮮の今後について本格的に分析したものでも、全くありません。


▼そもそも、この「ぼくらの祖国」には、なるべく時事的な話題を入れないという基本的な考えが、著者のぼくにありました。
 このことは編集者にも一切、相談などしていません。なぜ、この本を書くのかという、ぼくの根本的な動機に関わることであり、著者がみずからすべて決すべきことだからです。

 時事的な話題はどんどん情勢も事実関係も認識も変化します。
 この本は、2千年を遙かに超える永い歴史を持つ祖国とは何かという根っこについて、できれば子供から大人まで、伝わる人には伝わってほしいという願いで書きましたから、変わるべきもの、色褪せるものはなるべく入れないようにしたのです。

 したがって、たとえば福島原子力災害についても、除染の具体的なことや、放射線障害を正しく避けることなどについては、別書に譲り、作業員の眼の輝きをはじめ、祖国と人間の根本的な生き方に絞って書いています。

「あとがき」であっても同じことであり、金正日総書記の死去は、あくまで、きっかけとして扱っているだけです。


▼原発テロ防止のための会議は、ふたつ連続であり、延々と5時間近くを要し、その後すぐにチャンネル桜の「答えて、答えて、答える」の、今回は辛かった(…)収録があり、そのために遅くなりましたが、担当編集者と電話で話しました。
 このひとは、もちろんお世辞は一切なく、ほんとうに誠実なひとです。

 ぼくは「個人ブログにいったん記したことは、自分の事情では、消さない。それが、現在のぼくなりの原則です。今回も、消したりはしません」とまず告げました。
 それから、著作権を持つ作者として(ちなみに出版社には版権があります)、「重版がもしも実際に出れば、この、重版のためのあとがきを個人ブログで全文を公開したい」と申し入れ、即、合意してくれました。

 また「消してくれ」と頼んだというのは、この編集者の真意でなかったそうです。


▼みなさん、もう一度申しますが、「重版のためのあとがき」は、実際に重版が出た場合は、そのままここに全文をアップします。どなたでも読めます。
 また、本文に影響を与える「あとがき」でもありませぬ。
 したがって書店を「大混乱」させる問い合わせは、なるべくなら避けていただけませんか。(書店からは、大混乱が起きているという悲鳴が編集者に寄せられているそうです)


▼なお、本文中の誤植については、初版本に付きものの「正誤表」と受け止めていただいて、これを理由にした予約変更は1件もなかったそうです。
 ぼくは前作でも、ネット上に、つまりこのブログに正誤表に当たるものを公開しましたが、そのときと同じ理解をなさった書き込みも今回、たくさんいただきました。
 深く感謝します。

 この地味ブログには、誤植の存在を「12箇所もある」と強く非難され、予約された初版本について「出版社の意地汚さが透けて見えるような『不良品』は届き次第、捨てることにします。第2版はもちろん買いません。AKB商法のカモになどなりたくありませんから。」と記された書き込みが1通だけありました。

 出版社とぼくは、祖国を甦らせたいという志で一致したから、出版に取り組み、3年半のあいだ難航し、最後の約束が「年内に出せるのなら、もう一度、取り組もう。ずるずると年明けになってしまうのなら、ご破算にしよう」という人間同士としての約束から、ぼくだけが徹夜したのではなく関係者がみんな、ぎりぎりと努力しました。
 その結果、ミスが出たことを深くお詫びします。

 ただ客観的な事実として、あるいは残念な現実として、世には、海外でも、正誤表が数ページに及ぶ、すなわち訂正箇所が50、60箇所とある初版本もそう奇異ではありません。
 12箇所が少ないということでは、ゆめ、ありません。今回、誤植と言うべきものは正確には11箇所ですが、二桁に達しているのは無念です。
 どうにも不思議なもので、ゲラで見ていると分からなくて、本になってみると目が覚めるように分かる誤植が存在してしまいます。
 もしも可能でしたら、たとえばウィキペディアの「初版」および「正誤表」をご覧になってみてください。もちろんウィキですから、ひとつの見解に過ぎませんが。
 それでも、この方がおっしゃっているように「1、2箇所」に抑えるべきです。
 もう一度、叩頭してお詫びします。

 このかたは、誤植だけではなく、重版で文章を変えたところがあるのも激しく非難されていますが、これには異論があります。
 たとえば、日本文学のもっとも良質な継承者であった井伏鱒二さんは、版を重ねるたびに、全面書き換えと言ってもおかしくないほど直そうとされましたが、それは編集者にとっては困りものでも、書籍としては良心の証しです。

 そのうえで、お一人といえどもこういう意見があったことは本質的に尊重し、この書き込みについては別途、このブログでお答えします。
 そのうえで、考えにお変わりなければ、できれば予約をキャンセルなさってください。一冊、一冊、ぼくと編集者と、校正スタッフを含むすべての関係者の祈りが籠もっています。
「捨てる」ということだけは、「本」というものの未来のためにも、なさらないでください。こころからお願いします。


▼なんやかやで、きのうは辛い一日、けさは哀しい朝です。
 チャンネル桜のことなども、またあらためて書きましょう。

 さぁ、きょうは静岡へ出張です。
 どうということはありませぬ。
 命は、もともと、滅ぶべきものとして悲痛なるものであり、そこからこそ私(わたくし)を超えるものを、ささやかに見出して、あとに続く命に渡すのが使命でしょうから。


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