On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2011-12-27 12:22:24

長年、続けてきたブログですが……

……記事をアップするには時間が掛かります。
 すべての原稿を書くときと同じで、伝えるべきを伝えようと、一字一句を丹念に記していきますから。

 ところが、たとえば先ほどのエントリーの後すぐに、そのエントリーのコメント欄に「それじゃ、予約しているけど、第二版にしてくれと書店に交渉することにした」という趣旨の書き込みがありました。
 ぼくを落胆させようという意図があるとは思いません。
 悪い冗談で書かれたのでもないと思います。
 コメントしたかたの善意は疑いません。

 ただ、意は全くと言っていいほど伝わらないことも多いですね。
 それから、コメントを書かれているうちにご本人がご本人の言葉に刺激され、昂奮されていったことが、ありありと分かり、主義主張以前の問題として、どんどん事実とかけ離れていく、激昂の書き込みと言うほかないものも必ず、あります。

 それは、どのブログでもそうなのでしょう。
 そして、力づけられる、勇気づけられる書き込みも沢山あります。

 けれども、ぼくもいい加減、時間配分を考えないといけませんね。
 いま新幹線の駅ですが、途中、大病院に寄って、人間ドックの結果に基づく医師と看護師さんのアドバイスを聞いてきました。
 きわめて強いストレスと、激務と、極端に短い睡眠時間に対して、「心身のストレスに異常なほど強力に耐えられる力で、ぎりぎり持ちこたえている崖っぷちの情況が、あまりにも明瞭に出ています」と医師はおっしゃり、ぼくのデータを克明に見ながら「大腸癌もあとかたもなく克服していますし、体内年齢は34歳、今年は重症肺炎も患ったのに肺活量は4500CCあり、年齢平均より3割増しです。しかし、その体質でなければとっくに死んでいたというだけの話であって、人間の限界をはるかに超えています。短い睡眠時にも、リラックスできていません。睡眠のようすの精密検査のために年明けに1泊だけですが入院してもらいます。仕事と生活ぶりを変えるべきです」という趣旨を、丁寧に誠実に、おっしゃいました。
 さて、アドバイスに従うのなら、何かをやめないといけません。

 意が伝わらないのは、ブログというものの性質もあり、そして、最終的にはすべてぼくの責任です。
 だから、続けるかどうかも、当然ながら、ぼくが判断すべきです。

 ブログという言葉が世に現れる前から、この On the Road というネット上のエッセイは続けてきました。
 われらみな途上にて、という含意と、この一筋の道を行くという含意を込めて、ずいぶんと前に命名しました。

 別れ道が来ているのかもしれません。
 よく考えます。
 ちなみに、「ぼくらの祖国」も重版は決定ではありませぬ。
 初版がなくなれば、という当たり前の予定があるだけです。初版が残れば、そこまでです。
 そのときは「重版のためのあとがき」を、「見ずに終わった重版のためのあとがき」にタイトルを変えて、このブログにだけはアップして、そしてブログも永遠に閉じる…先にあるのは、これかも知れませんね。ふひ。

 凡て、ぼくの責任です。
 凡て、という字は好きです。全て、というより人間世界の現実に合っていると思います。
 人間のやることが全てをカバーできることなんてあり得ない、しかし、ほんわかと、ほぼ全体を指しましょう、欠けているところが沢山ありながら、それでもほぼ全部のつもりでいましょう、だから「凡て」という字があるのです…という日本語の懐の深さを感じます。

 日本語はいいですね。
 ブログだろうが書籍だろうが、日本語こそ、ぼくらの祖国です。




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