On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2012-11-11 09:17:56

日々の点描 その1




▼いつも一緒、どこでも一緒のモバイル・パソコンから、ううーん、うわーんという大きな唸り声が響き始めました。
 こうしたことは、1年半ほどで必ず起きることです。

 深みのある臙脂(えんじ)色のボディを、思わず、しみじみと撫でてしまった。
 いつもいつも小脇に抱え、1分でも2分でも、時間があれば開くモバイル・ノート。キーボードの文字は、いくつも磨り減って消えてしまい、手のひらが載るあたりはテカテカに光り輝いています。
 ぼくと一緒に、無理に無理を重ねてくれるモバイル。また1台が、早すぎる寿命を迎えました。

 穏やかな使い方に比べて早く命が尽きることが分かっているので、独研(独立総合研究所)の情報システム管理部が、もう次のモバイル・ノート・パソコンを準備していてくれました。
 今度は、すこし大袈裟に言えば、きもちに染み入るような青色の、より小ぶりなノートです。

(ちなみに、新旧モバイルのいずれも、パナソニックのレッツノートを、独研・情報システム管理部もぼくも一致して選びました。
 ずいぶんと沢山のメーカーを使い歩いて来ましたが、決め手は、やはりその丈夫さです。モバイルを抱えたまま疾駆していて、そのまま胸からコンクリート地面にもんどり打って倒れたときも、びくともしなかったですね。

 日本のパソコン・メーカーは海外に生産を移すところも少なくないですが、レッツノートは基板からすべて、ぼくの生まれた神戸の工場で生産しているそうです。
 まさか宣伝をしているのじゃなくて、パナソニックも今、巨額の赤字に苦しみ、ぼくに日本経済の行方を心配して質問するメールも、たくさん届いています。
 パナソニックに限らず、頑張れ、日本メーカー。
 こんなに頼りになるプロダクツを、モラルと質の高い国内労働力でつくることができるメリットを、よく活かしてほしい)


▼さて、その青色ノートで、久しぶりにこの地味ブログに書き込みます。
 しばらくのあいだ、「日々の点描」と題して、日常をありのままに、ただしごく簡略に、綴っていこうと思います。

 このところブログに書き込んでいなかったのは、独研から会員制で配信している「東京コンフィデンシャル・レポート」(TCR)の執筆を優先しているからです。
 志を持って、負担に耐えて、参加されている会員ばかりです。TCRが最優先なのは今後も変わりません。


▼「日々の点描」は、この日からスタートしましょう。
 それは、今から1か月と1週間強まえの10月5日金曜です。


                ✴✴✴✴✴✴✴✴  


【西暦2012年、平成24年、わたしたちの大切なオリジナルカレンダー・皇紀2672年10月5日金曜】

▽朝、自宅から真っ直ぐ、まず東京タワー下のお寺、心光院に向かう。
 夭折された流通ジャーナリストの金子哲雄さんの葬儀がおこなわれる。

 ぼくは以前、この地味ブログにこう記した。

~金子さんは、その(テレビ番組の)控え室に居たみんなに、「毎週木曜日のザ・ボイス(ニッポン放送のラジオ番組。ぼくが木曜にレギュラー参加している)を必ずぜんぶ聴いて、言葉もぜんぶ覚えて、自分の出るラジオ番組で、勝手に南青山繁晴でーすと名乗って(南青山は都心の地名。それに引っかけたジョーク)、青山さんの受け売りの話をするんです。ふはは」と楽しそうに何度も、ほんとうに楽しそうに何度も話された。
 ぼくは、明るい一方にみえる金子哲雄さんの日本を憂う志を、はっきり感じた。
 すっきり痩せて、さらに若返った感じで、これからもっと活躍されるだろうと考えた。~

 車を運転しながら、そのことがまた思い出される。
 近くの公共駐車場に停めて、お寺に歩いて行くと、焼香の長い列ができている。
 テレビ局でお会いしたことのあるタレントやお笑いのひとが別の入り口から中に消えていくけど、そのまま一般焼香の列に並ぶ。
 列には、若いひとがとても多く、金子さんがまだ世を去るような年齢じゃなかったことが、あらためて実感される。

 ながい時間のあと、焼香の番が来た。
 一瞬の祈りを捧げたら、もう、永遠のお別れである。
 金子さんがご自分で選んだという写真は、痩せる前の、ふくよかに、にっこり笑う金子さんだった。
 どのかたが奥様なのかも分からず、自分でも不器用だと思う一礼を、あちこちにして、うつむいて去った。

 葬儀のちょうどその時間、ぼくは、大腸の癌やポリープの術後診察のために病院へ行く日程が入っていた。
 それをキャンセルしての参列だったから、金子さんから「青山さ~ん、駄目ですよ。もっと大事にしてくれなきゃ」と言われている気も、すこし、した。

▽心光院から永田町へ。
 日本海のメタンハイドレートをめぐって、国会議員とささやかに議論するために議員会館へ。
 無償の努力をこそ、続けたい。


*(以下、11月13日火曜朝4時30分、記)
 金子さんの突然の訃報から、まだ1か月半も経っていません。しかし世の中はあっという間に、先へ進んでしまった感があります。
 空しい、寂しい気持ちは避けがたい。
 それでも、ぼくを含め、たくさんの、たくさんの人々の胸には彼が生き続ける。
 あの日、金子さんのために並んでくださっていたみなさん、そうですよね。



(註 タイトル下に自動的に表示される投稿日は、間違っています。実際の投稿日は、11月13日ですが、11日と誤表記されています。なぜ、こうなるのか分かりません。いずれにせよ、この個人ブログは、gooから移転します。ウルトラ多忙のために準備に時間がかかっているだけです)
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