On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2014-02-03 19:39:43

テレビはやはり古いメディアか

▼きのう2月2日の日曜に、都心で「第25回独立講演会」を開きました。
 独立講演会は、この地味ブログで何度かお話ししてきたように、独研(独立総合研究所)が自主開催している講演会です。
 講演会の時間はふつう1時間、長くても1時間半です。
 ところが、ぼくらの祖国をどうやって甦らせるかをめぐって、ささやかに問題提起するには、まるで時間が足りません。
 この頃は、それをあらかじめ理解してくださって2時間という異例の長時間を用意してくださっている講演会もあります。
 ただ…それでも足りません。


▼こうした通常の講演会の時間設定が困る、と言うのでは全くありませぬ。
 にんげんが誰かの話を聴くときの集中力の限界はふつう、90分、1時間半ぐらいでしょう。
 ぼくは近畿大学経済学部で教えてもいますが、だから、授業時間は90分ですね。
 しかしもしも、時間無制限で、不肖ぼくと一緒に考えてみたいという方が少数でもいらっしゃるなら、それをやってみようという、ちいさな志で、この独立講演会をやると決めました。
 そして第1回を2011年の5月22日に「震災チャリティ緊急講演」として神戸で開きました。
 そして、ぼくが被災地の宮城県南三陸町を訪ねて、みなさんの入場料の全額を町に寄付しました。
 そこから、早くも2年半以上が過ぎました。

 続けているうちに、独立講演会にもうひとつ、大切な特徴が加わりました。
 大質問大会です。
 ふだんの講演会でも質問されたい方は、とても多いと思うのですが、なにせ講演時間を延長に延長しても話す時間が足りず、ようやく言うべき最低限を話し終えて、講演会場を全力疾走で飛び出し、名古屋駅で2回ほど、新幹線のドアに挟まれました。ふひ。
 だから、質問を受ける時間がない。
 そこで独立講演会で、ありとあらゆる分野の質問を受けるようになりました。


▼ただし、悩みもあります。
 質問をなさる方には、一度に複数の質問をされるひともあり、また質問だけではなくご自分の考えをかなりの長時間、話されるひともいます。
「さぁ、質問をどうぞ」とぼくが言うと、数多くの手が挙がります。そうしたなか、その方に当たったのもご縁ですから、なるべく、質問者の邪魔をしたくない。
 そして、ぼくの答えは、なるべく「すべては繋がっている」ということを理解しやすい答えにしたい。
 それらもあって、連続5時間前後の独立講演会をやってなお、話せなかったテーマもいつも複数、出てしまいます。


▼きのうの第25回は、かつてないほど沢山の方が集まり、当初の予定会場を初めて変更し、広い会場を確保しました。
 それでも、ぎゅうぎゅうだったですね、参加されたみなさん。
 そのなかを午後2時から7時まで、ほんとうに一緒に祖国とアジアを考えてくださって、感激しました。魂から、ありがとうございます。

 ちなみに今、次の第26回独立講演会の参加者を募集しています。〆切は間近です。関心のある方は、ここです。


▼この地味ブログで、独立講演会で話した内容を、具体的に記したことはありません。
 今後も、原則、ないでしょう。
 現場で聴いてくださらないと、真意が伝わらないと思うからです。

 しかし今日は、例外として、冒頭の部分のほんの一部だけ、書き留めておきます。
 これも独立講演会で初めてのことだと思いますが、テレビ番組の話をしました。その話に出てくるテレビ番組は、今夜かそれ以降に放送されて、この地味ブログに来られるひとのなかに視るひとも居るだろうからです。(放送日は、確認していません)


▼話はざっと、以下のようです。

▽独立講演会に向かう支度を仕事部屋でしているとき、テレビがついていました。
 ふだん、あまり地上波のテレビを視ませんが、たまたま地上波でした。これは、収録ではなく生放送でした。ぼくも参加したことのある番組です。
 北朝鮮の強制収容所のあまりに酷く、惨たる実態を残酷なイラスト入りで放送していたのですが、キャスターがゲストの加藤登紀子さんに話を振りました。
 すると加藤登紀子さんが「日本にも戦前に似たような強制収容所があったと思いますけど…」と発言されたのです。
 加藤登紀子さんは、ぼくが教えている近畿大学の学生たちのような若い世代にはもう、知らないひとも増えています。けれども「国民的歌手」という地位を確立した著名なシンガーでもあります。

 ぼくらの祖国、わたしたちの日本国には、戦前だろうが戦後だろうが「北朝鮮のような強制収容所」が存在したことは、ありません。
 発言の背景は、「戦前の日本は今の北朝鮮のようなもの」という驚くべき思い込みがあるのではないかと、ぼくは考えます。この驚くべき、事実にまったく反する思い込みは、日本のテレビではふつうに語られていますから。

 加藤登紀子さんが、どのような思想を持たれても、その思想を持つ自由と表現する自由は、不肖ぼくの命を賭して護ります。
 と同時に、事実に明白に反することを思い込みで発信されることは許しません。
 どのような思想を持ってしても、戦前の日本に「北朝鮮のような強制収容所」」があったことには、できません。
 しかし、その時スタジオの誰からも、「ちょっと待ってください」という声も「違います」という声も出ませんでした。

 加藤登紀子さんの隣には、漫画家の黒鉄ひろしさんがいらっしゃいました。
 ぼくは一度だけ、黒鉄さんと痛飲したことがあります。国士だと思います。
 加藤さんの発言のあと、番組はコーナーが変わって、黒鉄さんが「安重根記念館」にまつわる話をされました。
 黒鉄さんは歴史漫画でも知られた描き手です。安重根によるとされる伊藤博文公暗殺事件をめぐって基本的なかつ重大な疑問があることを明示されました。この疑問は、歴史を考えるときには周知の疑問ではあるのですが、ほとんど一般には知られず、テレビで明らかにされるのは初めて視ました。
 すなわち、中韓が「安重根記念館」なる、嘘で固めた反日宣伝施設をつくったさなかにあって、黒鉄さんはとても意義ある発信をされたと考えます。
 その黒鉄さんがなぜ、加藤登紀子さんの、日本を事実に反して貶める発言に対して何も仰らなかったか。
 テレビを一視聴者として、たまたま視ていただけのぼくにも、スタジオの現場でのその理由はよく分かりました。
 強制収容所をめぐるコーナーが時間いっぱいで終わってしまったから。
 まず間違いなく、それだけです。
 残念ながら、これがテレビメディアです。秒単位でコーナーが構成され、その集合が番組ですから、こうなります。物理的な問題です。


▽独立講演会の前日、2月1日の土曜に「TVタックル」のスタジオ収録に参加しました。
 2年ぶりかな?
 もっとかな?

 タックルの収録は、かつてはほんとうに長時間でした。ハマコーさんや三宅さんが健在の頃ですね。その頃は、ぼくの発言を95%カットされて放送されたこともあります。当時の秘書さんが(…ぼくが頼んだのでは、もちろんなく、彼女の意思で)実際に時間を計って教えてくれました。
 しかしそれでも、編集権はあくまでテレビ局にあります。カットが嫌なら収録に参加しなければいいのです。タレントでも評論家でもないのですから。
 現在は、収録時間はとても短くなりました。それならそれで、今度は別の問題が生じます。とにかく番組参加者(ないし出演者)の数が多いですから、他人の発言を暴力的に遮りでもしないと、充分には説明、発言できません。


▽例を二点、挙げておきます。
 ひとつは尖閣諸島です。
 土曜日のスタジオで流されたVTRでは「一触即発なので、戦争になるかも知れない」という観点が強調されていました。
 ぼくは大きな声で「尖閣で小競り合いや、小規模な衝突になる可能性はリアルにある。しかし、そこから大戦争になったりしない」という趣旨を述べ、さらに考えて、「絶対にない」と断言しました。
 するとすぐに他の人から「絶対などということはない」あるいは「戦争は小規模な衝突から始まる」という趣旨の反論がありました。それは当然です。当たり前の常識です。ぼくは、不肖ながら、そして一民間人ながら安全保障の実務家ですが、そうでなくても、誰でもそんなことはご存じです。
 しかし問題は、そのVTRが、意図してはいなくとも、実質的には情報操作になっていたことです。
 すなわち「戦争が嫌なら、尖閣で揉めない方が良いと思うでしょう? 中国を刺激しないためには靖国神社も参拝しない方がいいのかも?」と誘導されかねません。

 事実、「第二次安倍政権は、日本を戦争のできる国にしようとしている」というベテラン・ジャーナリストの発言もVTRに盛り込まれていました。
 全面戦争になることを恐れるあまり、もしも尖閣諸島に「領土問題がある」と日本が不当にも認めて、それによって中国が「じゃ問題を棚上げにしましょう」と言うことを期待するようになるのなら、それはまさしく中国の「世論戦」(世論工作)に乗っかることそのものです。
 だから、あえて「全面戦争になること絶対にない」と断言して、問題提起したのです。
 提起した以上は、ほんらいは、そのあとの展開が必要です。なぜ「絶対ということはない」という常識論、あるいは俗論に逆らって「絶対ない」と述べたかを、説明せねばなりませんが、どう努力しても、その機会は作れませんでした。
 他の人が発言しているうちに、その尖閣のコーナーが終わったからです。

▽もうひとつは、NHKの籾井会長の発言です。
 ぼくは「発言を撤回したのがいちばん、いけない。(歴史をめぐる)発言の内容は間違っていないので、撤回しないと言って、辞職すべきだった」と発言しました。
 ぼくが撤回すべきではなかったという趣旨を述べたのは、たとえば歴史をめぐる部分です。

 籾井会長の発言の中には、政府の方針に従う放送をするといった趣旨もありました。これは間違いです。
 イギリスのBBCは、明確な国営放送ですが、みずから発掘した事実関係に基づいてイラク戦争に反対し、イギリスのブレア政権の圧力を受け、謎の死人まで出しました。それが報道機関です。国営も特殊法人も民間も何もありませぬ。

 一方で、会長の職にとどまるために、歴史をめぐって中韓の不正義な宣伝に沿うような撤回、謝罪をしたのは許されざることです。
 総じて、発言を撤回せず、辞職すべきだったとぼくは考えます。
 しかし最悪の場合は「辞職すべきだった」というところだけ切り取って放送されることもあり得ますし、そこまでではなくても「辞職すべき」というところだけ強調され、歴史をめぐる発言がその理由であるかのような印象になることもあり得ます。
 放送中にそう考えました。
 しかし、これが起きないようにするのは、生放送でもコーナーが終わってしまうとできませんが、スタジオ収録では、もっと無理です。どんな編集になるのか、全く分かりませんから。
 実は、テレビに出ている論者のなかには、収録のあとにディレクターなどに電話して編集ぶりについてさまざまなお願いをなさる方もいらっしゃいます。
 それは生き方の違いです。ぼくは、それはしません。


▽TVタックルという人気の長寿番組は、この頃、「老いらくの恋」といったテーマでやっていたそうですね。
 前述したように、ぼくは地上波テレビをあまり視ないので知りませんでした。
 ディレクターも辞めた人が複数いたり、かなり変わったようですが、ひとり、「政治、外交・安全保障をやりたい」という意思をずっと変えないディレクターが居ます。
 彼の志に応じるために、ほんとうに久しぶりにスタジオ参加しました。
 しかし、いわば物理的に難しいことが、上記のように厳然とあるのも事実です。

 ここに述べたことは、ぼく個人のことにとどまらず、テレビという、みなさんに親しまれたメディアの今後に関わると思います。たとえばニコニコ動画の生放送などがなぜ、たくさんの人に視られるか、そのこととも繋がっていると考えます。
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