On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2014-03-24 07:53:37

ま、次の波に乗ればいいか



▼なんと言うのか、空しいと言ってはいけないけど、いまハワイにいて、仕事だけです。
 このわくわくする波の音を、外に聞き、胸を澄ませてくれる風が椰子の木を吹き抜けるのを、外に見つつ、部屋の中で仕事だけ!

 オアフ島の、かつて帝国海軍機が空を埋めた真珠湾を望む地域で、アメリカ軍の太平洋艦隊司令部(PACFLT/パックフリート)、太平洋空軍司令部(PACAF/パッカフ)、そして太平洋軍の統合司令部(PACOM/ペイコム)をそれぞれ訪ねて、中国・習近平政権の沖縄全土への決定的な野心や、韓国大統領の韓国みずからを窮地に導く異様な反日や、北朝鮮の金一族独裁のこれまでにない動揺、さらにはサイバー防衛のための日米の新しい連携などについて踏み込んで議論しました。
 マレーシア機の一件もあります。

 こうした司令部、たとえばPACOMは敷居がとても高くて、なかなか部外者は入れません。
 ぼくもかつては、東京から太平洋を飛んでハワイに着き、空港から真珠湾に来て、駐車場を出て、ゲートに向けて歩き始めたところで突然、「入構を許可できなくなった。理由は言えない」という究極のドタキャンを携帯電話に受けた、苦い記憶もあります。

 しかし今回は、去年の10月にPACOMとPACFLTを訪ねたばかりですから、わずか5か月での再訪です。
 よく受け入れたな、とも思います。
 これには、さまざまな要因があるけれど、第一には、ぼくとアメリカ軍の間に入った文官、自衛官を問わず日本側の人々がぼくを信頼してくれて、一生懸命に働きかけてくれたことです。
 そして、ひとつには日本の動きへの関心の高まりが間違いなくあります。
 アメリカの言うことなら何でも聞くから放って置いてもよかった日本とは違う、という意識があると言っても良いと考えます。


▼ひとりの民間人として、非公式な、自由な議論に徹して、進めました。
 ぼくはさまざまな公職にも就いていて、守秘義務も背負っています。
 ですから、今回の議論にはすべて、陸海空それぞれの自衛隊から米軍に派遣されている連絡将校が同席し、防衛省からホノルル総領事館に派遣されている文官も同道してくれました。
 ただし、ぼくの公職はいずれも、こちらから、すなわち主権者から政府に問題提起をする立場の公職であり、いかなる指示も政府からは受けない公職です。
 ですから、内閣の方針には一切、縛られません。
 そもそも、さまざまな内閣を貫いて公職を務め続けていますから、時の政権には左右されず、ましてや政党とは何の関係もありません。

 そして、たとえばいちばん新しい公職だと、2月に総務省消防庁の消防審議会の委員に就きましたが、この審議会は就任の際の正式文書のなかに「報酬を受け取るかどうか」という問い合わせ文書があったので、「1円も受け取らない」と回答しました。
 いかなる政権に対しても自由な立場を確保するためです。
 法体系によって定められた報酬を受け取るのはもちろん法的にも倫理的にも正当だし、金額も小さく、それによって審議会での意見が左右されるとは思えません。
 だから上述の消防審議会の初会合で、本業は学者である委員長が「わたしたち委員も報酬を受けている責任がある」という趣旨の発言をなさいました。
 全委員が受け取っているという観念が背景にあるのでしょう。
 ぼくは受け取りを拒否しています。しかし委員長発言の訂正は求めませんでした。
 これは、ぼくと、独研(独立総合研究所)の自律した姿勢によるのであり、他の委員の方々の報酬受け取りに何らの問題もないからです。

 したがってアメリカ軍との今回の議論も、自由な立場だけで遂行しました。
 その際の原則はふたつだけです。ひとつ、日本の国益のために議論する。ふたつ、相手国(今回はアメリカ)の立場と国益をフェアに尊重して議論する。
 独研は、みずからの食い扶持はすべて自分で稼いで自律するために株式会社であり、同時に、利益よりも国益を追求しています。
 日本に例がないわけではありません。幕末に、坂本龍馬さんが日本で初めて創った民間会社と言うべき「亀山社中」も同じでした。


▼写真は、アメリカ太平洋空軍司令部(PACAF)の構内にある「帝国海軍の射撃の跡」とされるものです。
 帝国海軍が攻撃したここは、1941年12月の真珠湾攻撃の当時も、現在も、アメリカ軍の専用施設です。
 真っ赤な嘘だらけのハリウッド映画「パールハーバー」にあるような、民生施設への攻撃では全くありません。


(ぼくと、アメリカ空軍の士官、航空自衛隊の連絡将校たち、独研の研究員)


 ただし、ぼくに同道した航空自衛隊の士官(戦闘機乗り)のうちのひとりは「おそらく、多くの弾痕はゼロ戦など日本海軍による射撃ではないと思います。角度などが合わない。攻撃目標も、この建物ではなく、背後にある滑走上の飛行機でした。アメリカ軍の混乱した反撃による流れ弾ではないでしょうか」と話していました。
 アメリカ軍は、すべてを日本海軍による攻撃の跡として、残しています。こうした軍施設の内部は改装を重ねても、外装は当時のままにしているのです。

 しかし大切なことのひとつは、アメリカ軍が恨みや日本批判として、こうして残しているのではなく、アメリカがみずからの油断を反省する材料として、むしろ日本海軍への敬意も込めて、日米の両国関係が平和であることへの真摯な願いとして、弾痕を残していることです。
 軍施設の中に掲げられた解説文や、現在のアメリカ軍の将校たちが語る言葉に、それは明瞭に示されています。


▼ハワイの風は、やっぱり爽やかです。
 ハワイは数え切れないほど来ています(ただし多くが仕事)。
 それでも、今回ほど風の気持ちよさを感じるのは久しぶりです。
 日本で何度も大雪に見舞われた時に来たからかなぁ。

 ハワイと日本の時差は19時間と、最大です。このところの極端な上にも極端な忙しさで体調はさほど良くないけど、時差呆けは、いつもの通りほとんど感じません。

 せっかく、気持ちのいいハワイにいるけど、仕事が終わるとすぐ、帰国です。まもなくホテルを出発し、ホノルル空港に向かいます。
 前回、昨2013年の10月に来たときは、ホテルのチェックアウトと飛行機の搭乗のあいだのわずかな隙に、生まれて初めて、サーフィンに挑戦したのでした。
 何気なく波にどんどん乗ってしまい、サーフショップのコーチやカメラマンが驚いて「凄い」と叫びましたが、ぼくも内心で驚きました。
 ぼくはスキーヤーでもありますが、そのスキーがバランスのスポーツだからかな?
 そのときの写真を、ちゃんとカメラマンが送ってくれたけど、この地味ブログで公開するのを、すっかり忘れていました。
 たくさん送ってくれた写真のうち数枚だけ、この機会にアップしておきます。


(浜辺で、右のコーチに、とりあえず、どうやって漕ぎ出すのかを聞く。聞いたのは、ほとんどそれだけ。だって、特に教えてくれないんだもの。ほったらかし、自分でやれ、考えろのアメリカ式。このやり方、実は大好きです。   …*これは今回の写真ではなく、昨年10月の写真です)

(さぁ、もっと沖へ漕いでいこうと思いつつ、で、どうやって立つんだ?とサーフボードの上で小休止しながら考えているところ。   …*これは今回の写真ではなく、昨年10月の写真です)

(ま、とにかく立ちゃいいんだろうと、生まれて初めてのサーフボードの上に立ち、適当にバランスを取ってみる。   …*これは今回の写真ではなく、昨年10月の写真です)

(波の先に乗る感じというか、先へ先へバランスを取ればいいのかなと、新しい波に立ってみる。   …*これは今回の写真ではなく、昨年10月の写真です)

(進む、進む。面白いぐらい、進む。何がいいフォームか、何も聞いてないけど、とりえあえず両足を均等に踏ん張ってみる。   …*これは今回の写真ではなく、昨年10月の写真です)

(併走しているコーチやカメラマンの大歓声も聞こえている。このあと浜辺のすぐ近くまで、波が完全に消えてしまうまで、ふつうに立っていき、サーフボードから降りた。これを繰り返して、やがて浜辺に戻ったら、見ず知らずのアメリカのおばちゃん、最初の写真に写っている人が、ぼくに抱きついてきて「なんて凄いの。あなた初めてでしょ。感激したわ。元気が出たの」と英語で叫んだ。ふひ。   …*これは今回の写真ではなく、昨年10月の写真です)


▼今回も、同じように時間の隙を狙って、二度目のサーフィンをやりたいけど、さぁ、時間を捻(ひね)り出せるか。
 …と考えていましたが、今回はやっぱり無理です。
 う~む、無念だ、本心から、無念だ。
 ま、次回に来たときに、波に乗ればいいと思うほかありませぬ。ふひ。

 アメリカ軍との日程が終わったあと、自衛隊から派遣されている連絡将校、それに文官もみな集まってくれて、ぼく、それに独研の研究員と懇親しました。
 ぼくはたくさん質問を受け、すべて答えていきましたが、ある士官が「明日一日は、さすがの青山さんも日程が入っていませんね」と聞きました。
 せめて一日は楽しく過ごせますね?という意味だと思いました。
 そりゃ、常識からすれば、そうだろうから、ただ笑顔を返しましたが、実際は、原稿げんこうゲンコウ原稿で、身動き取れないのです。
 素晴らしい波の音を聞きながら、ホテルの部屋で原稿を書くだけです。

 次回もハワイに来るのは、間違いなく仕事で来るでしょう。
 今のぼくは、アメリカ本土への出張も実質、日帰り、つまり機中泊だけでアメリカには数時間しか居ないという日々ですから。
 しかし、そのときは、二度目のサーフィンにも必ず挑戦します。


▼原稿のうち、最優先は、このところあまりに激烈な日程ですこし配信が滞っている東京コンフィデンシャル・レポート(TCR)。
 これは、独研からクローズドの完全会員制で配信しているレポートです。(問い合わせはここです)

 その次が、小説新作の完成。
 できれば一両日中に終えたい。

 その次が、信じがたいことにウルトラ級のロングセラーになっている「ぼくらの祖国」(扶桑社、たとえばここです。電子版はたとえばここ。いちばん新しい音声版はここ)、このたいせつな本の続編というか、正編になる「その時が来る 祖国は甦る」(扶桑社)の脱稿です。
 何度も〆切を遅らせてもらったけど、このひとつ下のエントリーで、もう公約してしまいました。
 5月にアメリカ・サンノゼで、中韓の不当な日本中傷にフェアに対峙するためにも開く講演会(チケット購入とサイン本の予約はここ)で、みなさんがサイン本を手にすることができるように、最終的に、4月上旬に全文を脱稿します。


▼アメリカ軍との議論の中身は、できるだけ関西テレビの報道番組「水曜アンカー」やニッポン放送のラジオ報道番組「ザ・ボイス木曜版」でも取りあげようと考えています。
 しかし、いちばん踏み込んで語り、明かすのは、前述の東京コンフィデンシャル・レポート(TCR/問い合わせはここ)、それに独研が自主開催している講演会、独立講演会になると思います。
(3月30日に東京で開く会は、もう締め切っています。次回、神戸で開く会は、ここです)


▼上記のように、こうして海外出張に出ているうちに、次の独立講演会の申込がとっくに始まってしまいました。
 もう申込開始から1週間近くが過ぎ、申込期間はあと4日しか残っていません!
 関心のある方は、どうぞ急いでください。上掲と同じですが、ここです。
以下に、独研の公式HPにアップされている募集要領を抜粋して、掲げておきます。


*第28回 独立講演会@神戸 (2014年 4月20日 : お申込みの受付を開始しました)

【講演日】
2014年4月20日(日)

【講演時間】
開場:12時30分
開演:13時30分 ~ 18時00分 予定

【講演内容】
「祖国、アジア、世界を、あなたと一緒にどうするか その1」

【場所】
神戸商工会議所 神商ホール(3階)
〒650-8543 神戸市中央区港島中町6丁目1番地
Tel.078-303-5804
「JR三ノ宮駅」、「阪急三宮駅」、「阪神三宮駅」からのりかえ。
ポートライナーで10分。「市民広場」駅下車。北へ徒歩約5分
詳細は、こちらへ。

【受講料】
一般 5,000円 / IDC(独研の会員制クラブ、インディペンデント・クラブ)会員 4,000円

【申込期間】
2014年3月19日(水)正午~ 2014年3月28日(金)正午 予定
※申込期間内のみ、申し込みを受付致します。

【申込方法】
「申込フォーム」ボタンをクリックし、リンク先のページよりお申込みください。そのボタンは、前述の通りここにあります。

【抽選結果通知】
当選・落選発表は、3月28日(金)申込締切り以降、メールにてご連絡致します。
※会場の規模によって抽選になる場合がございます。

【禁止事項】
※参加資格の譲渡
※講演の撮影・録音・録画
※講演中のパソコンの使用
※事前にお申込をされていない方の入場

【問い合わせ先】
独立講演会 運営事務局
※電話でのお問い合わせは対応しておりませんので、ご了承下さい。
※独立講演会については、独研(独立総合研究所)総務部では対応しておりません。
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