On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2006-04-05 18:11:43

しんけんな横目     *アメリカ短期出張 その6





 いま日本へ向かう機中です。

 ワシントンDCを飛び立った飛行機は、五大湖の上空からアメリカ大陸の北限へ飛び続け、たったいま、アラスカの大地からベーリング海へ抜けるところです。
 その先には、にんげんの引いた見えない智恵のライン、日付変更線が待っています。
 この同じ機体に命のすべてを託している乗客はみな、そのラインを超えた瞬間、得をしていた一日を返して、一日で二日分、年をとります。

 ぼくはこのあたりの光景が、大好きです。
 きょうも窓ガラスにへばりついて、眺めていました。ガラスからは、マイナス54度の外気の冷たさがほんのり伝わります。
 真冬には、アラスカの大地とベーリング海は真っ白に繋がっています。永遠に誰も分かつことができないようにみえます。
 きょうは、黒色と見まがうほどに深く青い色が、白い大地と海のあいだに突き刺さって、くっきりと分けています。

 これが、春です。


▼アメリカにいるより、飛行機の座席の上にいたほうが長かった今回の出張は、おかげで機内で映画をたくさん、見ました。

 ワシントン路線の機材は古くて、旧式シートテレビは小さく、しかも突然、早送りになったり、画面がブラックアウトしたり、いろいろあったけど、ほんとうは死ぬほど映画が好きなぼくは、とても幸せでした。

 といっても、すべては、原稿を書きながら横目でみる映画なので、すこし哀しかったけど、横目ではあってもしっかり真剣に、みました。


▼1本目。
「イーオン・フラックス」

 実は、無謀にも、この多忙のなかで自宅近くのシネマ・コンプレックスのオールナイトに見に行った。
 上映が終わるのは、なんともはや、アメリカ出張への出発まで5時間半もない時刻だ。
 荷物のパッキングは一切できていなかったし、夜明けまでに送らねばならない原稿も、複数あった。

 それを無理して見に行ったのに、ごめんね、ほかの観客のみなさん、いびきをかいて寝ちゃった。
 ところが、飛行機に乗ったら、やってたのです、この映画。

 見たかった理由は、シャーリーズ・セロンが出ているから、それだけ。
 南アフリカ生まれのこの俳優が、大好きだ。
 こういう、きりっとした女優には弱い。とりあえず、すぐに好きになる。
 もしも彼女が、地底生まれの地底人でも大好きだ。

 とはいえ、この映画にはまったく、カケラも期待していなかった。
 ぼくの信頼するひとが「映画というより、アメリカのテレビみたい」と言っていたけど、それも正しい。

 だけども、よかったのですよ。
 みたあとに、なんだか妙に高揚して元気になる映画だ。

 ストーリーは、ほとんど滅茶苦茶。ただの思いつきと言った方がいい。
 だから、基本的には、シャーリーズ・セロンという本物のプロの俳優が、どれほどまでに節制して身体を作ったかを、みるだけの映画です。

 でもね、まず、それだけで値うちがある。
 セロンがモデル出身であろうが無かろうが、そんなことは関係ない、彼女はいま俳優なんだから。

 この映画のために造った身体、神さま、造物主もきっと嘆息する。

 それにね、どうしてこの映画は元気になるのだろうか。
 セロンの相手役の男優は、最悪に近い。
 すこし疲れた感じがむしろいいと、きっと監督は考えたような気がするけど、もしもそうなら、それはただの俗説のようなものだ。
 セロンの完璧な「元気」の相手役は、疲れた感じ、それもすこしだけ疲れた感じがいいと監督が考えたことが、ばればれだけど、それこそが俗説なのだ。

 そんな俗物の監督がつくった映画なのに、なぜか元気になる。
 映画は不思議なだぁ。
 それを感じさせるから、これは、ずばり、良い映画です。


▼2本目。
「博士の愛した数式」

 導入部は最高。
 自然でいて、その先を知りたいと引きつけられる。

 にんげんへの自然な目線、抑えた映像と音声が、薄口の醤油のように効いていること、いずれも世界の映画シーンで、きっと邦画しか創れないものだろう。

 ただ、小川洋子さんの原作小説はきっと良いのだろうなぁと思わせる映画だ。
 映像表現よりも、きっと文体表現の方がいい。
 映像ではリズムのない間延びした表現にみえるところが、文章ではなんとも言えない間合いになっているのじゃないだろうか。

 でも、これも不思議と、元気になる映画だ。


▼3本目。
「NANA」

 泣いてしまったところを、フライト・アテンダントに何度も見られた。
 これは、共感する若い人が多い映画だろうナァ。
 凄い人気らしいのも、よく分かる。

 日本の俳優の演技は、正直に言うと好きになれないことも多いのだけど、この映画は主役の女性二人から端役の男性陣に至るまで、最高。
 日本はこんな映画を作れるようになったんだ。

 だけどね、その一方で、日本のロックシーンが気になった。
 映画のなかで演奏されるロックが、歌謡曲にしか聞こえない。

 ぼくは中学生から高校生まで、下手くそなバンドをやっていた。
 謙遜じゃなくて、ほんとうに強烈に下手だったから、プロのみなさんに文句を言える筋合いじゃないのだけど、日本のロックが当時から歌謡曲だったのは間違いない。
 大学生になって、ロックバンドのいるサークルにも顔を出してみたけど、なんだか気障な人が多かったし、アルペンスキーに打ち込むようになって、音楽からは遠ざかった。

 ぼくが遠ざかっているうちに、日本のロックはきっと歌謡曲を克服しただろうと思っていたのに、こりゃ変わってないぞ。
 一体いつまで、ただの歌謡曲を、ロック風にやっているのか。

 インストルメントの演奏は、良くなった。
 日本のロックプレイヤーの最大の問題だったリズムが、良くなっているから。
 ベースもドラムも、本物のリズムがある。
 問題は、ヴォーカルだ。

 NANA役のひとりは、N・Mさんという有名なシンガーだけど、声が前へ戦っていない。
 サビのファルセットは素敵だけど、その前の声が戦っていないから、うーん、ロックとは前のめりに戦うことだと思うけどな。
 それから、歌詞が、こんな言い方で悪いけど、ひどい。
 理屈とセンチメンタリズム。おセンチ理屈。

 英語は英語に聞こえない。こりゃカタカナの不思議な、日本語まがいだ。
 だから英語で歌うと、よけいにキレが失われる。
 ファンのみなさん、ごめんなさい。

 映画のなかで『成功したメジャーバンド』になっていたロックバンドの、女性ヴォーカルはもっと情けない。
 こんなおセンチ歌謡の俗物ロックまがいで、ほんとうにみんな、熱くなれるのか。
まさかね。
 ぼくらの世代と違って、いまのロック世代は、日本のおセンチ叙情を克服しているはずだ。

 ロックは戦って、なんぼ。
 そんなの、別にミック・ジャガーを見なくても誰でも分かる。


▼4本目。
「WALK THE LINE」

 カリスマ・ウェスタンシンガーのジョニー・キャッシュの伝記映画。
 キャッシュは日本ではさほど知られていないけど、アメリカではヒーローです。

 吹き替えなしで俳優が歌っているのは、凄い努力だけど、うーん、この唄がね、やっぱり魂が弱い。

 ちゃんとキャッシュ風に歌っているのだけど、それだからこそ、つまりキャッシュのエッセンスを出そうと、めいっぱい努力して慎重に歌っているから、歌の腹が据わっていない。
 バックバンドのリズムはまさしく最高だ。特に、ウッド・ベースのキレの良さ、正確さ、音の厚みとまろやかさと強さ、さすがです。

 絵は、全体にセピアカラーをかぶせてある。
 ふつうなら、わざとらしい映像になりそうだけど、みごとに成功している。
 キャッシュの奥さん役の女優の、自然な存在感がいい。

 でもまぁ、すくなくとも日本では、あまり観る人がいないだろうな。
暴力的な父親との少年時代からの葛藤、ミュージシャンとして成功してから、成功しているからこそのドラッグ漬け、もちろん事実なのだけど、もはやお決まりすぎて、観る者の上を型どおりに通り過ぎていく感じがないでもない。

 と、思って、原稿を書きながら横目で真剣に観ていると、奥さんと子どもがジョニーのもとを出て行ってしまってからは、俄然、トツゼンに、よくなる。
 だから、この映画をたまたま観る人は、最後まで観ていると、いいことがあります。

 表現者の暗黒と、恢復。
 それが泣きたいぐらいの親密さで、ぼくの胸に迫ってきた。

 こういう音楽映画を観ると、いつも、小説の書き手としてのぼく、表現者としての自分を考える。
 画家の伝記映画や、それから小説家を描いた映画を観るよりずっと、魂に一つの声が沸き起こる、ああ、ぼくも書きたいと。
 なぜかな。
 おのれの書きたいものと似てる? 音楽が?
 これから、たまに考えてみます。



 写真は、アラスカからベーリング海に飛行機が出てゆくときです。
 わずかな時間に、どんどん眺めは変化します。
 そのうちの一瞬の光景です。
 素晴らしいグラデーション・ブルーの地平線と水平線には、地球の丸みもあらわれています。


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