On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2015-06-20 10:37:11
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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深淡生  ✶ しんたんせい。深く、淡く、生きる。

▼いま久しぶりに大阪のホテルで朝を迎えています。
 きのうテレビ大阪の「たかじんnoマネー」最終回の収録があり、レギュラー版の最終回(きょう6月20日土曜の午後1時から放送)と「ゴールデンタイム版」の最終回(来週6月27日土曜の午後6時59分から放送)の2本分を撮り、そして局の会議室で打ち上げもあって、終わったのは午前零時を充分に回っていました。
 もちろんもう、東京には帰れません。

 このホテルは、関西テレビの「水曜アンカー」に長年参加していたときに関テレ指定の定宿だったホテルです。
 テレビ大阪にも近いので、ここになりました。
 ホテルの従業員のひとびとが懐かしさいっぱいの感情を眼にも様子にも言葉にもたたえていて、胸のうちで「まだアンカーが終わってから3か月も経ってはいないんだけどなぁ」と思いつつ、感謝しています。

 部屋も同じ部屋を用意してくれていて、窓の外の大阪の風景も同じです。
 大阪と関西はこれからどうやって生きていくのかなぁと考えつつ、まるで縁遠くなってしまった親友の写真をみるように、窓際に先ほどまでひとり立っていました。


▼この地味ブログに来てくださるみなさんのために、上掲の放送時間を確かめようと思って、朝刊のテレビ欄を見ました。ぼくはふだん、新聞のテレビ欄は見ません。
 すると、朝日・毎日・読売・産経・日経の全紙が同じく、次のように載せています。

「たかじんNOマネー!! 青山繁晴! 最後の激白 日本のあるべき姿とは」

 正直、意外です。
 収録は、ぼくの話がメインでも何でもなく、ほかの方々の話が中心でした。
 ま、そのおつもりで視てください。この番組紹介は、行数がないから、こうなっただけでしょう。
 今日のこの放送をもって、「たかじんnoマネー」のレギュラー版はおしまいです。

 来週の6月27日土曜夜に放送される「ゴールデンタイム版」最終回の収録では、ぼくはほんとうに驚きました。
 眞鍋かをりちゃんをはじめみなさんのタレントとしてのプロ根性に「よく、このひとが、ここまで言うなぁ」と感嘆しつつ、その思い切った暴露話にこころの底から笑い転げました。
 ぼくはタレントじゃないので、いつも通り、ありのままの話をしました。

 そしてこの2本の放送をもって、たかじんさんの名を冠した番組は、どの局においてもすべて完了ということだそうです。
 たかじんさんと、たかじんさんを永いこと支えてこられたテレビ界のみなさん、なかでも裏方のみなさん、ほんとうにお疲れさまでした。


▼テレビ大阪の会議室での打ち上げで挨拶するとき、まずぼくが申したのは、番組がちゃんと、メイクさんをはじめすべての裏方のみんなをきちんと集めて打ち上げを開いてくれたことへの感謝でした。
 ぼくら男性は(そうじゃない人もいるけど)、顔が画面でテカらないように「押さえる」、つまりパフでパタパタするぐらいなのですが、メイクさんはいつも誰に対しても細心の注意を払って仕事してくれている雰囲気が分かります。

 ぼくに同行する独研 ( 独立総合研究所 )の若いS秘書もこの打ち上げに参加したので、彼女に「テレビ番組って、どれほど沢山の人が支えているか、これで分かるだろ」と言うと、S秘書も目を丸くしながら「ほんとですね」と頷いていました。
 彼女にとってすべてが、いい勉強です。

 挨拶ではそして、「アンカーも終わり、この番組も終わり、近畿大学での講義を別にすると、関西とのご縁がどんどん薄れます。神戸生まれのぼくとしては、寂しいです」とも話しました。

 こういった席では、ぼく以外のすべての人々、番組のMC、出演者、ディレクター陣から裏方スタッフまで、芸能プロダクションと契約したり、そのプロダクションの一員だったりの業界人です。
 ありのままに言えば、いつも、ある種の孤独も感じます。
 しかし挨拶では、それはもちろん触れませんでした。
 盛りあがる打ち上げをみながら、やしきたかじんさんはどこへ行ったのだろうと思っていました。


▼ぼくのメディアへの露出は、これからも、どんどん減らされていくと思います。
 ぼくなりの問題提起や、みなさんに現場の情報を伝える機会は、より限られていくでしょう。
 たかじんnoマネーの番組終了は、それとは全く関係がありません。
 この番組終了のことではなく、要は、全般として、あるいは根本的に、ぼくの言説がますます排除されていくだろうと静かに考えています。

 ぼくとしては、これからも、深く淡く生きていくだけです。

 昨日は朝、東京を出発して、まず新幹線で岡山に向かったのです。
 岡山で「中国地区私立中高経営者協議会総会」が開かれ、そこで「18歳から投票権」の時代を迎える中高教育のあり方について、ささやかに講演するためでした。
 車中では、論壇誌「WiLL」(ワック)の連載「澄哲録片片」(ちょうてつろく・へんぺん)の仕上げに文字通り、必死でした。
 この連載では今、「祖国の沖縄」と題するシリーズを続けています。沼尻さんという、若いのに人間としての信頼感がしっかりした編集者から、読者のみなさんの熱い反応、期待を聞いているので、充分な時間をかけて書きたいのです。
 ところが、いま国内外とも水面下の動きが烈しく、独研から配信している会員制レポート「東京コンフィデンシャル・レポート(TCR)」すら遅れがちになっていて、新幹線の車中では、デッドラインもデッド、これで送稿が遅れたらほんとうに雑誌に穴が開いてしまうという、ぎりぎりの時間で執筆していました。

 そして、ようやく初稿を送り終えて、今度は編集部が異例の素早さでゲラを作ってくれ、PDFでパソコンに送ってくるのを待ちます。
 届きました!
 今度は新幹線が岡山に着くまでに必ず、すべてチェックと確認を終えて、編集部にメールで返さねばなりません。
 新幹線の駅に、講演の主催者が迎えに来られています。会場まではすぐです。講演の始まりです。

 岡山駅に着くまで、あと数分、さぁどうにかゲラのチェックをぎりぎり終えられそうだと思ったそのとき、隣の席にいるS秘書の上に、通路から男性が身を屈めて「すみませんが…」と話しかけています。

 S秘書を含め独研の全社員は、社長のぼくが護っています。
 ましてやS秘書は、20代半ばの未婚女性です。ぼくは、その男性からSを護る姿勢をとりました。
(あとでS秘書が言ったのは、「社長、顔が一瞬で変わって、戦闘モードでしたよ」)

 すると、その男性はご自分のシャツの裾を引っ張って、ぼくに「すみません、すみません、ここにサインが欲しいんです」
 ぼくは『このひとは、Sをぼくに同行する秘書だと理解して、まず秘書に話そうとしたんだ』と分かりましたから、姿勢は元に戻したけれど、今度はゲラが気になります。
 あと、ほんの4分ほどで完成して送らないと、読者も編集者も大変なことになる。

 しかし、この男性も「一生に一度の出逢い」と思っていらっしゃるのが伝わってくるので、シャツの裾にまず「脱私即的」と自作の銘を書き、その方のお名前を聞いて書き、ぼくの名を小さく書き、年月日を「2675年6月19日」と入れました。
 そして、ゲラも奇跡のように間に合い、新幹線が岡山駅に着きました。

 その男性は、ぼくたちが降りるときにわざわざ再び近づいてこられて、お礼を仰っていました。丁寧なひとです。
 あとで分かったことですが、この方は実は、関西で活躍するお笑い芸人のかたでした。
 関西のお笑いのひとに、ぼくの言説に関心が強い人がびっくりするぐらい多いというのは、実はテレビ局のいろいろな人から聞いています。
 それにしても、大汗、サーカスのようなことでしたわいな。ふひ。


▼その岡山での講演には、なんと、「水曜アンカー」の元AD(アシスタント・ディレクター)の、これも若い女性が来てくれていたのです。
 彼女は、水曜アンカーを支えてくれたひとりで、ロケも一緒に行きました。
 ところが思いがけず病を得て、一時休職したのを機に、なんと看護士さんになることを決意、ふるさとの岡山に戻って、長い地道な努力の末にみごと看護師さんになり、そして今は健やかな新婚さんにもなっているのです。

 講演会はほんとうは学校関係者だけのクローズドの講演会でしたが、主宰者にあらかじめお話しすると、彼女の傍聴を快く認めてくれました。
 講演中に、彼女をこの総会の出席者、おもに各中高の校長さんたちに紹介もし、しっとりと美しい看護師さんになっていることを内心で喜びつつ、こないだアンカーでも後番組でもMCの村西利恵ちゃんから「水曜アンカーで初めての学びを経験しました。何もかもそこで青山さんと学びました」という趣旨の、ほんのり嬉しい言葉をもらったことも、思い出していました。

 さぁ、講演が終わると、今度は新幹線の発車まで十数分しかありません。
 それに間に合わないと、テレビ大阪の収録に間に合いません。
 またサーカスみたいな日程にダッシュです。

 疲れていはいます。
 ぼくはほんらい、まことに淡泊な性格です。争ってまで、発信もしたくありませぬ。
 しかし、「水曜アンカー」や「たかじんnoマネー」を通じて、ぼくのちいさな問題提起に耳を傾けてくださったみなさん、みなさんのおかげで今日も駆け抜けています。
 みなさんの求めがあれば、まだ諦めずに、発信も致すかもしれません。

 そして、ゆったりと頑張れ、看護師のよっちゃん!




✶JAF・日本自動車連盟の公式戦で富士スピードウェイを駆ける。
 サーキット上には、マシーンが本来の進路ではなく壁への激突に向かっていくのを止めようとした他車のブレーキ痕が、黒々と無数に残っている。
 草地にも、ブレーキを掛けたタイヤの切り裂いた跡が残っていて、これは激突を避けられなかったのだろう。
 そのなかを、生きる歓びという、本来の目的に即して、淡々と強靱に、走っていきたい。
 ぼくのこのゼッケン25番のマシーンは、外の世界では戦う獣のようでも、サーキットでは非力そのものだ。
 ロータス(英国)のレーシング部門だけで作り、そして世界でたった50台ほどしか製造されずに、生産中止になった。いわば問題児でもある。
 それだから思わず愛してしまう。
 これからも12月の最終戦に向けて、一緒に駆け抜けよう。 (帰京する空港にて)
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