Home > 記事一覧 > 【拉致被害者のごく一部、5人の同胞が帰国されてから昨日で20年が過ぎてしまいました】 道半ばでも振り返ることはしません しかし、みなさんに伝えるべきことがあれば振り返ります 10月9日の日曜からの道のりをすこしづつ辿 ( たど ) っていこうかと思います
2022-10-16 04:17:37
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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【拉致被害者のごく一部、5人の同胞が帰国されてから昨日で20年が過ぎてしまいました】 道半ばでも振り返ることはしません しかし、みなさんに伝えるべきことがあれば振り返ります 10月9日の日曜からの道のりをすこしづつ辿 ( たど ) っていこうかと思います
▼きょう10月16日の日曜から、ちょうど1週間前の10月9日日曜は、朝7時30分に都内の自宅を出発しました。
日曜になっても、平日に朝8時の部会に参加するために早朝に出るのと変わらないのは、心身ともにちと辛いです。
しかしこの日は、自由民主党の富山県連から依頼された、大切な街頭演説と、党富山県連の女性部のみなさんへの講演会です。
おのれの心身を励まし、いつもと変わらずに出発。
午前10時半までに富山に着き、「10時35分から50分までの15分間で」という要請のもと、まず富山駅近くで拉致被害者の救出についてお話をしました。
それが写真です。
▼富山には、水島慎一さんという18歳の高校3年生がいらっしゃいました。
期末試験を終わり正午ごろに帰宅、午後2時ごろに自宅から歩いて5分の海岸へ、バットとマンガ本をザックに入れて出ました。
家族に「素振りをしてくる」と言い残して。
それが最後になりました。
海辺にバットとマンガ本、ザックを残したまま、行方知れずとなったのです。
▼この富山湾は、カップルが襲われて、それぞれ縛られ、ずだ袋に入れて海辺の松林に転がされるという奇怪な事件も起きています。
カップルを襲った4人組みは、このカップルの証言に依れば外国人風でした。
たまたま犬が咆えかかったために、逃走したようです。
このカップルは、男性の方がなんとか袋を抜け出して、縛られたままウサギ跳びのようにして家に戻り、ふたりとも救われました。
救われたから、上記のような証言も残っているわけです。
▼では水島さんはどうか。
すべての情報、すなわち非公開の捜査情報も含めて、いくら考えても、どれほど多様な検討を加えても、北朝鮮による拉致の可能性が極めて高いとしか言いようがありません。
この水島さんを、政府は拉致被害者として長年、認定しないままです。
わたしは最近あらためて、ひとりの国会議員として治安当局、情報当局それぞれの幹部と話し合いました。
そして再確認したのは、たとえば、家出に繋がるような理由はなにひとつ、見つかっていないことです。
無事に就職も決まっていたのです。
では、海に入って泳いでいて溺れた ?
事件は、昭和43年、西暦1968年の2月9日に起きました。
急に海にやって来た観光客ならともかく、海から家まで5分で海を知り尽くした地元のひとが、冬の北陸の海で泳ごうとするでしょうか。
水島さんは、野球部の中心選手で、遠泳が得意であることが近所の人や高校で知られていて、万々一、海に入ったとしても溺れるとは考えにくいのです。
また、自殺に繋がるような理由も、どこをどう探しても見つかっていません。それは前述の、家出をする理由が無いことと同じです。
▼では、なぜ、政府は認定しないのか。
上記の水面下の協議によって、政府側は「行方不明というだけではなく、北朝鮮の犯行であるという何か積極的な証拠が無いと認定しにくい」と非公式にわたしに明かしました。
これがひとつの理由でしょう。
そして水島さんだけでは無く、他の認定されざる被害者の多くも、これを隠れた理由として認定されないのでしょう。
▼そして水島さんの事件については、わたしはもうひとつ、理由があると推測しています。
水島さんが行方不明となってから9年後の昭和52年、西暦1977年に、政府認定の拉致被害者としては、久米裕さん ( 石川県 ) 、松本京子さん ( 鳥取県 ) 、横田めぐみさん ( 新潟県 ) が相次いで拉致されました。
そしてその翌年には、田中実さん ( 兵庫県 ) 、田口八重子さん ( 石川県 ) 、地村さんご夫妻 ( 福井県 ) 、蓮池さんご夫妻 ( 新潟県 ) 、市川修一さんと増元るみ子さん ( 鹿児島県 ) 、曽我ひとみさん、曽我ミヨシさんの親子 ( 新潟県 ) と次から次へと拉致されました。
(このあと、1980年代に入っても、有本恵子さんら同胞が拉致され続けます)
カップルを中心に拉致が連続した西暦1978年で言うと、前述の凶暴にして異様な拉致未遂事件 ( 富山湾でカップルが縛られ、ずだ袋に入れられた事件 ) も、同じ1978年です。
その前年の77年には、横田めぐみさんらが相次いで拉致されているのですね。
そのために政府は、この9年前および10年前の水島さんの事件は、時期が違うのじゃないかとも考えているのでしょう。
▼わたしの考えは真逆です。
北朝鮮は、富山湾で白昼、高校生を拉致していった。
しかし9年のあいだ、北朝鮮は何も疑われず、日本国は一切、何もしなかった。
北朝鮮は、スパイ防止法の無い日本国内で平然と活動している工作員と共に、その様子をじっと見ていて、「日本はやはり、憲法9条のもとで、国民を外国から護ろうとすることを放棄した国である」と確信し、大胆な連続拉致に踏みきるようになった。
この可能性が充分にあると考えています。
▼以上のことに基づきわたしは、10月9日の富山駅近くの街頭演説で、15分間と限られた時間ながら、以下のことを強調して話しました。
▽自由民主党の現職議員として、明言いたします。水島事件すら拉致と認定できない政府を変えねばなりません。
そのためにはまず、政府を支える自由民主党を内から変えねばなりません。
わたしも、護る会 ( 日本の尊厳と国益を護る会 ) も、主権者と連帯し、そのためにも戦います。
考えの違うひととも、この拉致被害者の救出という一点では、連携できるはずです。
▽拉致事件を引き起こした、原点の問題をも克服せねばなりません。
いま富山は、日本は、午前10時45分頃です。水島慎一さんや横田めぐみさん、有本恵子さんら、おそらくは政府認定を大きく超えて多数、北朝鮮に囚われたままの同胞、はらからには何時でしょうか。
同じ、10時45分頃です。
近すぎて時差がつくれないのです。北朝鮮の独裁者は無理に30分の時差をつくろうとしましたが、国際社会はまったく認めませんでした。それぐらい近くに、同胞が囚われていて、北朝鮮もその犯行を20年も前に認めているのに、取り返しに行かない国は、ほんとうは国ではありません。
▽ここ富山は、新潟とも石川とも福井とも並んで、拉致事件の中心地である現場のひとつです。
きょう演説をお聴きのかたの数は、少ないです。
しかし逆に、今こうして聴いてくださっているかたは、宝物です。
どうぞ、このつたない演説で何かをお感じになったら、身の回りのかたに話し、SNSを活用して遠くのかたがたにも話し、日本と日本国民が敗戦によって実は国を喪ったままでいることを、わたしたちと一緒にお考えいただけませんか。
▼演説が終わり、警備上の問題は顧みず、遊説カーを降りると、何人かの主権者が話しかけてこられ、拙著にサインをお求めになるかたもいらっしゃいました。
こころから、ありがとうございました。
▼そこから、近くの「グランテラス富山」というホテルに向かいました。
▼自由民主党の富山県連の依頼によって、県連女性部の「2022りぶるのつどい」のなかで、講演しました。
講演が終わり、その場が昼食会となり、さらに地元で活躍されるフォークバンドの「楽屋姫」が真心のこもった演奏をなさいました。
こういう昼食会や、さらにアトラクションになると、講演した国会議員はそそくさと会場を去り、そのとき必ず「公務のため」というアナウンスが入ります。
わたしは政治記者の時代から、「遅く来て、早く帰るのが国会議員の常識」みたいに思っている議員に、それは違うでしょうと考えてきました。
下手をすると、それをまるで「議員はエラい」という表れみたいに思っている議員も居て、そういう議員には記者として直接、「おかしくありませんか」と何度も問いました。
したがって、この日も、みなさんと昼食を共にし、会話し、演奏も一緒に楽しんでから、空港に向かいました。
すると、フォークバンドのみなさんが思いがけず、会場の外で待っていてくださっていて、リーダーのかたが「メンバー3人のうち2人が青山さんの熱心なファンです」と仰いました。
講演もすべて、聴いてくださっていたそうです。
たいへんに恐縮しながら、一緒に写真に収まりました。
▼帰京すると、もう夕刻から夜になりました。
日曜の夜から翌日の朝までは、なんとか「夜想交叉路」 ( 11月に発刊が決まっている新作小説 ) のゲラ直しに入りたかったのですが、次から次へと電話、メール ( いずれも暗号化されています ) による公務が入り、そのまま10月10日の祝日の朝になりました。
この日は、上述の電話、メールによる公務の合間に、トレーニングをやりました。
弱いメンタル ( こんなに忙しいんだからトレーニングなんてサボりたいよぉと内心で叫んでいるメンタル ) に強い身体・・・トレーナーと相談しつつ、いくらトレーニングの内容を烈しくしても、筋肉痛が出ません。筋肉痛が出ないということは、筋肉が壊れていない。筋肉は、いったん壊して、それを修復するときにこそ強靱になります。
メンタルが悲鳴を上げて『もう投げ出したいよぉ。無理だよぉ』と胸のうちでは叫んでいるトレーニングを、ようやくやり通しても、実は、弱いメンタルの範囲内でしか鍛錬していないのでしょう。
深夜の鬱屈と疲弊で弱り切ったメンタルが、晴れる日が来ないと、いや、おのれから晴らす日を招来しないと、躯に新しい力がつきませぬ。
▼富山の演説について、このブログにわずか2通だけ、コメントがありました。
いずれも男性のようです。
1通は、わたしの演説、呼びかけについて真剣に考え、共鳴してくださっています。
もう1通は、演説については「いつもの青山さん」とだけ仰り、あとはお怒りです。
演説の聴衆が少ないことに怒り、演説の告知があまりにも遅いことに怒り、講演会の告知が無いことに怒り、行こうとしても会場のホテルすら分からなかったことに怒り・・・いずれも、よおく分かります。
おそらくは党の運営への怒り、ご不満でしょう。
ただ、コメントを読むのはわたしですから、党にクレームを仰るのではなく、わたしにクレームを仰っているのと実質的には同じになります。
わたしも、公設秘書も、講演会だけではなく街頭演説もあると聞いたのは、まさしく直前の直前です。
ですから、このエントリーにてお知らせしたのが最速とならざるを得ません。
そして、街頭のあとの講演会は、一般参加が難しいであろうことも、そのエントリーで明記しています。
ご自分も自由民主党員であるのにと、激怒されていることが文面から伝わってきます。
これも良く理解できます。
ただ、これは富山県連女性部の催しで、実際に会場に聴衆、あるいは参加者としてお見えになっていたのは、女性たちだけでした。
自由民主党の各地の県連が主宰する講演会の運営については、わたしや議員会館の青山繁晴事務所では、細かいことは分かりません。
また運営に介入することは、もちろん致しませぬ。
この怒りをぶつけておられるかたも、内心は、もうひとりのコメントのかたと同じく、演説を真摯に聴いてくださり、共鳴もしてくださったのだろうと感謝しています。
それだからこそ、聴衆の少ないことを嘆かれ、そのあとの講演も聴こうと努力してくださったのですね。
あなたさまとも、不肖わたしは確実に連帯しています。
これからも一緒に、考えましょう。一緒に、やりましょう。
★お願いがひとつ。
明日の月曜に「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」の新しい収録をどうにかやろうとしています。
ところが、本の感想文が、どの本についても足りません。
もしも、どれかをお読みになっていて、何かをお考えでしたら、そのままこのブログへコメントとして寄せてください。お感じになったままでいいのです。
伏してお願いします。
▼お知らせがひとつ。
10月19日水曜の早朝6時15分から8時ちょうどまで、ニッポン放送の生ラジオ「飯田浩司のOK ! Cozy up ! 」に参加します。
久しぶりに、高橋洋一さんとご一緒します。