On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2015-03-08 12:50:06
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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こんな感じの日々です その1  (「ぼくらの真実」サイン会も最終段階 ! )

▼いま羽田から福岡へ向かう機中です。
 窓の外には明るい春の陽射しの博多湾が見えてきました。

 きょうは3月8日の日曜日、これから「ぼくらの真実」(扶桑社)のサイン会を紀伊國屋書店福岡本店で開きます。
「ぼくらの真実」の発刊を機会にしたサイン会は、きょうの福岡が終われば、あとは仙台の一か所だけになります。
 もっと開いて欲しいという声は、このブログにもまだ沢山いただくのですが正直、日程、コストともに今回は、もはや打ち止めです。
 無事に次の本が出せれば、その時にはまたサイン会を開けると思います。

 最後の仙台は、丸善仙台アエル店で3月28日土曜の午後2時から開きます。
 問い合わせの電話番号は 022-264-0151です。
 サイトはここです。

▼日程は相変わらずの無茶ぶりです。
 先週は、たとえば関西テレビの報道番組「水曜アンカー」の生放送を終えて大阪から帰京した翌朝の3月5日木曜は、早い時間からチャンネル桜の「青山繁晴が答えて、答えて、答える」の収録から始まりました。
 いつもの3本撮りは無理で2本になりそうだったのを、どうにか3本を撮り終えると、大急ぎで丸の内に向かい、駐日オーストラリア大使館の公使 (メガネの似合う爽やかな女性) らと会食し、英語で安全保障や日豪の新しい協力を議論しました。

 終わるとすぐに有楽町のニッポン放送に移動。
 まずはニッポン放送主催のイベントのために、「ぼくらの真実」80冊にサイン。座右の銘は、いつもの「脱私即的」「祖国は甦る」以外にも、かなり多くの新しいバリエーションを含めて、すべて自作の銘を書きました。

 サインが終わると、ほんのすこし疲労を感じたけど、休む間はなくすぐにラジオ報道番組「ザ・ボイス」の生放送を開始。
 力を尽くしてリスナー・国民にお話しすると、またすぐに日比谷へ移動。
 ノンフィクション分野の編集者と会食です。
 疲労で、あまり食べられない。話もすこし疑問があって、ちょいめげ。

 終わると、再びすぐにお台場へ移動して、フジテレビのディレクターたちと面会。番組へのゲスト参加の依頼を受ける。
 このアポイントメントで、この3月5日木曜はもはや深夜となり、帰宅。
 ところが帰宅して仕事が終わるということは、26歳で社会人になってからずっと、滅多にありません。
 この夜は帰宅してすぐ、テレビ朝日から電話があり、翌日の「ワイド・スクランブル」のために長時間の電話での議論。
 ようやく終わると、もうぐったりだけど、時差のある海外の情報源がオフィスに入ったり、目を覚ましたりする時間となり、電話とEメールで情報交換と議論を続けました。
 どんどん3月6日金曜の夜明けが近づくなか、その情報を元に、独研 ( 独立総合研究所 ) が会員へ配信している東京コンフィデンシャル・レポート(TCR)の原稿を途中まで書き、それから凄まじい数がたまっている、講演の受講者のみなさんからのEメールに少しでも返事を書いているうち、無意識に机に突っ伏して、仮眠。

 短い仮眠から目覚めると、朝風呂で心身に血を巡らせる…と言いたいけど、時間がなくて、唯一の健康法のような朝風呂も、ほんらいの半分以下の時間に縮めて、この日最初のアポイントメントに出かける。
 国会の関係者、天然ガス輸送の関係者との面会に臨む。
 その席からテレビ朝日に向かい、「ワイド・スクランブル」生放送に参加。
 視聴者・国民に真実が伝わることだけを願って、ささやかに努力する。

 テレ朝から、都内の仕事部屋に向かう。
 ほんとうは独研に出社して、社員の顔を見ながら上掲の東京コンフィデンシャル・レポート(TCR)を書きたいけど、時間が無いので、独研への道のりの途中にある仕事部屋に立ち寄り、TCR第730号を仕上げる。
 これは、夜明けまでやっていた情報収集とは別の内容で、国内政局のレポート。
「特集 第3次安倍政権は危機にあるか」の「その4」となる。

 TCRは、今月の30日に、第1号の配信(西暦2000年3月30日)から満15年目を迎え、4月から実に16年目に入っていく。

 このTCR第730号の仕上げには、かなり時間を費やしてしまった。
 それから、長野県へ出発。
 独研の会員制クラブ「インディペンデント・クラブ」(IDC)の第4回雪上集会に向かう。
 このスキーの集いは、IDCのイベントとしては最も参加人数が少ないのだけど、熱心な参加者が多く、これも絶やしたくない。
 社有車を運転して、雪が凍結している夜の峠も越えて現地入り。
 リフトのナイター営業が30分だけ残っていたので、大急ぎでスキーウエアに着替えて、ほんの少し滑る。
 滑ってから、遅めの夕食を取ると、どっと疲れが襲ってきたけど、TCRの新しい号の原稿を再び、途中まで書き、講演受講者のみなさんからのEメールに、すこしづつでもできる限り返事を書き、宿泊先のダイニングテーブルで、この夜もばったり突っ伏して、短く仮眠する。

 そして翌朝、3月7日土曜の朝は8時半にもう集合なので、この日も朝風呂で心身に活を入れようとするが、前日よりもっと短くなってしまった。
 それでもゲレンデで全国から集まったIDC会員のお顔を見ると、いくらかの元気は出ててきて、朝からガンガンに滑り始める。
 ただし、今回は初参加の初級者がひとりいらしたので、そのコーチングも開始。
 IDCスキーチームは、ちょっと驚くぐらいみな、スキーがうまい。だから、ふだんは一緒に滑っているだけで良いことも多いけど、こういうことも、もちろんある。問題なし。
 しばらくぼくがコーチして、そのあとは、会員のなかの上級者に分担してもらいました。うるわしや、みんなのIDC!

 ぼくは、おのれだけで滑るときは、昼ご飯は食べません。
 ひとつには、履いているスキー靴(競技用)は足首がもの凄く細く作ってあって、反応がいい代わりに、履いたり脱いだりがとてつもなく大変だ。大半のレストランは、スキー具のママでは入れないので、脱いで履く手間を考えると、足が遠のく。
 それと、原始人の体質なので、何か食べると全身の血が一斉に胃腸に集まって消化吸収を始めて、頭にも筋肉にも血が回らなくなる。
 スキーというスポーツは、頭も筋力も要るみたいだから、ふだんは朝からナイターまでノンストップ、つまりリフトを降りても止まったりしないで、そのまま斜面に飛び込んでいって滑り続けるのです。
 ふつうは朝7時ごろのリフト営業開始から、ナイター終了の午後8時まで13時間ぶっ続けで、超高速で滑り続ける。

 しかしIDCのみなさんをはじめ、ほかの人と一緒に滑るときは、そんなことは致しませぬ。ふひ。
 この日も長時間並んで、IDCの参加者みんなと昼食。
 それでも昼食が終わるとすぐに再び滑り始めて、まずは午後4時半ごろまで。
 そこでナイターにも参加する人を募って、手を挙げた4人と、午後7時を回るまで滑り続けました。
 ナイターにも参加した会員は、ぼくと朝8時45分ぐらいから昼食を挟んで夜7時過ぎまで、実質9時間から9時間半、滑りっぱなしだった。
 途中で「もう足が持たない」とおっしゃった、ベテラン上級スキーヤーの初参加の50歳の男性も、みごと最後まで華麗な滑りで完遂されました!

 そのあと、本格的なフランス料理店で懇親会。
 独研から、赤字をさらに広げる(わはは)差し入れとして、ワイン3本もあり、みなさん、ぼくと一緒に愉しまれたようだった。
 宿泊先に帰ると、もうもちろん深夜。
 しかしこの夜も、TCRの執筆の続きと、講演受講者のみなさんからのメールへの返信を続けて、やっぱりテーブルの上に突っ伏して仮眠。

 翌3月8日の日曜、つまりこれを書いている本日の夜が明ける前の午前5時半過ぎに、宿泊先から社有車を運転して、帰京し、自宅で今日も短すぎる朝風呂に入って、羽田に向かい、このフライトに乗ったのであります。
 機内では居眠りしたかったけど、この地味なブログも待っているみなさんがいらっしゃる。
 なにを優先させるのか、それが人生さ。

 さぁ、着陸です。
 いざサイン会へ。
 お待ちのみなさん、読者のみなさん、今日も元気にお会いしましょう !



* 写真は、ガスっているなかの滑りです。
 やっぱり日程がいくら何でも無理なのか、この日の滑りは膝がしっかり絞り込めない滑りになってしまった。
 それでもナイターの最後の3本ほどは、それができた。
 わが心身はこき使ううち、調子が出てくる。ふひ。
(この写真の滑りではありません。これはまだ昼間ですね。まずまずバランスはいいけれど、自分自身で理想と考えている滑りでは、ないですね)













 
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