2015-03-16 12:32:06
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
Comments (1)
ホノルル午前4時半です
▼ニッポン放送のラジオ報道番組「ザ・ボイス」の初めての公開生放送を、横浜タカシマヤで開いてから、そのまま空港に向かい、ハワイに入りました。
独研 ( 独立総合研究所 ) から研究員ら4人、それに扶桑社とワニブックスの編集者も加わった総勢6人で2日間、みっちり下見をしてから、独研 の会員制クラブ「インディペンデント・クラブ」 (IDC) のみんなと、パールハーバー・真珠湾を「新視点」で訪ねる会を開きました。
きのう無事に、中身濃く、その会を終えて、きょうはもう帰国です。
▼横浜タカシマヤに詰めかけて、1時間半の公開生放送を熱心に聴いてくださった物凄い数のみなさんの熱気。
そして、真珠湾の記念館や戦艦ミズーリの艦上で、ぼくのつたない解説、ただしこれまでの通説を具体的に、徹底的に覆す解説を、メモを取りながら心身を集中して聴いてくれたIDC会員のみんなの熱意。
それがそのまま、ぼくの身体にまだ残っています。
▼このことは、「ぼくらの祖国」(扶桑社、例えばここです)、「ぼくらの真実」(扶桑社、例えばここ)に続く、行動篇、あるいは実践篇(年内に刊行予定)に、詳しく書き込みます。だから出版社の編集者も今回、同行しました。
▼写真は、日本海軍によって撃沈されたアメリカ海軍の「ユタ」です。(画面左の残骸)
ここはアメリカ海軍の施設内奥深くにあり、厳しくなった現在のテロ警戒もあって、ふだん一般には公開されていません。
上記の「ぼくら」シリーズの最終巻には、こうした一般非公開の場所の写真や、一般に公開されていても、これまでの解釈や理解が間違っていた場所の写真を、たくさん盛り込もうと考えています。
戦艦ミズーリの艦上に、再現されている「足跡」。
これは、ミズーリへ突入した日本海軍の零戦の若きパイロットを、なんと、戦中にアメリカ海軍の正式な海軍葬をもって尊敬を込めて海に帰したとき、艦上に整列したミズーリ乗組員の足跡なのです。
「ぼくらの」行動篇あるいは実践篇に、克明に書き込みます。
ハワイは旭日、青空、そして夕陽がいつも忘れがたい。
独研 ( 独立総合研究所 ) から研究員ら4人、それに扶桑社とワニブックスの編集者も加わった総勢6人で2日間、みっちり下見をしてから、独研 の会員制クラブ「インディペンデント・クラブ」 (IDC) のみんなと、パールハーバー・真珠湾を「新視点」で訪ねる会を開きました。
きのう無事に、中身濃く、その会を終えて、きょうはもう帰国です。
▼横浜タカシマヤに詰めかけて、1時間半の公開生放送を熱心に聴いてくださった物凄い数のみなさんの熱気。
そして、真珠湾の記念館や戦艦ミズーリの艦上で、ぼくのつたない解説、ただしこれまでの通説を具体的に、徹底的に覆す解説を、メモを取りながら心身を集中して聴いてくれたIDC会員のみんなの熱意。
それがそのまま、ぼくの身体にまだ残っています。
▼このことは、「ぼくらの祖国」(扶桑社、例えばここです)、「ぼくらの真実」(扶桑社、例えばここ)に続く、行動篇、あるいは実践篇(年内に刊行予定)に、詳しく書き込みます。だから出版社の編集者も今回、同行しました。
▼写真は、日本海軍によって撃沈されたアメリカ海軍の「ユタ」です。(画面左の残骸)
ここはアメリカ海軍の施設内奥深くにあり、厳しくなった現在のテロ警戒もあって、ふだん一般には公開されていません。
上記の「ぼくら」シリーズの最終巻には、こうした一般非公開の場所の写真や、一般に公開されていても、これまでの解釈や理解が間違っていた場所の写真を、たくさん盛り込もうと考えています。
戦艦ミズーリの艦上に、再現されている「足跡」。
これは、ミズーリへ突入した日本海軍の零戦の若きパイロットを、なんと、戦中にアメリカ海軍の正式な海軍葬をもって尊敬を込めて海に帰したとき、艦上に整列したミズーリ乗組員の足跡なのです。
「ぼくらの」行動篇あるいは実践篇に、克明に書き込みます。
ハワイは旭日、青空、そして夕陽がいつも忘れがたい。
戦った相手にも敬意【ガッシュナッツ】
2015-04-12 15:56:18
たった今、2014年12月に発刊されました「僕らの真実」青山繁晴著を読み終わったところです。
前々から、テレビ放送やラジオなどで青山さんのお話に聞き入っていましたが、今回の著書も数多くの良質の問題提起が有り、
新たに納得・考えさせられた部分と、今まで自分が信じてきたことへの、より一層の確信を得ることが出来ました。
有難うございます。
今回のブログに掲載されている、「 戦艦ミズーリの艦上に、再現されている「足跡」。これは、ミズーリへ突入した日本海軍の零戦の若きパイロットを、なんと、
戦中にアメリカ海軍の正式な海軍葬をもって尊敬を込めて海に帰したとき、艦上に整列したミズーリ乗組員の足跡なのです。」と言う所です。
こう言うのがあったのを青山さんのブログを見るまで全く知らなかったのですが、当時は敵同士で、ゼロ戦が艦に突っ込まれたら自分の所にも被害があったにもかかわらず、
その勇敢にも敵艦に突っ込んだ敵兵に対して敬意をこめて海軍葬ををするなんて・・・。
他にも例を挙げて、パラオでの戦闘でも、お互い大変な被害が出て、し烈な戦いをしていたのに、戦いが終わった後に、ニミッツ長官が日本のために慰霊の石碑を建てたという話。
アメリカもなかなかいい所がありますね!
でも、侮れないのがこういうう所は、アメリカは、紳士的なふるまいをするけれど一方で侵略的な部分を持ち合わせ、
自国の都合の良い方向にもって行こうとするアメリカもありますね。・・・(民主的な利己主義って言うか・・・!)
力があるだけに、内面的圧力も感じさせられますものね。
実は、2002年に家族でハワイ旅行に行った時、「戦艦ミズーリ記念館」の建物の前まで行ったことがあるんです。
なぜ、建物の前までかと言うと、見に行った時間が開園時間を過ぎていて、当然管理は、米軍がしているので入口のゲートで、
米兵がたぶん「君たちは、ミズーリ記念館に来たのか?もう閉館している時間だから今日はもう駄目だ」と英語で言っていたと思うのですが、(…英語があまりしゃべれないので。)
言っていることがわからず、最後にパスポートと国際免許書を見せたら、レンタカーで来てたのですが中に入れてくれて、
記念館の前まで行って初めて、「あっ、閉館してたのに、中に入れろ」と言ってたから教えてくれてたんだというのがわかりました。
結局、見れずじまいのまま、13年が経ちましたがこのブログを見て、いや、青山さんが普段おっしゃてる記念館の話を聞いて、もう一度ハワイに行きたくなりました。
去年は、秋にシンガポールとインドネシア、今年の3月には台湾に行きましたが、思っていた以上に台湾は親日でした。
これも、戦前戦後と私たちのご先祖様が間違ったことをしてこなかったからの結果だと思います。・・・ご先祖様。有難うございます!
これからも、テレビやラジオ・著書などでのご活躍を期待していますので頑張ってください。