On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2010-11-03 06:04:12

にんげんドック2日目、そして大阪入り



▼生まれて初めての人間ドック、そしてざっと9年ぶりの健康診断の1日目は、目が回るほど沢山の検査が切れ目なく続き、やがて締めくくりに、心電図を長時間記録する「ホルター」を電極とともに胸に貼り付ける。
 11月1日月曜の16時すぎ、病院内のホルター検査室へ。

 室内は、壁にミッキーマウスの絵がたくさん貼られ、ベッドに仰向けになると、天井にも貼られている。
 そこへ検査技師さんが「確認のために聞きます。お名前は?」
 ぼくは思わず「ミッキーです」と答えそうになった。

 その声を、喉の先で止めて、内心で笑いをこらえた。
 技師さんは、ぼくの答えがないので、ちょっと慌てた感じで「お名前は?」
「青山繁晴です」と答えると、技師さんはホッとした感じになった。
 ぼくは「いや、思わずミッキーって答えそうになって」
 技師さんは「ああ、そうでしたか」と笑い、「これ、おこちゃま対策なんですよ。結構、たいへんなんで。子供の患者さんに静かにしてもらうのは」

 ぼくは、検査スタッフにミッキー・ファンが居るのかと思っていたから、自分の勘違いに呆れながら、ふと、そんな小さな頃から心臓の検査を受ける子供と、その親を思った。
 ぼくのごく近い親族にも、小児心臓病を患ったひとがいる。
 入院するとき、車のなかでは、幼かったぼくと一緒に賑(にぎ)やかだったのに、病院に着いた瞬間、なんとも言えない不安な表情になった。それが今も忘れられない。
 そして、ぼくは慶應義塾大学の学生時代、世田谷に住んでいて、国立小児病院の前の道を車で走るたび、ふだんぼくらの目に触れずとも、病気と闘う小さな子供がどれほど多いかをなぜか身近に感じていた。

 ぼくは今、ありのままに申して、自分を守らない生き方を選択している。
 しかし、それもほんとうは、丈夫な体に母が生んでくれたからこそ、できる。
 そして母乳で、生涯にわたる免疫力の基(もと)を与えてくれて、父もぼくら子供たちを護ってくれて、ぼくは今、烈しい職務に耐えられる心身でいる。
 その躯を、その命を、最後の一滴(ひとしずく)まで生かしきって、世にささやかに尽くしますと、硫黄島の英霊や白梅学徒看護隊の少女たち、亡き父、ご先祖さま、そして敬愛する、あるかたに、清い水を捧げるとき誓っている。

 そうであるのなら、これを機に新しい躯づくりもやろうと、ミッキーのいる天井を眺めていた。
 同じ絵を熱心に眺めた小さな子供の視線のなごりを、ありありとそこに感じた。


▼16時45分。宿泊先の病院個室に入る。
 16時50分。モバイル・パソコンで仕事を再開。
 きょうは早朝から、病院の廊下や、待合室や、検査室のドアの前で、細切れの細切れで仕事をして、看護師さんに同情?されていたから、とりあえず小さな机で落ち着いて仕事ができてホッとする。
 窓の外では、病院付属の看護大学の学生たちが、テニスをしている。がんばれ、命を預かる学生さんたち。


▼18時10分。病院内のレストランで、あらかじめ決められたメニューの夕食。
 おいしく、いただきました。
 巨大なエビフライを、大きな黒い目の頭ごと、ばりばり食べる。デザートに、でっかいケーキとグレープフルーツが出て、びっくり。へぇ、こんなに食べていいんだ。
 いつもこんなふうに規則正しく食事できたらなぁ。

 18時45分。個室に戻り、仕事再開。しかし膨大なEメールを、とりあえず分類するだけでどんどん時間が過ぎる。

 21時から、テレビで「TVタックル」を、ちらちら見つつ仕事を続ける。今夜はそういうわけで、最近では珍しく自分の発言するところを視た。自分の顔などテレビで見たくもない。
 タックルは、その時の担当ディレクターによって編集ぶりが変わる。ディレクターの個性を尊重しているのかもしれない。番組が終わったあと、「青山さんの発言もかなり放送されて嬉しかった」というEメールと書き込みを少なからずいただく。
 いつも言うとおり、編集ぶりはあくまでテレビ局の専権事項だけど、熱心に視てくださった視聴者に深謝。


▼21時20分。明日の胃カメラ、腸カメラに備えて、最初の下剤200ミリリットルを飲む。
 看護師さんは「22時にぐらいには就寝してほしいですね」とおっしゃっていたけど、とても無理じゃわい。
 25時30分。仕事はまだほとんど実(じつ)が上がっていないけど、さすがにこれ以上、起きていては検診にならないだろうと、就寝。


▼4時48分、起床。人間ドックの2日目、11月2日火曜が始まった。
 4時50分。パソコンで仕事再開。
 睡眠時間は3時間20分。ゆうべの寝入りはあまり良くなかったから、実際には、3時間を切って2時間50分ぐらいの睡眠かな?
 看護師さんには申し訳ないけど、いつもと同じぐらいの睡眠時間になって、かえって心電図などに実生活がありのままに反映されて、いいんじゃないかなぁと勝手に考える。

 5時40分。きのうの初日に、病院の「運動指導士」さんに教わったほやほやの腹筋とストレッチをさっそくベッドの上でやってみる。10分ほど運動して、仕事に戻る。

 6時06分。きょうの分の下剤を飲み始める。このあと指示通り15分おきに、実に9回、大量に飲み続ける。こりゃー、やっぱり仕事はあまり進まない。
 飲むのが下剤じゃなくて朝ビールなら、進んだかも。
 うそ。

 8時40分。看護師さんが、検尿を取りに来てくれる。
「どれぐらい寝ましたか?」
「…3時間前後です」
(苦笑しつつ)「いつもと同じですね?」
「はい、ごめんなさい」
(笑って)「いえ。大丈夫ですか?」
「大丈夫ですが、眠いです」

 10時20分。きのうのホルター検査室に戻り、ホルターを外し、そのあと胃カメラ、腸カメラへ。
 共同通信の記者時代の健康診断から、この胃カメラも腸カメラも大の苦手なんだけど、今回は、軽い麻酔薬のじょうずな使用で、ほぼ苦痛がなかった!
 進歩したのじゃのー、検査も。
 だけどやっぱり、ほんとは検査はキライ。

 13時40分。検査はすべて完了。
 おなかは、検査のために腸に吹き込まれた空気やら下剤やらなんやらでパンパンに膨らんでいる。
 シャワーで麻酔をふり払って、羽田空港へ向かう準備をする。
 看護師さんは「きょうは休みじゃないんですか」と、こころの底からびっくりの顔になる。
 えぇ、検査前の質問票に書いたとおり、休みはないんですよ。
 また検査結果をうかがいに、来ますからね、それまで、さよなら。
 心残りは、待合室にあったTARZAN(雑誌)の特集「自転車Q&A」を読めなかったこと。愉しそうな特集だったのににゃ。


▼独研(独立総合研究所)の本社で同行者と合流してから、空港へ。
 機内では、おなかが、ぎゅーと痛む。しかしまぁ問題なし。
 17時ごろ、大阪市内の関西テレビに到着。
 まず、お待ちだったメディア関係者と会い、日本の自主資源メタン・ハイドレートについてお話しする。
 19時半から、明日の報道番組「スーパーニュース・アンカー水曜日」の「青山のニュースDEズバリ」コーナーのために、いつもの激論開始。
 頭を整理するヒマがなかったのと、検査疲れで、ぼくは絶不調。
 しかしこういう時のほうが、生放送の本番では、集中心が高まったりする。
 正直、簡潔な議論にしたかったが、ぼくの話にまとまりが足りないこともあり、21時近くまで続く。

 このごろの日本外交の難局に、MC(メインキャスター)のヤマヒロさん(山本浩之アナ)と利恵ちゃん(村西利恵アナ)やプロデューサー、ディレクター、そのほかのスタッフ陣は一生懸命に、ぼくに質問し、議論してくれる。
 利恵ちゃんの問いかけの的確なことに、あらためて感嘆する。

 ぐったりとタクシーに乗り、定宿のホテルへ。
 ホテルでも、部屋に入らないまま、独研の関西駐在社員と、軽い食事をとりながら会議。
 終わって、車を運転して帰る社員たちと別れて、バーですこし飲んで、頭を整理しようと努めるけど、ほとんど、だめ。
 23時10分ごろ、部屋に入り、パソコンでの仕事を再開。
 明日のアンカー本番に向けて、今週も、次第次第に心身の集中を高めていく夜になる。





※さてさて、こうして初人間ドックは終わりました。
 写真は、病院個室から携帯電話で撮った、夜明けです。
 窓ガラスに、室内とぼくが映り込んでいます。

 人間ドック入りのことを、この地味ブログに記したら、びっくりするほど沢山の書き込みとEメールで「よかった。安心した」という声をいただきました。

 …検査結果はまだなので、安心はまだ早いのですが、でももちろん、意味されるところは、よおく分かります。
 青山の野郎がとにかく検診に足を運んだ、それだけでも、まずは第一歩、と思われたかたも少なくないようです。
 みなさま、ご心配をかけてごめんなさい。
 ふひ。

 そして、わがことのように心配していただいて、こころから、ありがとう。

 いまは大阪のホテルの窓から、夜明けを見ています。
 本日は、世は祝日ですね。
 テレビ番組も祝日なら休めばいいのに、と思わなくもないけど、番組を待ってくれているかたがたのために、きょうも、非力なりに力を尽くし切ります。

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