On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2013-06-25 15:11:36

教育三題

 

▼きょう6月25日火曜は、朝5時に、どうにか資料を完成。
 それは、5月中旬にインドに行ったとき、インドの要人に提案した「チャンドラ・ボース・ジャパン大学」の創立をめぐる資料です。
 きょう文科省の首脳陣にサシでお会いする約束が、きのうに急に成立したから、ほかの仕事に夜更けに目鼻を付けてから、朝までにその資料を作ることになったのです。

 おととい6月23日の日曜日に、神戸で開いた「第19回独立講演会」(*註)で質問に立った35歳の男性が「ぼくは意志が弱い。青山さんのように頑張るにはどうしたら?」という趣旨の質問をなさった。

(*註 独立講演会とは、独立総合研究所が自主開催している原則、時間無制限のスーパー講演会です。あ、スーパーと言ってしまった。しかし、最短でも4時間半、最長では実に6時間半のロング講演を倦まずに聴いてくださるみなさんは、スーパー・オーディエンスなのです)

「ぼくも意志が弱いんです」と答えました。謙遜じゃありませぬ。「気は、凄く強いけど、意志は弱いんです。酔って帰ると、今でも歯磨きせずに寝ちゃいます。子供の頃、遊んで帰ると親に叱られても歯磨きせずに布団に入っちゃったのと、何も変われない」
 そして、こう続けました。
「意志が弱いのなら、それを無理に強くしようとはしないでいいです。それよりも、あなたの意志が強かろうが、弱かろうが関係なく、あなた以外の人があなたに何かを期待するように、してください。それは期待に応えるために、いい格好しようとか、そういうことじゃない。逆です。人に何かを、かすかでも期待してもらって、自分のためじゃなく、まさしく自分以外の誰かのためになろうとする。そうしたら意志が弱くても、やるべきことをどうにかやれます」

 これは、まさしく本音です。ぼくの意志弱き人生、そのままです。
 独立講演会でも、チャンネル桜の「答えて、答えて、答える」でも、いつでも同じ、本音のままで、すべての質問に答えています。

 昨夜から今朝にかけて、たぶん30回以上ぐらい、「もう、どうでもいいから横になりたい。この頃、筋力トレーニングの時間がゼロになっていて、スキージャンプ墜落で骨を引きちぎっちゃった腰も、腰回りの筋肉が分厚さを失って、痛むんだからさぁ、とにかく眠くて眠くて吐き気がするしさ、いったん横になりたい。横になろう。そのあと、どうにか、仮眠10分ぐらいで、起きてさ、仕事を再開できるよ、きっと」と、意志弱きぼくが、ぼく自身に繰り返し、繰り返し、囁(ささや)きました。

 しかし、「水曜アンカー」という関西テレビの生放送で、この「チャンドラ・ボース・ジャパン大学」を創立して、アジアと世界に正しいフェアな歴史観を打ち立てるという提案をインドでしました、という事実を話したら、そのあと驚くほど沢山の視聴者、国民から「必ず、下村博文・文科大臣らに直接、伝えてください」というメールや書き込みをいただきました。
 日本があまりりに不当に貶められてきたことに、じっくり向かい合って、名誉ある祖国にして子々孫々に手渡したい。その期待をぐいと胸に刻んでいる以上は、意志の弱いぼくもどうにか、文科省首脳陣に手渡す資料を作るまでは、寝っ転がらないで、耐えて、作業を続けられる。


▼そして資料は、夜明けと、そのあとの清涼な気配を窓の外に見ながら、おのれでも一応は納得できるレベルまで完成。「いったん横になる」というのをやっていたら、間違いなく完成しないままだった。

 ほんのすこし仮眠をして、携帯電話にセットしたアラームで飛び起き、イヤイヤをする心身を熱めの短い朝風呂で叩き直して、文科省へ向かいました。
 話の詳細はまだ明かせないけど、たとえば一対一で向かいあった下村博文・文科大臣の、歴史への確固たる、フェアな認識は素晴らしかった。

 下村さんはまた、文部科学省、つまり旧科学技術庁サイドから、メタンハイドレートの真っ当な研究開発に深い関心を寄せて、ふつうの政治家にはあり得ない努力をなさっているひとです。
 政治家はいろいろな面を持っているから、下村さんについても様々な意見、見方、情報をぼくに伝えてくる人は少なくありません。
 しかし、前述の独立講演会でも、あらためて確信を持って述べたことですが、ぼくは日本の国内外を問わず、その人材の良き面と、連携すべきを連携し、祖国とアジアにささやかに寄与できるよう生きて、死にます。
 おのれ自身が、おかしな利権に一切、関わらず、私心(わたぐしごころ)を脱するよういつも努めていれば、相手も、良き面だけを出してこられます。日本人でも外国人でも、それはまったく同じです。


▼下村文科大臣はすでに、独研(独立総合研究所)自然科学部長の青山千春博士が意を決して初めて一般国民のために書いた「希望の現場 メタンハイドレート」(ワニプラス)を読み始めておられました。
 下村さんは東京選出の代議士です。都議選を挟んで、まさかもう、この書に目を通しておられるとは思わなかった。じっくり読み込む本だというお考えが、伝わってきました。

 この書をアシストし、そして「長すぎる後書き」を書くために、この6月、ぼくの無茶も極限を超えてしまいました。
 しかし、国民から沢山の予約が殺到していることと合わせて、正直、嬉しく思いながら駅に向かい、そして今は新幹線の車中です。
 これから京都で、自衛隊と自衛隊OBのかたがたらに講演です。
 そのあと大阪へ向かい、今週も、関西テレビ報道部の諸君と、「水曜アンカー」のための、ちと苦しい討議が待っています。


▼そして、駅に向かうタクシーの車内で、同行のYO秘書から、「社長!」と弾む声がかかりました。
 彼女はこう言いました。
「ぼくらの祖国」(扶桑社)がまた重版になったと編集者からメールが入ってます!

 そう、これで13刷に達しました。
 なんと、「希望の現場 メタンハイドレート」が世に出て行くのと合わせて、「ぼくらの祖国」(*註)も、びっくりするぐらい多くの読者が、あらためて増えているのです。

(*註 青山千春博士命名の通称では、ぼくそこ。読者の命名では、赤本。それなら、この「希望の現場 メタンハイドレート」は、対談本の「青山繁晴 反逆の名医と日本の歯を問う」(ワニプラス)などと並んで、白本かな…)

 そんな宣伝はしていないのに、「希望の現場 メタンハイドレート」と「ぼくらの祖国」が根っこでは、底流では、しっかりと繋がっていることを、どうして読者は、かくも正確にご存じなんでしょうか。
 日本の読者のレベルの高さに、いま一度、感嘆します。


▼この「ぼくそこ」は、ぼくらの祖国という言葉が、父や母と子供たち、小中高の先生と生徒たち、そして大学や大学院での教員と学生たちの間でふつうに使われるようになることを、根本の願い、祈りとして書き上げました。

 きょう25日火曜は、文科省を訪ねました。ぼくは6月に文科省参与にも就いています。
 そして22日の土曜は、大阪のある幼稚園で父兄のかたがたに講演し、その前日の21日金曜は島根県の松江で、中高の校長先生らに講演しました。
 そのあいだに、23日・日曜の独立講演会が挟まっているわけですね。
 独立講演会を挟みつつ、いわば「教育三題」の数日間です。

 この松江と大阪では、それぞれ忘れがたい体験もしました。
 それは別のエントリーで記します。

 新幹線は講演地に近づいています。
 さぁ、集中心を高めて、眠気も何も身体から叩き出せ。

 

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