2020-10-11 16:17:19
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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中国式マナーが侵蝕してくるという疑念
▼ぼくは都内のとある集合住宅に住んでいます。
国会まである程度の時間が掛かるところなので、思いがけず議員になったとき、歩いて国会へ行ける議員宿舎に引っ越したいとは思いました。
しかし、「都内に住居のある議員はほんらい、議員宿舎に入居できない」というルールを守って、入りませんでした。
▼政治記者の時代に、都内に実質的な住居がありながら議員宿舎にも入っている議員を何人か知っていましたが、国会事務局によるとルール上の条件は満たしているので、追及はできないとのことでした。
つまり、いろんな「合法的」な手段があるのでしょうね。
いくら合法であっても、ぼくが議員となってそうした手段を使うことなど、論外です。
したがって、とにかく早く住まいを出て、誰よりも早く国会に着くことをこの4年2か月あまり、心がけてきました。
この集合住宅住まいで、去る8月に、困ったことが生じたのです。
▼ぼくは、ご存じの方もいらっしゃるでしょうが、何があっても、何時に寝ても、午前4時05分には仕事を始めます。
ひとつには、時差のある海外とのやり取りをするためであり、ひとつには、前述のように、国会まで距離のある自宅に住みつつ誰よりも早く国会に出ることを心がける、それを生来は怠け者のぼくが実行するためには、あらかじめ未明には起きているようにしています。
そして自宅を出る直前には、素早く入浴して、血管年齢が20歳代後半から30歳代前半の体質を活かし、血を全身に巡らせて国会議事堂という白亜の戦場に向かいます。
どんなに早起きしても、公務・仕事は毎日、山のように国内外から押し寄せます。まったく時間が足りないので、入浴は短時間です。
この頃は、龍馬さんとの少年時代からこゝろのご縁があるために訪れた薩州にて、ふと手にした湯の花のおかげさまで、血の巡りがさらに良くなって助かっています。
▼さて、毎朝その前に、週末も含めて、必ずやることがありました。
時差のある海外とのやり取りをいったん終えてから、自宅で購読している新聞2紙、産経新聞と朝日新聞、まことに対照的なこの2紙を長年、克明に、集中して読んできたのです。
間違っている記事や、気になる記事があると、その情報源を考えます。
新聞社・通信社や記者が情報源を明らかにしないのは鉄則で、記者出身者としても、それを強く支持します。
同時に、長年の取材と情報収集の現場経験から、どのようにその記事が書かれたか、おおむねは分かることがあります。
それが判断できると、早く起きられるかただと知っている人には、午前6時半になるのを待って電話し、そうでない人には、午前7時以降に、相手の地位と雰囲気によって時間帯を慎重に選びつつ電話し、議論します。
これをずっと、実行してきました。
ところが8月のある朝、その新聞に1枚の紙が、産経にも朝日にも挿入されていました。
読むと、新聞販売所からの連絡で「新聞の配達員はマンションに入るな、特にエレベーターには乗るなという苦情が多いので、新聞の宅配をやめ、1階の集合ポストに新聞を入れる」とありました。
ぼくも高層階に住んでいますが、もっと高層に住んでいる人も含め、みな、1階まで新聞を取りに来てくださいという話です。
新聞販売所に電話してみると、思った通り、その苦情とは、新聞の購読者から出ているのではなく、新聞を取っていない人から出ているのでした。
▼そして、この苦情は、武漢熱ウイルスが新聞の配達員によって集合住宅内に入ることを懸念し、新聞紙に付着していることも懸念しての苦情ですということでした。
ぼくは、新聞販売所の責任者の方に、以下を電話でお聴きしました。
配達員のみなさんに感染症の症状が無いかどうかを毎日、体温チェックをはじめ確認しているかどうか、それから新聞紙に触れるときに手袋を使い、その手袋を頻繁に交換しているかどうかなど、感染症対策の具体的なお尋ねです。
販売所の責任者によると、いずれも実行し、細心の注意を払っているそうです。
そして「それを何度、説明しても、苦情電話がずっと掛かってきて、ひどく罵られたり、殺す気か言われたり、もう我慢できないんです」ということでした。
ぼくは「分かります。きっと、激しい電話なんでしょうね。想像できます。ただ、1階の集合ポストに配達するなら、それは、こうした大きな高層の集合住宅では、正確には宅配と言えませんね。新聞の宅配料金には、宅配サービスも含まれているので、それは、少なくとも中高層階以上に住んでいる人にとっては、契約違反に近くなります。そうした措置を、新聞の購読者から出た要望でおこなうのではなく、新聞を購読していない人の要求でおこなうのは、筋が違うのではないですか」と述べ、「わたしにしても、朝の時間に寸暇を惜しんで読んでいるのが実情で、下にまで降りていけません。新聞購読をやめるほか無くなります。他にも、購読をやめる人が相次いでいるのではないですか。ただでさえ苦しい新聞販売所の経営に打撃になるのではありませんか」と尋ねました。
すると「そうなんです。購読をやめるって言う人がいっぱい出てきてしまって・・・」と仰います。
そこで、「感染症対策をきちんと施したうえで配達していることを説明する紙を全戸に入れて、理解を求めたりなさってくださいませんか。いきなり紙1枚で、各家庭に直接、配達する宅配をやめると新聞購読者に通告なさるのは、考えものではないでしょうか」と述べました。
しかし、新聞販売所は「いや、もう苦情に耐えられません」と繰り返し、仰るだけです。
▼そこで産経、朝日の両新聞社とも相談しました。
しかし新聞社は結果として、まったく無力でした。
▼こう記すと、「新聞を読みたいなら電子版で読めばいい」と思うひとがきっといらっしゃるでしょう。
それだけではなく、そのようにコメントを送ってこられる方もいるでしょう。さらに、コメントの中には、まるで上述の苦情電話のように、ぼくを非難されるものも例によってあるでしょう。
しかしぼくは、すでに有料の電子版も契約し、購読しているのです。
そのうえで、紙に印刷された新聞も読んできました。
これは、ぼくが作家として、まず紙の本を愉しんで出版し、それから電子版も加えることと、同じです。
紙の文化も、愛しているからです。
ペーパーレス、電子化の意義も大いに理解し、活用し、両立を図っているのです。
こういう人は少なくないだろうし、そういう情報の受け取り方を、無くしてしまいたくはありませんね。
新聞であれ書籍であれ、紙の手触り、あるいは書籍だったら紙の、本の重み、そこから伝わる形無きものもあります。
▼そして、この一件で、ぼくがいちばん疑問を感じているのは、自分のことしか考えない、そのためには人に迷惑が及んでもいいという主義の浸透、さらにそこから来る職業差別の恐れです。
ぼくは朝早くから新聞を配達してくれるみなさんに、敬意を感じています。
かつては、その敬意は、日本社会らしい特質でもあったと思います。
早朝に新聞をきちんと配達してくれるひと、各家庭に届けてくれるひとの姿を見るのは、爽やかなことではありませんか?
玄関の外に乱暴に投げておくのではなく、雨の時はビニールで新聞を包んでまで、丁寧に日々の新聞を扱って新聞新聞購読者も大切にして、正確に届けてくれる。
配達員のみなさんに敬意を持つのは、ごく自然なことだと思います。
集合住宅の管理会社に確かめてみると、宅配便の配達員には、こうした苦情は一切、出ていないそうです。
荷物の宅配が1階までだと自分の不利益になるけど、新聞は読んでないから、新聞配達員だけは入るなと激しく苦情を言う・・・のではないでしょうか。
ぼくの集合住宅にも、中国の人が増えています。大声の中国語を良く聴きます。
1階でエレベーターを降りようとすると、その中国語の人々が乗ってきてしまって、降りられないということが起きます。
マナーを英語で問い糺すと、言葉がまったく分からないという素振りです。
その同じ人が、集合住宅の管理者などに英語で喋っているのも目撃しますが、ぼくに問われると、急に、英語は一切、ひとことも、分からなくなります。
これだけなら、まだマシなのです。
この頃は、間違いなく日本人という人も、こちらが降りる前にエレベーターに乗ってきたり、乗らないまでも、自分が乗ることが最優先のように立ちはだかり、こちらはすり抜けないと降りられません。
もういちいち、指摘もしていられないほどに、これがすっかり常態化しています。
日本人の居住者の表情も、どことなく、いや、ほんとうのことを言うと、あからさまに険しくなっています。
気持ちは分かります。
いまや中国式マナーのひとびとと同居して集合住宅に住むからには、マナーなんか構っていられない、そういうお気持ちなのでしょうね。
しかし、こうやって、日本がその隅々で中国に負けて、いいのでしょうか。
ずいぶんと前のこと、ロンドンの女王陛下の王宮の近くで、お土産店に入りました。
手当たり次第に商品を散らかし、お店を荒らし回るかのような中国語の観光客に、お店の人はお手上げです。ぼくが日本人と分かると、「中国はマナーが低いのではなく、そもそもマナーという観念が無いんだね」と話しかけてきました。
このときも、ぼくが注意すると、みごとに全員が英語はひとことも分からないという顔をされました。
その人たちが、店の外では、レストランの場所を、英語で通行人に聞いていました。
▼東京のど真ん中の集合住宅で、マナーの中国化が進み、その影響なのか新聞が朝、届かなくなり、新聞配達員のみなさんがきっと、悔しい思いをしている。
これが現実です。
ぼくは新聞購読をやめ、毎朝、電子版だけで新聞を読んでいます。
有償の電子版ですから、紙の新聞と内容は同じです。
ところが、予想通り、肌に伝わる情報の感覚が違います。ぼくの、新聞を読んでの動きは鈍くなりました。
ぼくら日本人は、生活のなかで、何を護り、何を貫くか、もう一度、考えませんか。
中国は、中国人に良くしてもらうしかありません。
日本は、日本人自身の手で護る。
日常生活から、政 ( まつりごと ) の大きな動き、外交や安全保障に至るまで。
国会まである程度の時間が掛かるところなので、思いがけず議員になったとき、歩いて国会へ行ける議員宿舎に引っ越したいとは思いました。
しかし、「都内に住居のある議員はほんらい、議員宿舎に入居できない」というルールを守って、入りませんでした。
▼政治記者の時代に、都内に実質的な住居がありながら議員宿舎にも入っている議員を何人か知っていましたが、国会事務局によるとルール上の条件は満たしているので、追及はできないとのことでした。
つまり、いろんな「合法的」な手段があるのでしょうね。
いくら合法であっても、ぼくが議員となってそうした手段を使うことなど、論外です。
したがって、とにかく早く住まいを出て、誰よりも早く国会に着くことをこの4年2か月あまり、心がけてきました。
この集合住宅住まいで、去る8月に、困ったことが生じたのです。
▼ぼくは、ご存じの方もいらっしゃるでしょうが、何があっても、何時に寝ても、午前4時05分には仕事を始めます。
ひとつには、時差のある海外とのやり取りをするためであり、ひとつには、前述のように、国会まで距離のある自宅に住みつつ誰よりも早く国会に出ることを心がける、それを生来は怠け者のぼくが実行するためには、あらかじめ未明には起きているようにしています。
そして自宅を出る直前には、素早く入浴して、血管年齢が20歳代後半から30歳代前半の体質を活かし、血を全身に巡らせて国会議事堂という白亜の戦場に向かいます。
どんなに早起きしても、公務・仕事は毎日、山のように国内外から押し寄せます。まったく時間が足りないので、入浴は短時間です。
この頃は、龍馬さんとの少年時代からこゝろのご縁があるために訪れた薩州にて、ふと手にした湯の花のおかげさまで、血の巡りがさらに良くなって助かっています。
▼さて、毎朝その前に、週末も含めて、必ずやることがありました。
時差のある海外とのやり取りをいったん終えてから、自宅で購読している新聞2紙、産経新聞と朝日新聞、まことに対照的なこの2紙を長年、克明に、集中して読んできたのです。
間違っている記事や、気になる記事があると、その情報源を考えます。
新聞社・通信社や記者が情報源を明らかにしないのは鉄則で、記者出身者としても、それを強く支持します。
同時に、長年の取材と情報収集の現場経験から、どのようにその記事が書かれたか、おおむねは分かることがあります。
それが判断できると、早く起きられるかただと知っている人には、午前6時半になるのを待って電話し、そうでない人には、午前7時以降に、相手の地位と雰囲気によって時間帯を慎重に選びつつ電話し、議論します。
これをずっと、実行してきました。
ところが8月のある朝、その新聞に1枚の紙が、産経にも朝日にも挿入されていました。
読むと、新聞販売所からの連絡で「新聞の配達員はマンションに入るな、特にエレベーターには乗るなという苦情が多いので、新聞の宅配をやめ、1階の集合ポストに新聞を入れる」とありました。
ぼくも高層階に住んでいますが、もっと高層に住んでいる人も含め、みな、1階まで新聞を取りに来てくださいという話です。
新聞販売所に電話してみると、思った通り、その苦情とは、新聞の購読者から出ているのではなく、新聞を取っていない人から出ているのでした。
▼そして、この苦情は、武漢熱ウイルスが新聞の配達員によって集合住宅内に入ることを懸念し、新聞紙に付着していることも懸念しての苦情ですということでした。
ぼくは、新聞販売所の責任者の方に、以下を電話でお聴きしました。
配達員のみなさんに感染症の症状が無いかどうかを毎日、体温チェックをはじめ確認しているかどうか、それから新聞紙に触れるときに手袋を使い、その手袋を頻繁に交換しているかどうかなど、感染症対策の具体的なお尋ねです。
販売所の責任者によると、いずれも実行し、細心の注意を払っているそうです。
そして「それを何度、説明しても、苦情電話がずっと掛かってきて、ひどく罵られたり、殺す気か言われたり、もう我慢できないんです」ということでした。
ぼくは「分かります。きっと、激しい電話なんでしょうね。想像できます。ただ、1階の集合ポストに配達するなら、それは、こうした大きな高層の集合住宅では、正確には宅配と言えませんね。新聞の宅配料金には、宅配サービスも含まれているので、それは、少なくとも中高層階以上に住んでいる人にとっては、契約違反に近くなります。そうした措置を、新聞の購読者から出た要望でおこなうのではなく、新聞を購読していない人の要求でおこなうのは、筋が違うのではないですか」と述べ、「わたしにしても、朝の時間に寸暇を惜しんで読んでいるのが実情で、下にまで降りていけません。新聞購読をやめるほか無くなります。他にも、購読をやめる人が相次いでいるのではないですか。ただでさえ苦しい新聞販売所の経営に打撃になるのではありませんか」と尋ねました。
すると「そうなんです。購読をやめるって言う人がいっぱい出てきてしまって・・・」と仰います。
そこで、「感染症対策をきちんと施したうえで配達していることを説明する紙を全戸に入れて、理解を求めたりなさってくださいませんか。いきなり紙1枚で、各家庭に直接、配達する宅配をやめると新聞購読者に通告なさるのは、考えものではないでしょうか」と述べました。
しかし、新聞販売所は「いや、もう苦情に耐えられません」と繰り返し、仰るだけです。
▼そこで産経、朝日の両新聞社とも相談しました。
しかし新聞社は結果として、まったく無力でした。
▼こう記すと、「新聞を読みたいなら電子版で読めばいい」と思うひとがきっといらっしゃるでしょう。
それだけではなく、そのようにコメントを送ってこられる方もいるでしょう。さらに、コメントの中には、まるで上述の苦情電話のように、ぼくを非難されるものも例によってあるでしょう。
しかしぼくは、すでに有料の電子版も契約し、購読しているのです。
そのうえで、紙に印刷された新聞も読んできました。
これは、ぼくが作家として、まず紙の本を愉しんで出版し、それから電子版も加えることと、同じです。
紙の文化も、愛しているからです。
ペーパーレス、電子化の意義も大いに理解し、活用し、両立を図っているのです。
こういう人は少なくないだろうし、そういう情報の受け取り方を、無くしてしまいたくはありませんね。
新聞であれ書籍であれ、紙の手触り、あるいは書籍だったら紙の、本の重み、そこから伝わる形無きものもあります。
▼そして、この一件で、ぼくがいちばん疑問を感じているのは、自分のことしか考えない、そのためには人に迷惑が及んでもいいという主義の浸透、さらにそこから来る職業差別の恐れです。
ぼくは朝早くから新聞を配達してくれるみなさんに、敬意を感じています。
かつては、その敬意は、日本社会らしい特質でもあったと思います。
早朝に新聞をきちんと配達してくれるひと、各家庭に届けてくれるひとの姿を見るのは、爽やかなことではありませんか?
玄関の外に乱暴に投げておくのではなく、雨の時はビニールで新聞を包んでまで、丁寧に日々の新聞を扱って新聞新聞購読者も大切にして、正確に届けてくれる。
配達員のみなさんに敬意を持つのは、ごく自然なことだと思います。
集合住宅の管理会社に確かめてみると、宅配便の配達員には、こうした苦情は一切、出ていないそうです。
荷物の宅配が1階までだと自分の不利益になるけど、新聞は読んでないから、新聞配達員だけは入るなと激しく苦情を言う・・・のではないでしょうか。
ぼくの集合住宅にも、中国の人が増えています。大声の中国語を良く聴きます。
1階でエレベーターを降りようとすると、その中国語の人々が乗ってきてしまって、降りられないということが起きます。
マナーを英語で問い糺すと、言葉がまったく分からないという素振りです。
その同じ人が、集合住宅の管理者などに英語で喋っているのも目撃しますが、ぼくに問われると、急に、英語は一切、ひとことも、分からなくなります。
これだけなら、まだマシなのです。
この頃は、間違いなく日本人という人も、こちらが降りる前にエレベーターに乗ってきたり、乗らないまでも、自分が乗ることが最優先のように立ちはだかり、こちらはすり抜けないと降りられません。
もういちいち、指摘もしていられないほどに、これがすっかり常態化しています。
日本人の居住者の表情も、どことなく、いや、ほんとうのことを言うと、あからさまに険しくなっています。
気持ちは分かります。
いまや中国式マナーのひとびとと同居して集合住宅に住むからには、マナーなんか構っていられない、そういうお気持ちなのでしょうね。
しかし、こうやって、日本がその隅々で中国に負けて、いいのでしょうか。
ずいぶんと前のこと、ロンドンの女王陛下の王宮の近くで、お土産店に入りました。
手当たり次第に商品を散らかし、お店を荒らし回るかのような中国語の観光客に、お店の人はお手上げです。ぼくが日本人と分かると、「中国はマナーが低いのではなく、そもそもマナーという観念が無いんだね」と話しかけてきました。
このときも、ぼくが注意すると、みごとに全員が英語はひとことも分からないという顔をされました。
その人たちが、店の外では、レストランの場所を、英語で通行人に聞いていました。
▼東京のど真ん中の集合住宅で、マナーの中国化が進み、その影響なのか新聞が朝、届かなくなり、新聞配達員のみなさんがきっと、悔しい思いをしている。
これが現実です。
ぼくは新聞購読をやめ、毎朝、電子版だけで新聞を読んでいます。
有償の電子版ですから、紙の新聞と内容は同じです。
ところが、予想通り、肌に伝わる情報の感覚が違います。ぼくの、新聞を読んでの動きは鈍くなりました。
ぼくら日本人は、生活のなかで、何を護り、何を貫くか、もう一度、考えませんか。
中国は、中国人に良くしてもらうしかありません。
日本は、日本人自身の手で護る。
日常生活から、政 ( まつりごと ) の大きな動き、外交や安全保障に至るまで。