2020-12-21 06:41:28
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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あなたにだけ、今朝、話すこと
ゆうべ、みんなが心配し過ぎると思って、医師の言葉はほんとうは、大きく和らげて記しました。
実際に秘書さん経由で伝えられた警告は、もっともっとストレートでした。伝えてくれた公設第二秘書も、ふだんと表情、言葉の強さがまるで違っていました。
それは、しかと受け止めています。
ひとの危機を管理するのが、危機管理の専門家としての仕事であって、おのれは二の次です。これが基本です。自分を守りながら仕事はできません。ただし、過信はあくまでも戒めています。
まるで身代わりのように次から次へと壊れるパソコン、物書きであるぼくにとって最も身近な存在のひとつ、それが教えてくれているのは「次はあなたです」ということです。それは良く分かっています。
▼きょう12月21日月曜は、国会閉会中であっても、年末であっても、護る会 ( 日本の尊厳と国益を護る会 / JDI ) の執行部会を国会内で開きます。
国会議員の仕事ぶり、それは、眼に見えないところで利権を漁り、自分を利している議員、極めて対照的に、眼に見えないところで懸命に、国と、困っている国民を支えようとしている議員、いちばんざっくり分けると、そのふたつが居ることが、議員になり、現場の奥深くに入って、非常に良く分かりました。
政治記者のときは、それを探るのも、重要な任務のひとつでした。
しかし、やはり曇りガラスのこちら側から見ていただけでした。
ガラス越しではなく、ドアの大きな重い鍵を外し、部屋の中に入ってみると、目と耳が目撃して手に触れるものがまるで違いました。
それは、あのときに、似ています。
ペルー事件に臨時特派員として直面したあと、天職と思っていた記者を辞めて、三菱総合研究所に入り、実務者になったときです。
ひとを批判する仕事から、みずから挑む実務家に、百八十度の転換をしました。
記者時代、たとえば防衛庁 ( 当時 ) ・自衛隊で釘1本落ちても分かるつもりでした。
そのくらい、丁寧に情報源を発掘し、張り巡らして、おのれだけの情報網を築いていました。
しかし三菱総研に入ると、まるで違いました。
三菱総研は、ほとんど知られていませんが、たとえば戦車や戦闘機、護衛艦のファースト・コンセプトも創るシンクタンクです。経済分析を主としているような評論型のシンクタンクとは違い、実務の塊です。
その三菱総研の研究員になって新しい身分証明書をつくるとき、「もう記者じゃないんだ」という感情がこゝろの中で思いがけなく、わっと湧き出て、限りなく悲しくなりました。
目の前の三菱総研の総務部門の女性社員が誇りを持って、三菱の一員である証明書を作っている様子を見ながら、内心ではまるで逆のことを考えていたのです。
『俺は勝手に、何という決断をしてしまったのだろう』と。
しかし、懸命に新しい仕事をするうち、『記者時代の俺は、曇りガラスのこちらの安全なところ、見ているようで何も見てはいないところに居たんだ』と、はっきり気づいたのでした。
そして三菱総研から独立して、独立総合研究所を創建し、さらに思いがけなく国会に出て、いま、いわば究極の最前線にいます。
つまりは、曇りガラスを何枚か、くぐり抜けてきたわけですね。
今朝も、護る会の執行部会へ向かう準備をしながら想います。
どうか、あとに続くひとよ、出てください。
不肖ぼくが、ちいさな、ささやかな試行錯誤をお示ししているように、まず政治献金を、法がむしろ積極的に認める範囲内であってもどこからも1円も受け取らず、政治資金集めパーティがどれほど合法であっても一切、開かず、団体支持は全てお断りし、自由民主党のいかなる派閥にも属さない完全無派閥でいて、有権者のさまざまな罵声にも日夜、耐え続け、ただ国益と国民益のためにこそ、自主憲法の制定を掲げて結党した自由民主党を内部から変えていく。
そんなことを一緒にやってくれるひとよ、出でよ。
もしも、そういうひとが出てくれば、前述の後者、「眼に見えないところで懸命に、国と、困っている国民を支えようとしている議員」が実は、日本国に何人も居るという知られざる事実を知ります。
オールドメディアや評論家、学者の話には絶対に出てこない議員、現場に入って火中の栗を自分から拾わないと決して出逢うことのない議員、そのひとびとと、あなたは会うことになります。
今朝は、もっと赤裸々なことをもうひとつ、述べましょう。
テレビに出て、その知名度で選挙に勝ち、任期途中でお辞めになった議員。
その方々が実際は何をなさっていたかも、現場に入ると良く分かります。
この方々が、主権者から与えられた神聖な任期の途中で辞めて語る国会は、ほんとうの国会、政 ( まつりごと ) の現場ではありません。
人を責めているのではありませぬ。その人なりの生き方です。あくまで尊重します。
しかし、これがマスメディアという二十世紀から現れた化け物の、大きな、深い、知られざる害のひとつだということを、もうすこし多くの主権者に知ってほしいのです。
声を大きく出す人に依存して、巨大な虚構を主権者にもたらし続けています。
声を出さずに、票にもならない仕事を必死に続けている議員にも、不肖ぼくは会いました。
このひとたちの存在を、世に示すのも、ぼくの任務のひとつだと、ごく最近に考え始めました。
ぼくの根幹は、物書きです。
ひとの良きところを引き出すためにこそ、ものを書いています。そこがジャーナリズム、すくなくとも現代世界で主流派のジャーナリズムと違います。
さ、また、エライ人たちの秘かな反感、陰湿な反感をたっぷり買う一文を、こうやって記したうえで、国会の現場に向かいます。
実際に秘書さん経由で伝えられた警告は、もっともっとストレートでした。伝えてくれた公設第二秘書も、ふだんと表情、言葉の強さがまるで違っていました。
それは、しかと受け止めています。
ひとの危機を管理するのが、危機管理の専門家としての仕事であって、おのれは二の次です。これが基本です。自分を守りながら仕事はできません。ただし、過信はあくまでも戒めています。
まるで身代わりのように次から次へと壊れるパソコン、物書きであるぼくにとって最も身近な存在のひとつ、それが教えてくれているのは「次はあなたです」ということです。それは良く分かっています。
▼きょう12月21日月曜は、国会閉会中であっても、年末であっても、護る会 ( 日本の尊厳と国益を護る会 / JDI ) の執行部会を国会内で開きます。
国会議員の仕事ぶり、それは、眼に見えないところで利権を漁り、自分を利している議員、極めて対照的に、眼に見えないところで懸命に、国と、困っている国民を支えようとしている議員、いちばんざっくり分けると、そのふたつが居ることが、議員になり、現場の奥深くに入って、非常に良く分かりました。
政治記者のときは、それを探るのも、重要な任務のひとつでした。
しかし、やはり曇りガラスのこちら側から見ていただけでした。
ガラス越しではなく、ドアの大きな重い鍵を外し、部屋の中に入ってみると、目と耳が目撃して手に触れるものがまるで違いました。
それは、あのときに、似ています。
ペルー事件に臨時特派員として直面したあと、天職と思っていた記者を辞めて、三菱総合研究所に入り、実務者になったときです。
ひとを批判する仕事から、みずから挑む実務家に、百八十度の転換をしました。
記者時代、たとえば防衛庁 ( 当時 ) ・自衛隊で釘1本落ちても分かるつもりでした。
そのくらい、丁寧に情報源を発掘し、張り巡らして、おのれだけの情報網を築いていました。
しかし三菱総研に入ると、まるで違いました。
三菱総研は、ほとんど知られていませんが、たとえば戦車や戦闘機、護衛艦のファースト・コンセプトも創るシンクタンクです。経済分析を主としているような評論型のシンクタンクとは違い、実務の塊です。
その三菱総研の研究員になって新しい身分証明書をつくるとき、「もう記者じゃないんだ」という感情がこゝろの中で思いがけなく、わっと湧き出て、限りなく悲しくなりました。
目の前の三菱総研の総務部門の女性社員が誇りを持って、三菱の一員である証明書を作っている様子を見ながら、内心ではまるで逆のことを考えていたのです。
『俺は勝手に、何という決断をしてしまったのだろう』と。
しかし、懸命に新しい仕事をするうち、『記者時代の俺は、曇りガラスのこちらの安全なところ、見ているようで何も見てはいないところに居たんだ』と、はっきり気づいたのでした。
そして三菱総研から独立して、独立総合研究所を創建し、さらに思いがけなく国会に出て、いま、いわば究極の最前線にいます。
つまりは、曇りガラスを何枚か、くぐり抜けてきたわけですね。
今朝も、護る会の執行部会へ向かう準備をしながら想います。
どうか、あとに続くひとよ、出てください。
不肖ぼくが、ちいさな、ささやかな試行錯誤をお示ししているように、まず政治献金を、法がむしろ積極的に認める範囲内であってもどこからも1円も受け取らず、政治資金集めパーティがどれほど合法であっても一切、開かず、団体支持は全てお断りし、自由民主党のいかなる派閥にも属さない完全無派閥でいて、有権者のさまざまな罵声にも日夜、耐え続け、ただ国益と国民益のためにこそ、自主憲法の制定を掲げて結党した自由民主党を内部から変えていく。
そんなことを一緒にやってくれるひとよ、出でよ。
もしも、そういうひとが出てくれば、前述の後者、「眼に見えないところで懸命に、国と、困っている国民を支えようとしている議員」が実は、日本国に何人も居るという知られざる事実を知ります。
オールドメディアや評論家、学者の話には絶対に出てこない議員、現場に入って火中の栗を自分から拾わないと決して出逢うことのない議員、そのひとびとと、あなたは会うことになります。
今朝は、もっと赤裸々なことをもうひとつ、述べましょう。
テレビに出て、その知名度で選挙に勝ち、任期途中でお辞めになった議員。
その方々が実際は何をなさっていたかも、現場に入ると良く分かります。
この方々が、主権者から与えられた神聖な任期の途中で辞めて語る国会は、ほんとうの国会、政 ( まつりごと ) の現場ではありません。
人を責めているのではありませぬ。その人なりの生き方です。あくまで尊重します。
しかし、これがマスメディアという二十世紀から現れた化け物の、大きな、深い、知られざる害のひとつだということを、もうすこし多くの主権者に知ってほしいのです。
声を大きく出す人に依存して、巨大な虚構を主権者にもたらし続けています。
声を出さずに、票にもならない仕事を必死に続けている議員にも、不肖ぼくは会いました。
このひとたちの存在を、世に示すのも、ぼくの任務のひとつだと、ごく最近に考え始めました。
ぼくの根幹は、物書きです。
ひとの良きところを引き出すためにこそ、ものを書いています。そこがジャーナリズム、すくなくとも現代世界で主流派のジャーナリズムと違います。
さ、また、エライ人たちの秘かな反感、陰湿な反感をたっぷり買う一文を、こうやって記したうえで、国会の現場に向かいます。