On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2021-01-06 09:53:35
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日本男児の矜持 (推敲しました)

▼急逝されたわが友、和田幸浩・外務省大臣官房総務課長の大学野球での先輩というかたから書き込みがありました。
「和田さんは確かに捕手出身であったが、三塁手にコンバートされてベストナインにも選ばれた」とのことです。
 調べますと、和田幸浩三塁手は、昭和63年、西暦1988年秋の関西学生野球連盟リーグ戦においてベストナインに選ばれています。
 和田さんが京都大学経済学部の1回生のときです。
 お詫びして訂正します。先のエントリーにも訂正を入れます。

▼和田さんが京大野球部でレギュラーの捕手だったという話は、和田さん自身が同席されていた席で、外務省と京大の先輩に当たる幹部から聴きました。
 ぼくが和田さんを知ったばかりの頃です。
「凄いですね」と語りかけると、和田さんは静かに笑っていて、ご自分の上記のような輝かしい野球歴を一切、何も語られませんでした。

 その後、中国による武漢熱、尖閣諸島への侵入、習近平国家主席の国賓来日問題、韓国の偽の少女像問題、アメリカの大統領選挙、トランプ大統領の外交政策、あるいはこのブログで記した海外同胞への支援・・・とにかくありとあらゆる日本外交の課題について、すべて水面下にて、和田さんと連携すべきを深く連携しつつ、いつもたがいに厳しい意見を、現実を踏まえて議論し合っていました。
 そのとき、ときどき「和田さん、あなたはキャッチャー、伝統ある京大野球部の正捕手だったんだから、日本国民の投げるボールをしっかり受け止めてください」と申したり、「ぼくがなぜあえてこの場面で直球を投げるか、京大の正捕手なんだから分かるよね?」と申したりすることがありました。
 すると和田さんは決まって「分かりました」とだけ答えて、微笑されました。
 他のことでは、ぼくにもしっかり意見を仰るのですが、そういえば野球のことについては、ついに、1月2日の急逝まで、特にご自分の戦績については何も語られませんでした。
 捕手からサードへのコンバート、強肩が求められることは同じでも躯の動きはずいぶんと違うだろう経験、そしてそのコンバートで、しかも1年生ということは恐らくは短い三塁手としてのキャリアで、強豪の私立大学野球部がひしめく関西リーグでベストナインというのはビックリです。
 しかし、まったく語られませんでした。

▼この大学野球の先輩というかたに依れば、和田さんがベストナインに選ばれたとき、あの片岡篤史選手を抑えてのことだったそうです。
 これは今ちょっと、公式記録は見つけられません。みなさんのご想像の通り、年末年始は関係なく超多忙のままですから、これ以上の時間を取れません。また公設政策秘書にこの調査を頼むのもどうかなと思います。
 そこで、このかたのお話しをそのまま信じれば、ということではありますが、事実なら、これもビックリそのものです。
 実は片岡さんは、かつて関西テレビの土曜の番組でご一緒して、良く存じあげています。
 身長190センチに迫ろうかという体格、関西学生野球連盟リーグ戦では同志社大学の内野手で首位打者にもなっておられ、プロでは日ハム、阪神で鳴らし、現在でもたいへんな有名人です。

 その方をライバルに、京大生でベストナインを獲得。
 あぁ、なるほど、だからこそ和田さんは何も、ご自分の野球歴を語られなかったと今、分かります。

 日本男児、ここにあり。
 もしも駄目選手だったのなら、「いや、青山さん、わたしは捕手からコンバートされたんですよ」と仰ったのかも知れません。
 和田さんの、もうひとつの奥深い、なんとも凄味のある矜持、誇りを、ぼくはこの野球選手・和田さんの先輩というかたの書き込みのお陰で、知ることができました。
 ありがとうございました。あらためてお詫びしつつ、感謝を申しあげます。





 
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