2021-02-07 10:43:32
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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【物語をめぐる小随想 その1】 この長いあいだ続くブログ「On the Road」は、「道すがらエッセイ」という名前もあります。きょう日曜は、その原点にふと戻ってみました
( あるひとが、かつて撮ってくれました )
日曜です。
仕事はしていても日程に追われていないから、発想がぼくのほんらいの自由な野っ原に戻る気がします。
「わたしは灰猫」を長いあいだ、わずかなスキマ時間に書き続けていて、あの物語のなかで苦しんだところは沢山あります。
そのなかでも胸突き八丁だったのは、終わりに近いあたり、灰猫さんが咲音 ( さいん ) の手を払うというか、戻すという場面です。
ぼくが確定させた表現は、違いますよね。それはもちろん、ここに書きません。
原稿のすべての頁について「これで定める」と決め打ちしていく作業をようやく終えて、それが今、本になっていて、ありのままに申してあの表現でよかったと考えています。
そこに至るまで、おのれがもっとも考えていたことは何か。
物語、小説を書くとき、今のところこんなに寡作なのに、自分で決心していた原則が幾つか、しっかりとあります。
そのひとつは、「予定調和にしない」ということです。
幸福な (・・・とぼくが勝手に考えている ) 絵本作家の五味太郎さんがごく最近、「5対0と分かっている野球はツマラナイでしょ。勝っても負けても」と仰っていますが、それですね。
『ほんとうは自分の中では、書き手の中では、5対0と分かっていて、分からないふりをして書く』というのは駄目です。
自分の中でもほんとうに分からないまま、書かねば、書き続けねばならない。
あの終わりに近い場面での、灰猫さんの行動は、ツクリヌシのぼくにとっても意外そのものでした。
その行動に出るまえの灰猫さんのひとこと、あのひとこと、「わたしは・・・」で始まる言葉がそもそも、書いていてわっと驚く言葉でした。
ここを乗り切ったことで、ぼくは「わたしは灰猫」という原稿の、すべての言葉、行、句読点を最終確定していく道に入ることができました。
起稿して初期の段階、と言うより、頭のなかで構想していた時期には「この物語では、肉体の動きを言葉の力で世界に定着させる試みをしよう」と考え、決めていました。
ぼくにとって文学、芸術とは、つねに新陳代謝でありたいものです。
生きとし生けるものは、人間から動物、昆虫、植物まで、新陳代謝がないと生きられません。
だから文学や絵、音楽の新陳代謝、つまり新しい実験をしていくということは、生きものが生きる支えです。
だから、どんな作品でも、実験的な試みをしたい。
本になった物語作品の最初、「平成紀」は、事実をそのまま小説化する、ノンフィクションではなく物語として事実を甦らせ、新しい血を入れる。
その試みでした。
したがって予定調和は論外です。
ぼくは今後も、この閉鎖社会の日本において、ひとびとの鬱憤の対象になる国会議員を続けながら、実験小説、実験が秘かに込められている物語を産んでいくつもりです。
産む。
これも命の根幹であるのは言うまでもありません。
男性のぼくが産むことができるのは、生命そのものではなく、生命を支えることができるものです。
( だから命を産むことのできる女性を、魂から尊敬し、社会へのささやかな問題提起になるよう「女子は何をしてもいい」という極論をあえて申しています。この尊敬はそれぞれの女性が、ただ一度切りの生涯において、現実に産むか産まないかとはまるで関係がありません。すべての女性です )
このエントリーの冒頭に、「日程に追われていないから」と書きましたね。
ほんとうのぼくは、公務をはじめ日程がどれほど詰まっても、まったく追われていません。
日程は確かに、食事を摂る時間もなく、もちろん休息はどこにもなく、次から次へと迫ってきます。ほんとうは土曜も、日曜もほぼ同じです。今は、武漢熱のために週末と祝日の日程だけは少しばかり減っているだけです。
ただ武漢熱のもとでも、きょうのように考える時間のある日曜は、例外です。
しかし、だからといってぼくは追われていません。
それが生まれながらの青山繁晴です。わが父とわが母のあいだに生まれた、ぼくです。
ところが「日程に追われていないから」と書くと、すっと、収まりますよね。
これがいわば言葉の予定調和です。
日本の政 ( まつりごと ) には、この人間のやる気を喪わせる、予定調和ことば、美辞麗句という奴も含めて、決まり切った言葉が溢れかえっています。
日本人は、言葉というものに深く、敏感です。
きのう土曜のエントリーに写真を置いた梅も、たとえば源氏物語はこのように記しています。
はなやかに今めかしう、すこしはやき心しらひを添へて、めづらしき薫り加はれり。このころの風にたぐへむには、さらにこれにまさる匂ひあらじと、めでたまふ。
梅の花は、香りがごく弱いですよね。
そこに工夫を加えて、新しい香りをつくったということです。
源氏物語が最初に世に出てから、58年後に、たとえばイギリスのブリテン島にノルマン人が侵攻しました。当時の武器を英国で見て、ぼくは、日本をあらためて想いました。
日本刀のような刀身の薄い、繊細なつくりでありつつ凄まじい威力を秘めた武器ではなく、力任せに頭蓋を叩き割るような武器が中心でした。
それが使われていた時代に、日本では、香りの強い草花を集めるよりも、匂い立つことのない梅花から、ひめやかな香りをつくる。
それをリズムが絶妙な文章にして、千年を超えて、読み継ぐ。
それが日本です。
それが無意識に日本人の魂の隅々にまで、染み渡っていると考えています。
その日本人に、腐っているとしか言いようのない政治家の言葉、行政官の言葉です。
どれほど、根源的な嫌悪感、不信感をつくっているでしょうか。
やむを得ず国会議員となって5年目。
ぼくはいかなる場面でも、部会での発言、委員会での質問、あるいは動画での発言、どんなときにも、このような決まり切った言葉を使わないようにしてきました。
それに気づいてくれている主権者が、いらっしゃるのか、誰もいないのか。
それは分かりません。
しかしたとえば大好きなスポーツや、そのための辛いトレーニングに至るまで、ぼくのすべては根っこで繋がり、常に、新鮮な言葉、新陳代謝のある言葉と共にあるよう、心がけています。
それが、日本に生まれた、幸福です。
【参考までに】
▼「わたしは灰猫」
ぼくは西暦2002年8月1日に、物語小説の「平成」を文藝春秋社から単行本で出版しました。
これは14年後の夏に、改稿、改題して「平成紀」(幻冬舎)という文庫本に生まれ変わりました。
こうした日々に、ノンフィクションの書籍はやや多く、世に問うてきました。たとえば最新刊なら、「いま救国 超経済外交の戦闘力」(扶桑社新書)です。
しかし、物語小説の新作は、ただの一作も出版しませんでした。
実際は、同時進行で物語も何作か構想と、それから試しの執筆を続けていますが、この「わたしは灰猫」という物語小説を完成できないために、他の物語はすべて書きかけ途中のままにしてきました。
その「わたしは灰猫」がようやく、18年4か月の執筆期間を経て昨秋、出版されました。
もしもできれば、書店で手に取ってみてください。置いてくれている書店もあるようです。ネット書店では、ここやここに在庫があります。
▼新動画の「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」
半年前に、開始しました。
ネット番組の虎ノ門ニュースに参加することをやめて、自主制作の動画を発信しています。
第1回から最新の第102回まで、すべて無償で、ここで視ていただけます。
スポンサーが付いていますが、そのスポンサー料の全額は撮影、編集を協力してくれているチャンネル桜に行きます。
ぼく自身は、1円たりとも受け取りません。