On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2021-05-02 04:18:00
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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祖国のまつりごとを憂う

▼連休に入るまえのことです。
 4月23日金曜の昼過ぎ、2時間と20分を費やした参議院本会議を終え、議員会館の事務所に向かいました。
 本会議は、与野党の全議員が一堂に会するわけですから、それが終わると人の波、議員の波が一斉に、本会議場を出て地下トンネルを目指して進みます。
 議員会館と繋がっている地下トンネルですね。
 このトンネルについては、以前のエントリーで記しました。時間短縮のために、昔からあるトンネルです。地上に出ると、信号につかまったりしますからね。昔と違い、今ではセキュリティの意味もあります。

▼もちろん議員会館に戻らないひとも少なからず居るのですが、それでもトンネルに向かう群れはなかなかのものです。
 ぼくはこの頃、この地下トンネルを使わずに移動する時もあるようにと、意識しています。
 トンネルばかりを使っていると、気がつけばまったく陽射しにあたらない毎日になります。
 日本の国会議事堂は、諸国の議会を尋ねてきた経験からしても、品位のある議事堂だと思います。日本では政治を汚いものとしてみる習慣を多くのひとがオールドメディアや映画、ドラマによってもたらされていますから、そうは見えないという主権者も少なくないでしょう。
 その感覚、よく分かります。ぼく自身が今も、複雑なきもちで見ています。国会に出るまえと変わりません。
 ただ、東京大空襲にも生き残った建物です。日本は敗戦によってアメリカに民主主義を教えてもらったのではなくて、日本らしい民主主義をみずから模索し続けてきたことを象徴する建物でもあると考えています。
 一方で、古い構造ですから、ほとんど中に陽が差しません。

 そこで、なるべくトンネルを使わずに、いったん議事堂から出て、外をふつうに歩いて議員会館に戻るようにしています。
 地上を行くと、確かに信号につかまる時も少なくないです。意外でしょうが、1分を争うような状況の時も少なくないので、その時間ロスは馬鹿にはなりません。
 しかし何事も、その世界で「ふつうのこと」に慣れ過ぎてしまうと、まともな感覚を喪うという、不肖ぼくなりの考えもあって、外へ出ます。
 セキュリティについては、国会と国会に隣接する総理官邸の周辺は日本でもっとも警官の配置が多いところであり、不肖ぼくの危機管理をめぐる体験もいささの役割は果たします。ただ、十二分に注意しています。それと、警官のかたがたにいつもこゝろからの感謝の言葉を述べるようにしています。

▼さて、4月23日金曜もこのようにして、議事堂から外の舗道へ出る通路をひとり、歩いていると、ポンと肩を叩かれました。
 横を見ると、なんとわが盟友、山田宏・護る会幹事長です。
 この通路ではいつも、ほぼひとりなので、すこし意外でした。
 山田幹事長も、ぼくが居るとは思わなかったようで、「あれ ?」という感じで、笑いながら「どうしたんですか」と何気なく聞かれました。

 そのとき、問いとは関係のないことを思わず、言ってしまいました。
「いや、鬱屈していて」

「鬱屈 ? 」と山田幹事長はかなり驚いた様子です。
 ぼくは胸の中で『あ、昼間のぼくからは鬱屈しているとは、とても見えないだろうな』と思いました。
 いつも夜中に鬱屈に沈みます。そのときも外見からは分からないでしょう。何も言いませんから。

 山田宏幹事長は、快活な人柄です。
 ぼくは余計なことを言ったとすこし申し訳なく思いつつ、相手は護る会 ( 日本の尊厳と国益を護る会 / JDI ) の幹事長ですから、そのときの鬱屈の直接原因を言いました。
「今の国会答弁、何も答えていませんね」
 山田さんは頷きます。
「国会だけではなく、記者会見でもそうです」
 さらに頷きます。
「これで日本のまつりごと ( 政 ) と言えるでしょうか」

 山田さんは、実は議員会館の1階でお客さんが待っているから地上の通路を使っていたようで、ぼくの問いに同意しながら、そのお客さんの方へ向かって行かれました。
 ぼくも議員会館の1階に入り、そこから階段室へ向かいました。ここも誰もいません。

▼階段を一歩づつ登りながら、あらためて考えました。
 直前まで行われていた参議院の本会議では、与野党の議員の質問に総理や担当閣僚が答弁します。
 しかしそれは、議員に応えるだけではなく、すべての国民、主権者に答えるのと同じです。
 質問をかわすような答弁で、ほんらいのまつりごとと言えるでしょうか。

 記者会見もまったく同じです。
 記者の質問に答えつつ、主権者に答えるのがほんらいの任務です。
 記者の質問をかわしても、主権者の疑問をかわすことはできません。
 衆議院議員選挙と参議院議員選挙で、主権者の方から必ず答えを出されるでしょう。

▼日本の古代の仁徳天皇は、国会答弁も記者会見もありませんでした。
 しかし税を取るのをおやめになることで、民を救われるだけではなく、民へ直に語りかけられたのです。天皇陛下のお暮らしよりさらに、庶民の生活こそが大切であるという根本メッセージを発せられたのです。

 現代の日本のまつりごとはどうか。
 安倍政権の時代になされ、菅政権時代になお、維持されている消費増税にしても、このまつりごとと真逆です。
 古代とは経済の状況も、国家運営の状況も、まるで違う。そりゃ当たり前です。
 しかし少なくとも国民と語らずして、何の民主主義でしょうか。
 中国共産党の無法と対峙するには、その独裁主義とは正反対の民主主義が必要です。民主主義政治において、国民の疑問をかわしていいはずはありません。
 本会議と委員会の答弁、そして記者会見において、なぜ、真っ向から答えないのでしょうか。
 自分を守るのなら、国会議員などやらない方がいいです。

▼ただし、国会の本会議や委員会で、野党の問いをつぶさに聴いて5年、野党の質問ぶりが主権者の多くの問いかけを表しているとは考えていません。
 そこで、おのれの与党質問が、政界の常識のいわゆる「与党質問」と同じにならないよう、おのれを鞭打って、問うべきを問うよう努力しています。
 深更にどうしても、胸中に噴き出してくる鬱屈を、早朝の熱いお湯と冷水でいったん吹き飛ばして、議事堂へ出ていきます。
 それでも、ひとりの人間にできることは限られています。
 だからこその護る会の創建です。
 味方を少しづつでも増やさないと、主権者のために、何もできません。
 人の世では、敵は簡単に増え、味方はおいそれとは増えません。みなさんも日々、体験されていることと同じですね、きっと。
 夜中、耐えて耐えて、朝方に元気をつくる。そして昼間、なにがしかの貢献を目指して動き、また夜を迎える。
 力果てるまで、その繰り返しにこそ、耐えるほかないのでしょう。

 最期には、報われない死だけが待っていると考えています。
 それはまさか、みなさんの問題ではありません。安心してください。
 この道を勝手に選んだ、ぼくだけの問題です。






 
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