2021-05-08 14:26:56
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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巨大だ、怖いんだとしか言われない中国、その致命的な弱点・・・中国をモンスターにした責任の一端も背負いつつ、語る
▼きのう5月7日金曜に、スキマ時間を見つけて、ようやく1本だけ新しい放送を収録できました。
中国の見えざるアキレス腱、致命的な弱点を明らかにすることを、試みました。
「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」の第149放送です。ここです。
▼ゆうべのそう遅くない時間に、とっくにアップしているのですが、今日はなかなかに困難な土曜日で、お知らせすらなかなかできませんでした。
しかし・・・もう、かなりのかたが視てくれています。
もちろん、その視聴数のなかには、中国の側のひとの視聴も含まれているわけですが。
志をもって、また深い関心を持って視てくださる同胞に、こゝろから感謝します。
同胞のみならず、中国共産党の独裁主義に苦しまれているすべてのひとびとに捧げる気持ちでいつも現在の中国の引き起こす問題について語るべきを語っています。
▼ぼくが記者時代、それもまだ地方支局(共同通信京都支局)にいたとき、中国に出張し、かなりの時間をかけて各地を取材して歩く機会がありました。
内陸部の素朴なことはもちろん、いちばん先進的だった上海ですら、ぼくがデパートにお土産を買いに行こうと歩いていると、うしろに、まるでブレーメンの笛吹きの童話のように、人が群れをなしてついてきました。
別に変わった格好はしていません。
中国の人々とそう変わらない、白い半袖シャツでしたが、当時の中国の市民には、ひとめで外国人と分かったようでした。
デパートに着いて、小さなパンダのお土産を買おうとして財布を開けると、黒山の人だかりが一斉に財布を覗き込んで、おおーというような声を上げました。
外国人のぼくが、中国の紙幣を持っている、と言ってもわずかですが、それが興味を惹いたようです。
そして、その日本円で100円もあったかどうかというおカネを店員さんに渡そうとして、その若い女性の店員さんのお顔に、なんとも誇らしげな表情が浮かんでいるのに気づきました。
外国人の相手をしているのが誇らしい、という感じなのです。
ぼくはその中国の庶民の素朴なきもちが嬉しくて、パンダのおもちゃを持ち上げて、みなさんを見回しながら現地で自然に覚えた中国語で短く感謝を述べました。
すると、どーっと沸いて、口々に何か喜んでくれました。その中身は中国語がほとんどできないぼくには良く分かりませんでしたが、日本人と知っての好意に聞こえました。
反日の雰囲気など皆無です。
▼あの頃の中国は、鄧小平さんの最高権力のもと、趙紫陽首相が改革をやろうとしていた時代でした。
やがて趙紫陽さんは、学生たちの民主化要求にも、あるいは人権尊重の声にも、一定限度内ながら耳を傾けようとする姿勢をみせ、中国共産党内で激しい批判に晒されます。
趙紫陽さんはその後、天安門事件で失脚し、軟禁されたまま亡くなります。
▼その天安門事件の直後に開かれたアルシュ・サミットで、議長国フランスらが学生らの虐殺に対して対中制裁を科そうとしました。
それを阻もうと、事件の中身を把握することすらろくにしないまま中国共産党の代弁者のような動きをしたのが、日本の「自民党」の宇野内閣と外務省だったのです。
それは、先日の外交文書公開で白日の下に晒されました。
ところが、この外交文書公開について、公共放送を自称するNHKをはじめとする日本の報道ぶりは信じがたいものでありました。
そこでぼくは不肖ながら、月刊Hanadaの連載エッセイ「澄哲録片片」 ( ちょうてつろく・へんぺん ) にて、事実を詳しく分析し告発しました。
この天安門事件への制裁見送りが、まさしく中国のモンスター化を後押しして、現在の中国共産党と軍の暴走ぶりが、世界中を苦しめています。
武漢熱も、そのひとつです。
▼ぼくは、まだ外国人がそれほど珍しかった頃に中国を歩いているとき、まさか国会に行かねばならない日が来るとは、夢にも思っていませんでした。
今は、その国会、あるいは自由民主党の内側で格闘して、今日の週末も困難な日を送っています。
それは、もちろんぼく自身の選択です。
したがって、自由民主党の現職議員のひとりとして、深い責任も感じて、上述の動画も収録いたしました。
よろしければ、視てください。
中国の見えざるアキレス腱、致命的な弱点を明らかにすることを、試みました。
「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」の第149放送です。ここです。
▼ゆうべのそう遅くない時間に、とっくにアップしているのですが、今日はなかなかに困難な土曜日で、お知らせすらなかなかできませんでした。
しかし・・・もう、かなりのかたが視てくれています。
もちろん、その視聴数のなかには、中国の側のひとの視聴も含まれているわけですが。
志をもって、また深い関心を持って視てくださる同胞に、こゝろから感謝します。
同胞のみならず、中国共産党の独裁主義に苦しまれているすべてのひとびとに捧げる気持ちでいつも現在の中国の引き起こす問題について語るべきを語っています。
▼ぼくが記者時代、それもまだ地方支局(共同通信京都支局)にいたとき、中国に出張し、かなりの時間をかけて各地を取材して歩く機会がありました。
内陸部の素朴なことはもちろん、いちばん先進的だった上海ですら、ぼくがデパートにお土産を買いに行こうと歩いていると、うしろに、まるでブレーメンの笛吹きの童話のように、人が群れをなしてついてきました。
別に変わった格好はしていません。
中国の人々とそう変わらない、白い半袖シャツでしたが、当時の中国の市民には、ひとめで外国人と分かったようでした。
デパートに着いて、小さなパンダのお土産を買おうとして財布を開けると、黒山の人だかりが一斉に財布を覗き込んで、おおーというような声を上げました。
外国人のぼくが、中国の紙幣を持っている、と言ってもわずかですが、それが興味を惹いたようです。
そして、その日本円で100円もあったかどうかというおカネを店員さんに渡そうとして、その若い女性の店員さんのお顔に、なんとも誇らしげな表情が浮かんでいるのに気づきました。
外国人の相手をしているのが誇らしい、という感じなのです。
ぼくはその中国の庶民の素朴なきもちが嬉しくて、パンダのおもちゃを持ち上げて、みなさんを見回しながら現地で自然に覚えた中国語で短く感謝を述べました。
すると、どーっと沸いて、口々に何か喜んでくれました。その中身は中国語がほとんどできないぼくには良く分かりませんでしたが、日本人と知っての好意に聞こえました。
反日の雰囲気など皆無です。
▼あの頃の中国は、鄧小平さんの最高権力のもと、趙紫陽首相が改革をやろうとしていた時代でした。
やがて趙紫陽さんは、学生たちの民主化要求にも、あるいは人権尊重の声にも、一定限度内ながら耳を傾けようとする姿勢をみせ、中国共産党内で激しい批判に晒されます。
趙紫陽さんはその後、天安門事件で失脚し、軟禁されたまま亡くなります。
▼その天安門事件の直後に開かれたアルシュ・サミットで、議長国フランスらが学生らの虐殺に対して対中制裁を科そうとしました。
それを阻もうと、事件の中身を把握することすらろくにしないまま中国共産党の代弁者のような動きをしたのが、日本の「自民党」の宇野内閣と外務省だったのです。
それは、先日の外交文書公開で白日の下に晒されました。
ところが、この外交文書公開について、公共放送を自称するNHKをはじめとする日本の報道ぶりは信じがたいものでありました。
そこでぼくは不肖ながら、月刊Hanadaの連載エッセイ「澄哲録片片」 ( ちょうてつろく・へんぺん ) にて、事実を詳しく分析し告発しました。
この天安門事件への制裁見送りが、まさしく中国のモンスター化を後押しして、現在の中国共産党と軍の暴走ぶりが、世界中を苦しめています。
武漢熱も、そのひとつです。
▼ぼくは、まだ外国人がそれほど珍しかった頃に中国を歩いているとき、まさか国会に行かねばならない日が来るとは、夢にも思っていませんでした。
今は、その国会、あるいは自由民主党の内側で格闘して、今日の週末も困難な日を送っています。
それは、もちろんぼく自身の選択です。
したがって、自由民主党の現職議員のひとりとして、深い責任も感じて、上述の動画も収録いたしました。
よろしければ、視てください。