2021-06-26 04:11:56
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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にんげんの財産は、失敗しかない
【 5年まえの8月、すなわち議員となった翌月、千鳥ヶ淵の無名戦士の墓 ( 国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑 ) にお参りをしました。雨が降っていました 】
国会が開いていても閉じていても、その日が平日であっても週末であっても、ぼく自身の仕事は変わりません。
したがって、何かをやろうとすると、いわば一瞬のスキマを活用するしかないのです。
そこで昨日、6月25日金曜、この6月に喪った義母のお墓参りに行ってきました。
こういうときは、秘書さんの運転する車には乗りません。
ぼくには運転手さんはいないからです。私設秘書もいません。
運転手さん、あるいは私設の秘書さんを確保するには、政治献金を受け取っていないと無理です。ぼくは政治献金を誰からもどこからも一切、受け取りません。
ふだんの公用は、公設の政策秘書が運転してくれます。政策秘書としての仕事が本分ですから、お墓参りまで彼の運転で行くわけにいきません。
ほかの議員は、こうしたお墓参りも、基本、誰かが運転なさる車で行きます。誰かとは、専任の運転手さんか、私設の秘書さん、あるいは運転兼任の私設秘書ですね。それは政治記者の時代から良く知っています。
しかし、ぼくは私有車を運転していきました。
電車で行くと、時間が余計にたいへん掛かる場所にある墓苑です。
それに治安当局にいる知友から、「青山さんはテロに遭うリスクがあるから、交通機関を、常に良く考えてください」と意見されています。
運転しているときは、運転だけに集中します。秘書さんが運転してくれる車に乗っているときと違って、もちろん原稿は書けません。
きのう6月25日金曜は、いわゆる『ごとおび』でした。五十日ですね。決済や支払いのために道路が混む日です。特に首都高速は25日が混みます。それでも、スキマがこの日にしかないから、命日の月のうちに行くなら、きのうしかありませんでした。
予想以上の強烈な渋滞に入ってしまい、いくつか予定を失いました。
もしも原稿を書いていたなら、ほんらいは筆の速いタイプですから、すくなくとも草稿、つまり、粗々 ( あらあら ) の原稿はかなり書けたでしょう。
きのうはただ、時間をロスし、予定も狂い、生産物もない結果となりました。
失敗ですね。
しかし失敗しか、人間の財産はありませぬ。
大袈裟な言いようで朝から申し訳ないですが、これが肝心です。
なぜ、経緯をある程度、記したか。
どんな失敗も、大きな失敗もちいさな失敗も、それなりの経緯、いきさつがあることと、失敗の理由がやむを得ないものであっても、失敗は失敗として結果を受け止めるということを、述べるためです。
成功から得るものは、いつも仮のものに過ぎません。
成功した段階で、それはすでに過去の成功であり、そこに留まることはできないのです。
では失敗はどうか。
汲めども尽きない泉のようです。
失敗という怖い池の底を、勇気を持って見つめると、宝物がいくつも水を脱して手の中に入ってきます。
日本はアメリカと開戦したのは致命的な失敗でした。
アジアの戦線は、アメリカを含む西洋列強の植民地主義を同じアジア人として座視しないという意味がありました。
それだけですべてを正当化はできません。しかし人間のやることはすべて、光と影を含み持っています。国家も人間のつくるもの、どんな政策にも正負の両面を深刻に抱え込んでいます。
戦線をアジアにとどめず、太平洋の東へ、ハワイ真珠湾まで延ばしたのは失敗でした。
それでも失敗が大きければ大きいほど、ほんとうは得るものも大きくなるのです。
ぼくらの祖国は、失敗に打ちのめされて実に76年を過ごしました。
もはや、立つべきときです。
時機が到来しています。
意見の違いがどれほどあっても、一致点に立脚する、国民統合の国家理念を再建することが不可欠です。
国家観と歴史観をみずからの裡 ( うち ) に確立している、それもかりそめではなく真におのれのものとして魂のただなかに樹立している、引率者が必要です。
同時に、日本は古代から「民が主である」という民主主義の邦 ( くに ) でありますから、その民のおひとりおひとりが、どっしりと動揺しない部分を、どこかに持っていること、表では表現できずにただ隠し持っているのでもいいから、根っこに秘めていること、それも必要です。
この動画は、それを語っているのです。
みなさん、おはようございます。
きょうは土曜日、みなさんは、ゆっくりとなさってくださるよう祈ります。
土曜に仕事のひとは、社会の空気が平日よりはいくらかゆったりしていることを、働きながらも、味わって、気持ちよく働けることを祈ります。