2021-07-24 01:13:41
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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【推敲しました】【追記を書き加えました】 無理に救いを求めるわけではありませんが、開会式において、とても良かったこと
▼良かったこと、それは、ひとつ前のエントリーに記した3つ以外にもあります。
3つとは、「水面下の動きが、意外にも、実ったこと」 ( ごめんなさい、中身は記せません。ただこれによって、世界に対し、日本の尊厳のひとつは喪われずに護られました ) 、国士すぎやまこういち先生の交響楽、橋本聖子組織委員会会長の真情の入ったあいさつですね。
そして、それ以外にも、例えば下掲のような良きことがありましたね、みなさん。
▽西暦1964年の東京オリンピックと同じく、陸海空の自衛官が凜々しく、立派に重要な任務を果たしてくださったこと。
場内アナウンスはもちろん、「Self-Defense Forces」 ( 自衛隊 ) と呼んでいましたが、世界の多くのひとは、日本陸軍、日本海軍、日本空軍が揃い踏みして、諸国の軍隊の儀仗隊と同じくきりりと任務を果たしているなと、感じたでしょう。
( 個人的な思い出で申し訳ないですが、小学生だったぼくは、64年東京五輪の開会式を両親・兄弟とテレビで見ていて、自衛隊が誇りある組織なんだと、初めて感じました。当時も、学校でまったく教わらないことでしたから、子供にとって、大発見でした。いまでも、あの開会式に感謝しています )
▽これも64年東京五輪と同じく、ちいさな国も大きな国も区別なく、すべての国の選手が自負と自信と誇りを持って入場したこと。
( 不肖ぼくは、前述のように小学生で、開会式に登場したちいさな国の聞いたこともない国名、見たこともない国旗を一生懸命に、百科事典で調べて、世界の広さに驚き、さまざまな民族衣装に子供心にかりそめではない敬意を抱きました。それが、ぼくが国際社会とかかわる重要なきっかけのひとつになりました。
今回も、アフリカやラテンアメリカ、カリブ海の諸国の民族衣装が特に美しかったですね )
▽大坂なおみ選手が、しっかりと聖火を灯したこと。
最近の困難な情況に立ち向かう、落ち着いた姿でした。
▽被災を乗り越える、少年少女の歌声が前を向いて、素晴らしかったこと。
▽夜空に、多くの?ドローンによって、五輪のエンブレムが描かれ、それが地球に変わったこと。
日本の高い技術力が健在であることを感じさせましたね。
( ※ 追記 米国企業の支援があったという話もあります。「日本の技術力ではない」ということになるかどうかは週明けから調べます )
▽全体に、武漢熱のさなかであることを隠さず、正面から向きあって打ち克とうという意思を感じさせたこと。
▼一方で、これはどうかなぁ、という点も多かったです。ひとつ前のエントリーに記した、まさかの不祥事とは別の諸点ですね。
それはもう、いちいち、記しません。ひとの受け止め方が実にさまざまであることを、あらためて今、感じているからです。
ただ、根っこには、日本が日本であるための個性を打ち出すのが弱いという問題が横たわっていると、ぼく個人は、考えました。
多様性とは、それぞれの個性が発揮されて初めて、成立するのです。個性を殺してごちゃ混ぜにしたら、それは多様性ではなく、媚びです。
そして、そもそも64年東京五輪の開会式は、天下晴れての昼間でした。
昼間だからこそ、天がくださった秋晴れが活きたのです。
開会式が昼に整斉と挙行され、閉会式は夜に自由におこなわれたこと、その絶妙な対比とバランスが、いかにも日本を表していました。
それは、当時のぼくのような子供にも、ありありと伝わることでした。
今回はIOCの拝金主義に抗することができず、秋であるべき開催が暑い夏に移されたことが、開会式の夜開催の背景ではないでしょうか。これは今のところ、確認しきれないことですから、あくまでもぼくの個人的な懸念ですが・・・、
▼日本が日本であることそのものが危機に立っていると、誰にも良く分かる開会式でもありました。
畏れ多くも、天皇陛下のご臨席を仰ぎながら、ひとつ前のエントリーに記した信じがたい不祥事のあったことは、そのまさしく象徴です。
ここからこそ、祖国を甦らせるほかありませぬ。
そのためには、このエントリーに記した良きことも、扶 ( たす ) けになります。
そして、きょう7月24日から本格化する競技の本番において、わが国と、諸国の選手たちが、東京オリンピック・パラリンピックは、その本来の意義を喪っていないことを、きっと証明してくれるでしょう。
こゝろある日本人のみなさん、どこまでも一緒に歩みましょう。
3つとは、「水面下の動きが、意外にも、実ったこと」 ( ごめんなさい、中身は記せません。ただこれによって、世界に対し、日本の尊厳のひとつは喪われずに護られました ) 、国士すぎやまこういち先生の交響楽、橋本聖子組織委員会会長の真情の入ったあいさつですね。
そして、それ以外にも、例えば下掲のような良きことがありましたね、みなさん。
▽西暦1964年の東京オリンピックと同じく、陸海空の自衛官が凜々しく、立派に重要な任務を果たしてくださったこと。
場内アナウンスはもちろん、「Self-Defense Forces」 ( 自衛隊 ) と呼んでいましたが、世界の多くのひとは、日本陸軍、日本海軍、日本空軍が揃い踏みして、諸国の軍隊の儀仗隊と同じくきりりと任務を果たしているなと、感じたでしょう。
( 個人的な思い出で申し訳ないですが、小学生だったぼくは、64年東京五輪の開会式を両親・兄弟とテレビで見ていて、自衛隊が誇りある組織なんだと、初めて感じました。当時も、学校でまったく教わらないことでしたから、子供にとって、大発見でした。いまでも、あの開会式に感謝しています )
▽これも64年東京五輪と同じく、ちいさな国も大きな国も区別なく、すべての国の選手が自負と自信と誇りを持って入場したこと。
( 不肖ぼくは、前述のように小学生で、開会式に登場したちいさな国の聞いたこともない国名、見たこともない国旗を一生懸命に、百科事典で調べて、世界の広さに驚き、さまざまな民族衣装に子供心にかりそめではない敬意を抱きました。それが、ぼくが国際社会とかかわる重要なきっかけのひとつになりました。
今回も、アフリカやラテンアメリカ、カリブ海の諸国の民族衣装が特に美しかったですね )
▽大坂なおみ選手が、しっかりと聖火を灯したこと。
最近の困難な情況に立ち向かう、落ち着いた姿でした。
▽被災を乗り越える、少年少女の歌声が前を向いて、素晴らしかったこと。
▽夜空に、多くの?ドローンによって、五輪のエンブレムが描かれ、それが地球に変わったこと。
日本の高い技術力が健在であることを感じさせましたね。
( ※ 追記 米国企業の支援があったという話もあります。「日本の技術力ではない」ということになるかどうかは週明けから調べます )
▽全体に、武漢熱のさなかであることを隠さず、正面から向きあって打ち克とうという意思を感じさせたこと。
▼一方で、これはどうかなぁ、という点も多かったです。ひとつ前のエントリーに記した、まさかの不祥事とは別の諸点ですね。
それはもう、いちいち、記しません。ひとの受け止め方が実にさまざまであることを、あらためて今、感じているからです。
ただ、根っこには、日本が日本であるための個性を打ち出すのが弱いという問題が横たわっていると、ぼく個人は、考えました。
多様性とは、それぞれの個性が発揮されて初めて、成立するのです。個性を殺してごちゃ混ぜにしたら、それは多様性ではなく、媚びです。
そして、そもそも64年東京五輪の開会式は、天下晴れての昼間でした。
昼間だからこそ、天がくださった秋晴れが活きたのです。
開会式が昼に整斉と挙行され、閉会式は夜に自由におこなわれたこと、その絶妙な対比とバランスが、いかにも日本を表していました。
それは、当時のぼくのような子供にも、ありありと伝わることでした。
今回はIOCの拝金主義に抗することができず、秋であるべき開催が暑い夏に移されたことが、開会式の夜開催の背景ではないでしょうか。これは今のところ、確認しきれないことですから、あくまでもぼくの個人的な懸念ですが・・・、
▼日本が日本であることそのものが危機に立っていると、誰にも良く分かる開会式でもありました。
畏れ多くも、天皇陛下のご臨席を仰ぎながら、ひとつ前のエントリーに記した信じがたい不祥事のあったことは、そのまさしく象徴です。
ここからこそ、祖国を甦らせるほかありませぬ。
そのためには、このエントリーに記した良きことも、扶 ( たす ) けになります。
そして、きょう7月24日から本格化する競技の本番において、わが国と、諸国の選手たちが、東京オリンピック・パラリンピックは、その本来の意義を喪っていないことを、きっと証明してくれるでしょう。
こゝろある日本人のみなさん、どこまでも一緒に歩みましょう。