2021-09-15 04:41:39
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
Comments (0)
【推敲しました】【さらに書き足しました】 高市候補に浮 ( うわ ) ついたところが無かったのは、総理への資格証明だと考えます
みなさん、きょうの日も、おはようございます。
たとえひとつでも、みんなの気持ちが安らぐことが起きますように。
今朝もまた、なんと言いますか、決して大声ではなく小声ながらぼくを罵るようなコメントを、この地味なブログで拝読しています。
ひとの命は、誰しも、あっという間です。
1050年ほど前に書かれた、かげろふの日記 ( 蜻蛉日記 ) を読んでも、まさしく蜻蛉のように短い命のなかで、女性が今と根っこは変わらない苦しみに耐えて生きる姿があります。
ひとつでも、ふたつでも、意見の違いを越えて、安らげること、楽しいことが、みなさんにはありますように。
▼昨日のこのエントリーに記した、総裁選で高市候補を当選させるための「選対本部」を発足させる会、この大舞台で挨拶に立たれた高市さんが、まことに落ち着いた、しかし、しっかりと熱の入ったスピーチをなさったことを、今朝、あらためて考えています。
浮つかない、昂 ( たか ) ぶりすぎない、それでいて熱い、それはわが国の新しい総理たる資格のひとつを、有しておられる良き証明だと考えます。
▼一方で、高市さんがおそらくまったくご存じないところで、ふだんはなかなか見ないものを見ました。
どんな部会でも対策本部でも、ただの一度もお顔を見たことがない国会議員が、参加しておられるのです。
それはしかし、良くあることです。
そもそも、今回の総裁選の立候補者で、部会や対策本部で同席したことのある人は、ひとりもいらっしゃいません。閣僚経験をはじめベテランの大物であることは理由になりません。そういう存在でも、来られる人は部会や対策本部に来られますから。
だから、まったく見たことも聞いたこともない議員がいても、そう変事ではありません。
自由民主党の衆参両院議員383人の中には、そういうひとも居ると言わざるを得ません。おそらく地元では、まったく逆の、良く知られた存在なのでしょう。そうでないと当選しませんからね。
この初めて見る議員らの、昨日の会場での表情、それにぼくは思わず知らず、間近で見入ってしまったのです。
おそらく、もの書きとしての感覚、にんげんという存在をずっと見て考えている感覚から来る、驚きだと思います。ほかの議員とは、ありのままに申して違う感覚だろうとは思います。
では、どんな表情でいらしたか。
うーん、露 ( あら ) わに書きすぎなのですが、権力の匂いにありつきたいという焦り、同時に、この候補が勝つかどうか分からないのにここに居ていいのか、他の候補に付かなくていいのかという不安、それが一緒になっているのを感じました。
勝手に、感じただけですよ。
しかし作家は、こうした直感から、書き起こしていきます。
正直、もの凄い負のエネルギーを受け止めました。
高市候補と、詰めかけたカメラの群れと、ご自分の距離を測って、そこに集中している、ふだんに無い空気を会場の一部にありありと感じました。
そしてぼくは「これは・・・どんでん返しで推薦人に指名されなくても、驚かないなぁ」と考えたのです。
▼ぼくは、高市さんに総理総裁になっていただくために、高市さんの「推薦人になって欲しい」という熱心な要請をお受けしました。
不肖ぼくが意志を貫けば、一部は共通するだろう支持層を分断することになる、それを回避することだけが目的です。
ぼくは推薦人になっても何の益もありません。
実際、今から3年まえ、西暦2018年の総裁選で、思いがけず要請されて、三選を目指す安倍総理の推薦人になりました。
しかしだからといって、安倍さんが三選されてからなにか特別なことがあったかと言うと、一切、無かったです。
それは、ぼくの場合は、ということでしょう、たぶん。
ぼくは地位を求めないからです。
カネも要らず、地位も要らず、名も要らずということが何も変わっていません。
今回の総裁選において、全国比例の参議院議員で閣僚経験無し、党四役無し、政治献金と団体支持は一切お断り、その「立候補はあり得ない」はずの立場で立候補しようとしたのは、祖国の危機にあっておのれを極限まで捨て去って、政権与党を芯から一新するためです。
政界では、それは丸ごと、不可思議な生き方です。
したがって、不可思議な生き方をしない政治家は、推薦人になって、その候補が総理になると、なにかメリットがあるのでしょうね。いや、メリットがある場合も無くはない、と言うのが正確でしょう。
その場合、まさかカネでは無いでしょう、さすがに。
すると、やはり地位でしょうね。
その2018年の総裁選でも、ぼくと同じように自分の益は考えなかった推薦人がほとんどだと思います。
ただ、結果としては、総裁選の後になんらかのこと、影響はあったのかも知れません。求めていないぼくには、何も無かっただけで。
▼今回、高市候補は、とても良い意味のダークホースです。
だから大急ぎで距離を縮める、距離を測る必要を感じている人もいらっしゃるのでしょう。
客観的に、よおく理解できます。
だからきょう、何が起きても、驚きません。
魂の奥、こゝろの底はいつも、しんと鎮まっています。
それは長いあいだ、文章を職業として書いてきたおかげだと思います。
職業としてのもの書きは、ひとを見つめる職務です。まず、おのれ自身を底の底まで問い、底まで行き着いて欲が抜けたら、ひとがわずかには見えるようになってきます。
朝から、長話になりました。
もう夜が明けました。
日本の夜も明けますように。
たとえひとつでも、みんなの気持ちが安らぐことが起きますように。
今朝もまた、なんと言いますか、決して大声ではなく小声ながらぼくを罵るようなコメントを、この地味なブログで拝読しています。
ひとの命は、誰しも、あっという間です。
1050年ほど前に書かれた、かげろふの日記 ( 蜻蛉日記 ) を読んでも、まさしく蜻蛉のように短い命のなかで、女性が今と根っこは変わらない苦しみに耐えて生きる姿があります。
ひとつでも、ふたつでも、意見の違いを越えて、安らげること、楽しいことが、みなさんにはありますように。
▼昨日のこのエントリーに記した、総裁選で高市候補を当選させるための「選対本部」を発足させる会、この大舞台で挨拶に立たれた高市さんが、まことに落ち着いた、しかし、しっかりと熱の入ったスピーチをなさったことを、今朝、あらためて考えています。
浮つかない、昂 ( たか ) ぶりすぎない、それでいて熱い、それはわが国の新しい総理たる資格のひとつを、有しておられる良き証明だと考えます。
▼一方で、高市さんがおそらくまったくご存じないところで、ふだんはなかなか見ないものを見ました。
どんな部会でも対策本部でも、ただの一度もお顔を見たことがない国会議員が、参加しておられるのです。
それはしかし、良くあることです。
そもそも、今回の総裁選の立候補者で、部会や対策本部で同席したことのある人は、ひとりもいらっしゃいません。閣僚経験をはじめベテランの大物であることは理由になりません。そういう存在でも、来られる人は部会や対策本部に来られますから。
だから、まったく見たことも聞いたこともない議員がいても、そう変事ではありません。
自由民主党の衆参両院議員383人の中には、そういうひとも居ると言わざるを得ません。おそらく地元では、まったく逆の、良く知られた存在なのでしょう。そうでないと当選しませんからね。
この初めて見る議員らの、昨日の会場での表情、それにぼくは思わず知らず、間近で見入ってしまったのです。
おそらく、もの書きとしての感覚、にんげんという存在をずっと見て考えている感覚から来る、驚きだと思います。ほかの議員とは、ありのままに申して違う感覚だろうとは思います。
では、どんな表情でいらしたか。
うーん、露 ( あら ) わに書きすぎなのですが、権力の匂いにありつきたいという焦り、同時に、この候補が勝つかどうか分からないのにここに居ていいのか、他の候補に付かなくていいのかという不安、それが一緒になっているのを感じました。
勝手に、感じただけですよ。
しかし作家は、こうした直感から、書き起こしていきます。
正直、もの凄い負のエネルギーを受け止めました。
高市候補と、詰めかけたカメラの群れと、ご自分の距離を測って、そこに集中している、ふだんに無い空気を会場の一部にありありと感じました。
そしてぼくは「これは・・・どんでん返しで推薦人に指名されなくても、驚かないなぁ」と考えたのです。
▼ぼくは、高市さんに総理総裁になっていただくために、高市さんの「推薦人になって欲しい」という熱心な要請をお受けしました。
不肖ぼくが意志を貫けば、一部は共通するだろう支持層を分断することになる、それを回避することだけが目的です。
ぼくは推薦人になっても何の益もありません。
実際、今から3年まえ、西暦2018年の総裁選で、思いがけず要請されて、三選を目指す安倍総理の推薦人になりました。
しかしだからといって、安倍さんが三選されてからなにか特別なことがあったかと言うと、一切、無かったです。
それは、ぼくの場合は、ということでしょう、たぶん。
ぼくは地位を求めないからです。
カネも要らず、地位も要らず、名も要らずということが何も変わっていません。
今回の総裁選において、全国比例の参議院議員で閣僚経験無し、党四役無し、政治献金と団体支持は一切お断り、その「立候補はあり得ない」はずの立場で立候補しようとしたのは、祖国の危機にあっておのれを極限まで捨て去って、政権与党を芯から一新するためです。
政界では、それは丸ごと、不可思議な生き方です。
したがって、不可思議な生き方をしない政治家は、推薦人になって、その候補が総理になると、なにかメリットがあるのでしょうね。いや、メリットがある場合も無くはない、と言うのが正確でしょう。
その場合、まさかカネでは無いでしょう、さすがに。
すると、やはり地位でしょうね。
その2018年の総裁選でも、ぼくと同じように自分の益は考えなかった推薦人がほとんどだと思います。
ただ、結果としては、総裁選の後になんらかのこと、影響はあったのかも知れません。求めていないぼくには、何も無かっただけで。
▼今回、高市候補は、とても良い意味のダークホースです。
だから大急ぎで距離を縮める、距離を測る必要を感じている人もいらっしゃるのでしょう。
客観的に、よおく理解できます。
だからきょう、何が起きても、驚きません。
魂の奥、こゝろの底はいつも、しんと鎮まっています。
それは長いあいだ、文章を職業として書いてきたおかげだと思います。
職業としてのもの書きは、ひとを見つめる職務です。まず、おのれ自身を底の底まで問い、底まで行き着いて欲が抜けたら、ひとがわずかには見えるようになってきます。
朝から、長話になりました。
もう夜が明けました。
日本の夜も明けますように。