On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2021-09-18 01:01:00
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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総裁選とスマホ

( ひとつ前のエントリーに関連するといえば関連します。ただし大袈裟な話ではありません )

▼「総裁選の4候補の演説中にスマホをいじっていたじゃないか、テレビに映っていた」と言ってこられたかたがいらっしゃいます。
 口には出さねど、同じことを思っていたというかたも少なくないでしょうね。
 ぼく自身も、スマホをいじっているという風にテレビに映ってるだろうなと思っていました。しかし必要があるから『いじっていた』ので、どう見えていようが気にしていませんでした。

 スマホのメモ機能を使って、演説の要点や、ぼくの感想を打ち込んでいたのです。ひとつ前のエントリーにも、そのように記しています。
 自由民主党の部会では、紙に手書きでメモをします。それは動画で、みなさんにその紙をお見せするためです。
 それ以外の時は、スマホのメモに記すことが多いです。そのままメールで、自分のパソコンアドレスに送って、電子データで原稿などに取り込めるからです。
 それに、いつどこに居ても、急ぎの連絡が入ります。
 演説でも何でも、しっかり聴きながら、あるいは見ながら、その連絡に回答します。
 常に、多重の同時進行で仕事をしています。
 スマホで何かの操作をしているからといって、遊んでいるわけではありませぬ。
 ぼくだけではなく、多くのかたにとっても、スマホは仕事のツールでもあるでしょう。

▼願わくは、ご自分の感覚で、ひとの言動をあまり判断なさらない社会になれば、いいですね。
 先日、「権力の匂い」「推薦人をめぐる調整」を記したエントリーをアップしました。すると、ずいぶんと斜めに解釈された長文のコメントがありました。
 それは・・・あなたさまの心象風景ですね。ぼくのこゝろではありません。

 ま、スマホにメモしているだけで、即座に、まさしくスマホから ? この地味なブログに追及が入っている世の中です。このかたが特にどうとか、言うつもりはまったくありません。

  そしてみなさん、ご心配なく。
 ぼく自身はとっくに、達観 ( たっかん ) しています。達観とは、諦観 ( ていかん ) でもあります。
 懸念しているのは、日本の社会です。
 ひとが自分と同じではなく違うと理解していることは、赦しや連帯、共感、友情、そして愛情に繋がります。
 ひとを自分の心象で裁くことは、そのちょうど逆のことへ繋がってしまうでしょう。そうやって、ひとが孤立していくのを感じます。





 
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