2021-09-27 11:33:24
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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総裁選のあとすぐに来る総選挙を予告するかのような選挙がありました 立憲民主党がその牙城で大敗 逆に、自由民主党の緩みを今から懸念しています
▼重大な変化でありながら、中央のメディアがほぼ注目しない選挙がありました。
きのう9月26日日曜、北海道旭川市で市長選があり、自由民主党が中心になって推した新人、今津寛介 ( ひろすけ ) さん、44歳が、立憲民主党が中心になって推した新人の笠木薫・元道議、64歳を大差で破って当選しました。
ぼくの知己でもある今津・新市長が当確を聴いて「奇跡が起きた」とTVカメラと支持者のまえで仰ったように、これまで積み重なった長い経緯と歴史を考えると、たいへんな逆転劇です。
旭川は、日本社会党から立憲民主党につながる左派系のまさしく牙城だったのです。
▼まず第一には、今津ひろすけさんの優しく、決断力のある、スカッとした人柄と、見事に成長なさった演説が最大の勝因です。
同時にゆうべ、当確の報の直後に、関係者に電話すると「総裁選の影響が大きかった」と分析なさいました。
菅総理が総裁選で再選を目指しておられたとき、ぼくはあくまでも客観的な見通しとして以下のように、総理経験者を含めて、重要な役割のひとびとに警告をいたしました。
「自由民主党は来たる総選挙で70数議席以上を喪って、政権が野党に渡る可能性があります。その場合は共産党が選挙での下支えの功績で大きな影響力を持つことになります。日本の永い歴史で初めての政権に一変する恐れがあります。共産党が入閣しなくとも、閣外協力を表明しなくとも、同じことです」
「自由民主党に失政がどれほどあってもなお、今の野党は各小選挙区で共産党に頼まないと、自由民主党に勝てない。勝つときは、必ず、共産党が各小選挙区で確保している基礎票が活きる時です。自由民主党中心の政権を根本的に変えないと、日本国が共産党に基礎を置く政治となります」
「そうなれば、皇位継承は必ず巧妙に壊され、天皇陛下のご存在が喪われることに繋がります。日本国の終焉です」
ぼく自身が総裁選に立たざるを得ないと、去年の9月から覚悟していたのも、このためです。
それが高市早苗候補の出馬を含め、総裁選が一変してから、政治全体の情況が根こそぎ変わりました。
▼旭川に話を戻すと、ここは北海道で第二の人口を持ち、地政学的にも極めて重要な都市です。
ぼくは民間の時代から、今津寛介・新市長のお父さま、今津寛・元代議士の応援を含めて、ちょっと数えられないほど訪れています。
今津寛・元代議士がまだ初当選もなさっていない時代からです。
先日も、数年ぶりに地上波のテレビ ( よみうりテレビ ) の番組に参加するため富良野を訪れたとき、旭川に足を延ばして今津家をお訪ねしました。今津寛介さんともお会いしました。
たいへんに僭越な物言いながら、その成長ぶりに一驚し、内心で感激しました。
今津ひろすけさんは3年前、現職市長に挑むことをみずから決断して市長選に出馬し、大敗したのです。それが、目覚ましい成長の土台になっていることを、ありありと感じました。
成功ではなく失敗を活かす人間こそ、人材です。
今回の市長選では、緊急事態宣言のために応援の遊説はできませんでしたが、陣営の中心のひとりである、誠実なわが友、安田佳正・旭川市議と連絡を取りあっていました。
▼さて、この旭川市は、社会党出身の五十嵐公三さんが37歳から市長を務めたように、長く、野党系が市長選も国政選挙も非常に強かったのです。
五十嵐さんは、非自民政権の細川政権で建設大臣となり、村山内閣では官房長官を務めた人と申しあげると、思い出されるかたも少なくないでしょう。
今回、市長選となったのも、4期目を務めていた西川将人前市長が、立憲民主党の公認で衆院北海道6区から立候補なさるために辞職されたことによるものです。
立憲民主党はその時点で、余裕を持って後継市長として笠木・元道議の当選を予測していたはずです。
自由民主党が旭川市長の座を奪還したのは15年ぶりです。
今回、当選した今津寛介・新市長は前述の通り前回市長選で、現職だった西川市長に大敗していたのです。メディアに「惨敗」と評されました。今回は真逆の結果となりました。
▼総裁選の効果で、明らかに、これまでと逆の大きな流れが起きています。
さぁ、こうなると、自由民主党の負のお家芸である油断を懸念します。深く、懸念しています。
総裁選の緊張感を保つためにも、ぼくは、高市早苗内閣総理大臣が誕生して、自由民主党がこれまで怠け、回避していた命題に着手することを祈り、願い、明瞭な信念をもって、支援します。
それが旭川市民の判断と選択を、活かすことにもなります。
きのう9月26日日曜、北海道旭川市で市長選があり、自由民主党が中心になって推した新人、今津寛介 ( ひろすけ ) さん、44歳が、立憲民主党が中心になって推した新人の笠木薫・元道議、64歳を大差で破って当選しました。
ぼくの知己でもある今津・新市長が当確を聴いて「奇跡が起きた」とTVカメラと支持者のまえで仰ったように、これまで積み重なった長い経緯と歴史を考えると、たいへんな逆転劇です。
旭川は、日本社会党から立憲民主党につながる左派系のまさしく牙城だったのです。
▼まず第一には、今津ひろすけさんの優しく、決断力のある、スカッとした人柄と、見事に成長なさった演説が最大の勝因です。
同時にゆうべ、当確の報の直後に、関係者に電話すると「総裁選の影響が大きかった」と分析なさいました。
菅総理が総裁選で再選を目指しておられたとき、ぼくはあくまでも客観的な見通しとして以下のように、総理経験者を含めて、重要な役割のひとびとに警告をいたしました。
「自由民主党は来たる総選挙で70数議席以上を喪って、政権が野党に渡る可能性があります。その場合は共産党が選挙での下支えの功績で大きな影響力を持つことになります。日本の永い歴史で初めての政権に一変する恐れがあります。共産党が入閣しなくとも、閣外協力を表明しなくとも、同じことです」
「自由民主党に失政がどれほどあってもなお、今の野党は各小選挙区で共産党に頼まないと、自由民主党に勝てない。勝つときは、必ず、共産党が各小選挙区で確保している基礎票が活きる時です。自由民主党中心の政権を根本的に変えないと、日本国が共産党に基礎を置く政治となります」
「そうなれば、皇位継承は必ず巧妙に壊され、天皇陛下のご存在が喪われることに繋がります。日本国の終焉です」
ぼく自身が総裁選に立たざるを得ないと、去年の9月から覚悟していたのも、このためです。
それが高市早苗候補の出馬を含め、総裁選が一変してから、政治全体の情況が根こそぎ変わりました。
▼旭川に話を戻すと、ここは北海道で第二の人口を持ち、地政学的にも極めて重要な都市です。
ぼくは民間の時代から、今津寛介・新市長のお父さま、今津寛・元代議士の応援を含めて、ちょっと数えられないほど訪れています。
今津寛・元代議士がまだ初当選もなさっていない時代からです。
先日も、数年ぶりに地上波のテレビ ( よみうりテレビ ) の番組に参加するため富良野を訪れたとき、旭川に足を延ばして今津家をお訪ねしました。今津寛介さんともお会いしました。
たいへんに僭越な物言いながら、その成長ぶりに一驚し、内心で感激しました。
今津ひろすけさんは3年前、現職市長に挑むことをみずから決断して市長選に出馬し、大敗したのです。それが、目覚ましい成長の土台になっていることを、ありありと感じました。
成功ではなく失敗を活かす人間こそ、人材です。
今回の市長選では、緊急事態宣言のために応援の遊説はできませんでしたが、陣営の中心のひとりである、誠実なわが友、安田佳正・旭川市議と連絡を取りあっていました。
▼さて、この旭川市は、社会党出身の五十嵐公三さんが37歳から市長を務めたように、長く、野党系が市長選も国政選挙も非常に強かったのです。
五十嵐さんは、非自民政権の細川政権で建設大臣となり、村山内閣では官房長官を務めた人と申しあげると、思い出されるかたも少なくないでしょう。
今回、市長選となったのも、4期目を務めていた西川将人前市長が、立憲民主党の公認で衆院北海道6区から立候補なさるために辞職されたことによるものです。
立憲民主党はその時点で、余裕を持って後継市長として笠木・元道議の当選を予測していたはずです。
自由民主党が旭川市長の座を奪還したのは15年ぶりです。
今回、当選した今津寛介・新市長は前述の通り前回市長選で、現職だった西川市長に大敗していたのです。メディアに「惨敗」と評されました。今回は真逆の結果となりました。
▼総裁選の効果で、明らかに、これまでと逆の大きな流れが起きています。
さぁ、こうなると、自由民主党の負のお家芸である油断を懸念します。深く、懸念しています。
総裁選の緊張感を保つためにも、ぼくは、高市早苗内閣総理大臣が誕生して、自由民主党がこれまで怠け、回避していた命題に着手することを祈り、願い、明瞭な信念をもって、支援します。
それが旭川市民の判断と選択を、活かすことにもなります。