On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2022-03-10 01:08:53
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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独裁者プーチン大統領はすでに・・・




・・・こうなっている。
 それをここで、武漢熱から復帰した三浦麻未公設第一秘書とともに考えています。
 みなさん、できれば三浦秘書の健やかなリターンを、一緒に喜んでくださいね。

▼きのう3月9日水曜に、参議院の本会議と予算委員会のあいだ、昼の時間にその動画、「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」の第293回を収録しました。

 昼はふつうに小1時間あるのですが、本会議は国会議事堂の本館でひらかれ、収録は議員会館の青山繁晴事務所でやり、予算委員会は再び国会議事堂の本館でひらかれ、というわけで、まず収録の前後の移動で時間が喪われます。
 収録を国会議事堂の庭とかでやれないか模索したのですが、一切、駄目。
 議員会館の自室のみ可能です。

 昼ご飯は自動的に諦めるとして、予算委員会は誇張抜きで1秒、1分も遅れる訳にいかないので、時間がほんとうにありません。
 しかし今、ウクライナ戦争もあって公務日程はぎちぎちで、この昼の時間だけです、収録できるのは。
 したがって今日3月10日の木曜も、同じく、昼に収録します。

▼きのうの予算委員会は再び、おかしな慣習の「片道方式」となりました。
 議員の質問する時間だけカウントされて、政府の答弁をはじめ、そのほかの時間は一切、審議時間に含まれません。
 とたんに野党議員は、奇怪な行動に出ます。

 叫ぶように早口で質問して、質問が誰の耳にも、つまり野党議員にも聴き取れず、大臣にも聴き取れず、答弁する大臣が困惑しつつ答弁席に来て、「聴き取れませんでしたから、もう一度」と丁寧にお願いなさると、野党議員は着席のまま、まるで叱責するように、ときには怒鳴るように、言い返します。
 なぜ着席のままか。
 ちゃんと立って、委員長の指名を受けて発言して初めて、時間がカウントされ始めるからです。
 座ったままだと、カウントされません。

 その議員が、持ち時間の3倍にも4倍にもなってようやく質問を終えると、今度は、とにかく着席したまま質問しようとする議員が現れます。
 立って発言した質問内容が、部分だけ切り取ったような内容なので、答弁側が聴き直すと、座ったまま「だから、こういう意味ですよっ」と内容を補います。

 いずれも、このようにしていたらいつまでも審議時間が延びる、それがもはや、無意識の狙いとなってしまっているとしか思えません。
 これが暗黒国会でなくて何でしょうか。
 主権者・国民のためになること、日本国民が喜ぶことでしょうか。

 ぼくは参議院議員の1期6年ずっと、同期当選の議員で唯ひとり予算委員を務め続けているために、この暗黒国会とずっと向かい合っています。
 審議の内容以前に、上記のような挙に出ることが、にんげんの生き方として根本的に、信じがたく思うのです。
 審議の駆け引きうんぬんを超えて、人間性を問わざるを得ません。
 なぜ堂々とルールを守って、自分にだけ有利になることなど狙わずに、真っ直ぐに議論をしないのでしょうか。

▼きのうは、いつ終わるとも知れない予算委員会の最後の方に、頭の奥が爆発しそうになる、深い疲れを感じました。
 国会に出ていない短い時間、たとえば自宅にあっても毎日、毎夜、毎朝、とにかく大量の不満の声とばかり向きあっていることと合わせ、実際、もの凄いストレスだと思います。
 これを記しているには、いくつか理由があります。

 ひとつには、「異業種の人よ出でよ」と呼びかけてきた以上、このような無尽蔵にも思える重いストレスを必ず受けるということも、国会議員になることをお考えのかたには、ありままに知らせておかねばならないという責任です。
 もうひとつには、そのまさしく異業種から万やむなく議員となったぼくは、世襲議員よりも、官僚出身の議員よりも、特定の業界や団体の利害のための議員よりも、国会のありのままの姿を、国会のほんらいの主人公である主権者・国民に伝える責任もあると考えるからです。

▼しかし、わが胸のなかで、苦闘千里と呟けば、そのストレスもすうと去っていきます。
 苦闘は千里続くのである、誰しもそうではないか、おのれの意思で戦う以上は、それをありのままに淡々と受け容れるのみだ。

 こう考えること、感じることができて、とにかくストレスはいったんは去ります。
 そうでないと、とっくに議員を辞めていたでしょう。
 いまテレビで喋っている元議員、タレントから議員になって任期途中で辞めてタレントに戻っている人のなかで、議員生活を力を尽くして送っていたという評価のある人は、ぼくの知る限り、ひとりもいらっしゃいません。
 なかには、ぼくに、ご自分がどうして議員を辞めたかという理由を熱心に語られ、「懸命にやったけど壁が厚くて」と仰った有名タレントもいます。
「石原慎太郎さんとも衝突してね、それが引き金になって、辞めました」とも語られました。

 へぇ、そんなに奮闘されたんだ、立派だと思っていたら、その議員と同じ党だった現職議員が噴き出しました。
「誰にも相手にされていなかったよ。石原慎太郎さんと衝突なんて冗談じゃない。口もきいてもらっていなかった。孤独に耐えられずに辞めたんだと思うけど、仲間や同士ができるほどの政治活動をしていなかったからね。当たり前だと思う」と、真面目な顔になって語られたりしました。

 逆な、良い話もあります。
 先日、F1に出場していた山本左近代議士のことをひとこと書いたら、何も知らないタレント議員が・・・と罵倒する趣旨のコメントも来ていました。
 そう言いたくなる主権者のお気持ちは、実は、良く分かります。
 しかし現実の山本左近代議士は、たとえば医療行政に明るく、それから、おそらく議員を目指してから勉強したであろう税制や、外交、安全保障などについても、知ったかぶりを一切せず、一生懸命に食らいついて勉強を続け、早朝の部会にも必ずフル参加し、実際に良くやっているから、記したのです。
 友だちだから記したのではありませぬ。

▼いま午前1時を過ぎて、夕方に感じた凄まじいストレスはもう消えています。
 さぁ、再び、ウクライナ戦争の無残な現実と向かい合います。

 冒頭の写真は、議員となって2年目の秋、独立講演会が終わったあとの交流です。
 西暦2018年11月、まだ武漢熱が現れる前ですね。
 白いTシャツの後ろ姿が、不肖ぼくです。近くに来ることができなかった、2階席のかたがたにエールを贈っています。
 こんな、湧き立つような連帯があって、責任を投げ出す訳にはいきませんね。





 
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