On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2022-04-04 12:22:24
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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それでも、どこまでも、一緒に考えましょう


( ひとつ前のエントリーで述べた納沙布岬にて、「傘なんかもう、やめよう」とみんなに呼びかけた時です。
 そうです。アメリカの傘ではなく、ぼくらがみずから風雨に立ち向かいましょう。
 そうすれば、自由が生まれる )


ひとつ前のエントリーに記した市民の拷問と虐殺について、ロシアの国営メディアは「遺体は、俳優の演技であり、映像はウクライナと西側が作ったフェイクだ」とロシア国民に向けて、繰り返し報じています。

▼独裁国家では、恐ろしいことに、ごくふつうに見られることです。
 しかし、このウクライナ戦争において、ある意味もっと恐ろしいのは、古代からオリジナルの民主主義を受け継いできた日本において、そのロシアのプロパガンダについて「それも正しいと言ってくれないと、あなたを二度と信じられない」「最低限、ロシアもウクライナも同じだと言わないと、あなたは偽者だ、すくなくとも賢明、誠実ではない」という趣旨のコメントが、実際はもっともっと烈しいものを含めて、毎日、毎夜、やって来ることです。

 このブログへのコメントは、ある程度は、解析ができます。
 これらのコメントは、ロシアや中国、北朝鮮、韓国による工作ではありません。そうしたものは別途、大量にあります。それと分かります。
 これらは、ごくふつうの同胞です。
 ぼくは深く、救いなく、鬱屈します。

 それでも、どこまでも、一緒に考えます。

 独裁主義国家の古くからの得意技であるプロパガンダ、人心への食い込みにこそ、共に一致点を探して対峙しないと、いつかウクライナの惨劇が日本に起きます。





 
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