On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2022-10-24 01:08:41
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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この深夜に起きた、命が一瞬、縮みそうになった ( ちと大袈裟 ) 出来事  そして、みなさんからの回答から生まれた深い感謝と敬意



▼日付が変わって、1時間とすこしが経ちました。
 きのう10月23日の日曜は、拉致被害者の救出のための国民集会に参加して、夕刻に帰宅。
 そして夜、安全保障3文書の改定をめぐって仕事をしているとき、すこし疲れを感じて、ふと、「夜想交叉路」が読みたくなりました。

 そうです、自分自身が書いた物語です。
 そしてあと1か月足らずで新刊書として世に出ます。
 それを、自分で読みたくなるのか。

 なります。ぼくの場合は。
 他の書き手は、ちょっと分かりません、と言うか、存じあげません。
 しかし、ぼくは偶 ( たま ) に、読みます。ただし断片だけです。通して読む気にはとてもなれません。

 もしも、書いたものが日記だったら、おそらく断片であっても読み返さないと思います。
 日記とは違って、本を出すために書いた原稿は、物語 ( フィクション ) であれノンフィクションであれ、ひとさまに読まれることを前提に書いているので、自分を突き放して書きます。
 むしろ、どれくらい自分を突き放して客観的になれるかが、勝負の分かれ目です。
 したがって、出来上がった作品は、断片ぐらいならおのれ自身でも読む気がするまでには客観性、普遍性のあるものになっている・・・はずでアリマス。

▼しかしこの時、つまり安全保障関連の公務を致しているとき、自宅ではなかったので、ゲラがありません。
( 肉筆で手を入れたゲラは、編集者に渡すほか、自分でもコピーか原本を保存します )
 モバイルパソコンは常に手元に持っているので、そこにある原稿を、ちらりと見たのです。

 すると !
 なんと、物語のなかで一箇所、ひらがなが一字、抜けているのです。「ま」という一字です。

 大事件です。
 ぼくの原稿は4度のゲラ直しを経て、今、印刷と製本の作業に入っているはずです。
 直しが間に合うとも思えませんが、座視するわけにもいきません。
 すこし考えた上で、あえて、担当の編集者である、扶桑社の田中享編集長に電話しました。

 田中さんは深夜にもかかわらず、ふつうに電話に出てくださいました。
 日曜なので自宅にいらしたようでしたが、幸いにも、ゲラを手元にお持ちだったので、確認してもらいました。
 ぼくの声は切羽詰まっていたと思います。
 そして・・・なんと、ゲラではちゃんと「ま」があるとのことです。

「あぁ、それでぼくも、何度ゲラを見直しても、間違いがあると思わなかったのですね。
 原稿を書いた本人に言わずに、ゲラ ( 仮印刷 ) にするときに、直すことってあるのですか ?」

「それは実は、あります。あまりにも明らかな、単純な間違いと分かるときだけですね。
 他はすべて、著者に相談しますが、明白な間違いのときは直して、ゲラにします」

「なるほど。
 あ~あ、安心しました。そして、ご迷惑をかけました」

▼なんでもないことですが、ぼく自身も深く納得できる作品、その出版なので、「ま」が抜けたまま初版が世に出てしまうのかと思ったときには、おのれの頭を殴りたい心境でした。
 やれやれ。

▼ところで、このエントリーにて、サイン会を開くと、拙著から装丁も帯も取って裸の状態で本を持ってこられる人が稀にいらっしゃるという話を書きました。
 すると、びっくりするぐらい沢山のひとから「それは、むしろ装丁と帯を大切に保存したいからです」という趣旨の共通するコメントがありました。
 これは、嬉しいですね。

 ぼく自身、小学生と中学生の時代、いちばん数多く本を読んでいた時代、実際もの凄い数の本を読んでいたころは、確かに、単行本は装丁と帯を外して、読みましたね。
 ただ、お金が無いですから、文庫本の方が多かったです。そして当時の文庫本の大半は、装丁も帯もありませんでした。いわば最初から裸です。
 だから、単行本は自分も装丁と帯を保管してから読んでいたことは、忘れていました。

 ちなみに、子供の頃から、本は著者のためにも買って、読んだあとも古本屋さんに売らずに自分の手元に敬意を込めて、また心の歴史としても、置いておくことにしていました。
 そのときは、ぼくも、装丁と帯を丁寧に元に戻していましたね。

( 図書館のたいせつな意義や、図書館を利用なさるみなさんの熱意や、あるいは古本屋さんに本を売って、次の本を買う資金をつくられるような熱心な読者を、なにか否定しているのでは全くありませぬ。
 物言えば唇寒し、その傾向が強まるばかりの世の中ですが、なるべくありのままに語りたいので、おのれなりの本との関わり方を正直に記しました。
 ぼく自身も、学術研究や調査研究などで図書館を積極的に利用します。また神田の古本屋街も歩きます。図書館も、古本屋さんも、それぞれの人の多様な理由、目的で欠かせない存在ですね。
 上記は、ぼくと本の個人的な関わり方のメインという意味です )

▼みなさんが、装丁と帯も大切にしてくださっていると分かって、深い感謝と敬意の気持ちを感じています。
 写真は、その帯をちょっとアップ気味にしてみました。 ( 装丁と帯のゲラです。本はまだ、見本も届いていません。見本の本が届いたらすぐ、このブログでお見せします )

▼予約してくださるみなさんにも、別次元の感謝と敬意を申します。
 本は、読んでくれるひとが居て初めて、本になれますから、たいへんな感謝です。
 そして、この時代に物語を待望なさることそのものへの、敬意です。
( 予約は例えばここです )

※ なお、冒頭に記した拉致被害者の救出のための集会については、別のエントリーで記します。


 
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