2023-01-01 22:11:38
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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【書き足しました】 毅然と、この変化の年に臨みます みなさま、明けましておめでとうございます
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▼わたしたちの海上自衛隊の潜水艦で、艦内から艦橋に登り、日本の海を望んだ時を、下から自衛官が知らないうちに撮ってくださいました。
潜水艦の艦橋は、丸い地球の水平線をなるべく遠くまで見通すために、非常に高いです。潜水艦を初めて訪ねた人は、艦橋の頂点に開いている入り口から真下の艦内を見おろすと、その高さに息を呑むと思います。
潜水艦は、最高度の防衛機密の固まりです。そのために正確に言うのは控えますが、ビルの数階分あります。
そこで自衛隊内の規則通りに、身体に落下時に守ってくれる防具を付けています。
不肖わたしは意気揚々とラダーを登り、海洋資源調査で見慣れたはずの日本の海を、新しい気持ちで見ることができました。
新年にあたり、海上自衛隊との長年の連携に感謝しつつ、この時の気持ちを思い出しています。
このときのことは、潜水艦隊幕僚長の三木伸介海将補 ( 国際社会では海軍少将 / 当時 ) と、潜水艦「やえしお」の藤田泰三・二等海佐 ( 海軍中佐 / 当時 ) をはじめ艦の搭乗員すべてに、いまも深く感謝しています。
▼これは、民間の専門家時代の写真ですが、昨年末からおのれを振り返ってつくづく思うのは、民間時代と国会議員の今、主張も行動も生き方も、なにひとつ変わっていないことです。
民間人から議員となって、自由を喪いました。
それは非常に苦しいことです。
しかし一方で、わたしは、おそらくイメージとはすこし違って、ずっと組織の中で生きることを選んできました。
大学を卒業して共同通信に入り、18年9か月のあいだ組織のなかで記者を務め、三菱総合研究所 ( 三菱総研 ) に移って研究員、そこから自立したけれども、新しい組織として独立総合研究所 ( 独研 ) の創業社長を務め、それを辞して今、国会と自由民主党という組織のなかで公務を務めています。
共同通信を辞めるとき、三菱総研を辞めるとき、いずれも、作家として生活できる見通しは無くは無かったですから、自由業の作家専業になることは考えました。
それでも、あえて組織の中で生きることを選んだのです。
なぜか。
おのれだけ自由という、一種の特権階級になりたくなかったから。
だから、日本の国会議員があまりにも束縛が多いという現実と格闘しているだけで、実は、不自由ということに充分、耐性はあります。
たとえば、国会の会期中は、原則、海外渡航禁止です。政務官や副大臣、大臣なら、公務の海外出張があります。しかし政府に入らないわたしは、国会が閉じないと身動きが取れません。海外の人脈が、どうやっても、細っていきます。
だから、4日後の1月5日に海外出張に出て、9日の夜に帰宅すると、翌10日の早朝に再び出発して、通常国会が始まるまでの1月下旬まで長期の海外出張に出ます。
前者は、議員連盟の出張ですが、後者は、完全に自主的に、世界の原発と原子力の防護当局、規制当局を回ります。ウクライナのザポリッジャ原発がロシア軍の攻撃を受けるという未曾有の事態に、日本の原発の防護を考え直すために、自費で、回ってくるのです。
ウィーンのIAEA ( 国際原子力機関 ) を訪ねて、実際にザポリッジャ原発が攻撃されているときに調査した担当官らと、専門家として議論も行います。
こうやって、束縛とも戦います。
上述の海外出張でいえば、費用負担は、内心で顔が青ざめる心境です。
献金ゼロ、パーティゼロ、団体支援は拒否、後援会もナシですから、みずからの筆一本で稼ぐほかありませぬ。
もしもみなさんが、新しい小説の「夜想交叉路」 ( たとえばここ ) を読んでくだされば、それがわたしの生活費ではなく、国益のための海外出張の費用になるわけです。
それから、世論から受ける束縛・・・これは世界の民主主義国の議員には共通することです。問題ありませぬ。
▼年末となった先日、昨秋の総選挙で初当選して護る会 ( 日本の尊厳と国益を護る会 ) メンバーとなった元F1パイロットの山本左近代議士と、わたしの車で走りながら話していて、彼が「国会議員は、ほんとうに自由が無いですねぇ」と語り、ふたりは「そのなかでこそ戦おう」と意見が一致しました。
左近ちゃんは、単に世界最高峰のドライバーのひとりというだけではなく、ヨーロッパをF3時代から転戦し、チームワークを身体で学び、何も見えない雨の富士スピードウェイを時速300キロを超えて疾走し恐怖と戦いながら、たくさんのポテンシャル ( 潜在能力 ) を身に付けている人材だと思います。
このとき、同じく護る会メンバーの、人柄が誠実な大岡敏孝代議士も一緒で、クルマとスキーが好きで、それを楽しむ時間もなかなか無い仲間として、国益第一で生きることを確認したのでした。
▼護る会は、自由民主党の衆参両院議員83人を擁する、大議員集団となりました。
山田宏・護る会幹事長、鬼木誠・護る会副代表、長尾敬・護る会前副代表、高木啓・護る会事務局長、それに護る会代表の不肖わたしの数人と歩き始めたとき、わずか3年半で、ここまで成長するとは夢にも考えていませんでした。
組織として入会を勧誘したことはただの一度も無いのですから。
たとえば、いま現職閣僚も3人 ( 高市経済安保担当相、齋藤法務相、渡辺復興担当相 ) いらっしゃいますが、いずれもご自分から「入会したい」と言ってこられました。
お金は1円も動かず、ポストの配分もせず、それでこれだけ自然に集まるのです。
自由民主党を中から変えると宣言している護る会は、苦闘の連続ではありますが、日本のまつりごと ( 政 ) の新しい力であることは間違いありません。
この新しい年、日本のオリジナル・カレンダーの皇紀で紀元2683年、意義深い伝統である元号では令和5年、国際社会の共通カレンダーの西暦で2023年は、恐ろしい1年だった昨年に芽吹いた変化が、どこまで拡大するか分からない年になるでしょう。
▼年末年始は、日本の国会が閉じているだけではなく、世界も、ほんの短いあいだでも休止に近くなります。
作家としてのわたしには、これほど原稿執筆に良い時間は無いはずです。
ところが今年は、隣国に侵略して目を覆う非道の行為を働き続けているロシア軍が、大晦日も、元日も、ウクライナのふつうの庶民を理由なく殺害することを続けています。
その非現実的な現実と、原稿と、なんとかクルマやスキーにちょっとだけでも、カケラだけでも触りたいということが合わさって、なかなかみなさんに年末のご挨拶も、謹賀新年も申しあげることができませんでした。
お詫びします。
遅ればせながら、元日の夜に、新年を寿ぎ、みなさんにどうか平安がありますように、わたしもみなさんのためにこそ戦い続けますと、申しあげます。
このブログに、とても沢山の新年のご挨拶をいただいています。
すべて、こゝろに染みて、拝読しています。
新年早々、みなさんに勇気づけられています。
新しい年の、感謝初めです。
魂から、ありがとうございます。