On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2023-01-13 12:25:26
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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ありのままに申して、非常に日本の国益に資する議論、世界の安全にも強力に役立つ議論になっています





▼いま、オーストリアの首都ウィーンで夜明け前です。現地時間1月13日金曜の午前4時25分。日本では、同じ日のお昼ですね。
 みなさん、美味しい日本のランチを食べていますか ?

▼きのうは、スウェーデンの首都ストックホルムで、まず早朝に、長い知友で温厚・篤実なフランス語の達人、能化 ( のうけ ) 駐スウェーデン特命全権大使と情報交換し、そこからスウェーデンの原子力規制・防護当局であるSSMへ行き、議論。
 そして何も見ずに、空港へ向かって、オーストリアの首都ウイーンへ飛び、ウィーンを経由して、ドイツのボン ( 西ドイツ時代の首都 ) へさらに飛びました。

▼写真は、そのボンです。
 久しぶりに、ドイツ連邦政府の原子力規制・防護当局を訪ね、すっかり綺麗にリニューアルされた広大な連邦ビルの一室で、担当官ふたりと長時間たっぷり、たがいのこころを開いて議論し、極めて高度な機密情報を交換しました。

▼ぼくがこのドイツ当局で、前に深い議論を重ねた博士は、もう引退され、魚釣りの日々です。



▼たとえばこの写真はもう、21年も前、前年の911同時多発テロを受けて、新しい原発防護を話し合ったときです。
 ぼくはもちろん、民間の専門家です。
 この博士とは、その後も議論を続けました。
 この写真は、初対面のときでした。

 きのう、上の写真のふたりにこれを見せました。
 ふたりとも、ほおー、あなたは長い実績ですねと感心してくれましたが、この博士とは会ったことがないそうです。





▼この比較的に若い担当官ふたり、若くてもいずれも幹部職にあるエリート担当官たちとは、初対面です。
 しかし、初対面だろうが20年来の友だちだろうが、あっという間に打ち解けて、たがいの心の底まで覗きあうようになり、だからこそ、本来は門外不出のその国の機密情報がその場で入り、そしてぼくは、機密取扱のルールを永遠に守り抜き、信頼関係がずっと続く。

 これが不肖ながらぼくの、海外出張のノウハウです。どこの国の誰が相手でも必ず、起きることです。
「こうありたい」という理想論や、願いを述べているのではありませぬ。
 現実にいつも、今回も確実に、実現していることです。

 今年はこのブログで、昨年までよりもっと遠慮なく、事実を書くと決めました。
 だから上記も、ありのままに記しました。



▼写真手前のメガネのナイスガイは、物理学の博士です。・
 話し始めた最初から、『あぁ、このひとはおそらく、物理学をいわば勉強したことは無いだろうな。勉強しなくても自然に頭や躯に物理が入っているんだろう』と感じました。

 実はぼくも、文学や英語をいわば勉強したことがありません。
 たとえば大学で、国文学などはやらないと小学生の頃から勝手に、親にも先生にも友だちにも言わずに決めていました。
 なぜか。
 文学については、勉強、研究して論ずる立場ではなく、おのれで書いて論ぜられる、批判されたり理解されたりする立場になる、それを、子ども心に予感していたからです。
 一方、英語は、こうやって世界を回っているうちに、自然に体内に入り、口をついて自由に出るようになりました。

 だからきのう、この物理学博士とは、ある意味で同じタイプだと感じて、最初から親しみやすかったです。
 物理学と文学、まったく違う分野のふたりが、同じPP(核防護)の分野で9千キロほど離れている距離を乗り越えて親しく話し合う。
 世界と人生は面白いです。

▼写真奥のもうひとりのひとは、英語力がドイツ人としては抜群で、それもあって話がすべて具体的、超精確です。
 聞いていて気持ちがいい。
 しかも、穏やかな紳士なのにどんどん熱情が噴き出してくるのです。

 原発を全廃するかしないかで揺れ続けるドイツ・・・そのうえウクライナ戦争で、ロシア産の天然ガスによる火力発電に依存している現実が露呈し、再生可能エネルギーだけでは日本と同じく高度な工業力を維持できずに苦しんでいるさなかにあって、福島の悲惨な事故から学んで原子力ルネサンスをやろうとする、その秘めた熱い気持ちが、はっきりと伝わってきました。

 ふたりとすっかり仲良くなって、今度は日本で、お寿司を食べようと固く約束しました。
 そのときはもちろん、独研 ( 独立総合研究所 ) の誇る、公平な明るい人柄にしてネイティヴな英語力のヘイワース美奈研究員 ( ふつうの日本人、日本国民です。ご主人がアメリカの音楽家、ドラマー ) も一緒です。



▼さて、そのボンでの議論の爽快感のまま、ライン川をあとにして、またまた空港へ向かいました。
 ライン川は、不思議な懐かしさのある大河です。

▼今度は空港と言っても、ボンの地元空港では無く、長駆、フランクフルトの空港へ向かいました。
 フランクフルトからなんと、またウィーンに戻ったのです。

 ぼくの強行軍の日程をもう一度、ふりかえると・・・1月5日から、ハワイ議連の出張で真珠湾の記念館やアメリカ軍のインド太平軍司令部を訪れて9日の夜に帰宅、翌10日の早朝に自宅発で、自主・自費による原子力防護の調査の出張に出発し、まずは15時間をかけてロンドンへ飛びました。

 そのロンドンから待ち時間込みで5時間をかけて、ストックホルムに入ろうとして、いったん入国を不当にも拒否され、自力で突破して、真夜中にスウェーデンに入国。
 翌朝に、前掲の記者時代からの友だち、能化ちゃんこと能化スウェーデン特命全権大使と情報交換し、ストックホルムでスウェーデン政府の原子力規制・防護当局SSMと議論。
 そのストックホルムから、ウイーンを経由して、ボンに飛んだら、ぼくの荷物が経由地のウイーンで飛行機に載らず姿を消す。

 その夜は、荷物が無いまま、ほぼ裸で明かし、翌朝、着の身着のまま、このエントリーの写真のボンでの議論に臨んだのです。
 この議論を終えて、ライン川沿いのホテルへ戻ると、ウイーンの日本代表部のみなさんと、ヘイワース美奈研究員の素晴らしい努力のおかげで、荷物がホテルへ届きました。
 みなさん、こゝろから、ありがとう。

 その甦った大きな荷物と一緒にボンを出て、今度は同じドイツの上掲のフランクフルト空港へ向かい、フランクフルト空港内で、今回の出張で初めてまともに食事をとり、再びウィーンへ向かい、いまウィーンのホテルで仕事をしながら夜明けを迎えようとしているのです。

▼はっきり言って、むちゃくちゃです。強行軍にもほどがあります。
 ただし、民間の専門家時代からいつもこんな感じです。

 一生懸命についてくる、ヘイワース美奈研究員はほんとうに偉いと思います。何というか、覚悟が違いますね。
 国のためにやるんだという決意の固さをありありと感じます。

 ぼくは今、国会議員でもあるんだから、当たり前のことをしているだけです。
 ヘイワース美奈研究員は、ぼくが独立総合研究所の代表取締役社長・兼・首席研究員の時代から社員でした。
 きのう、ふと、「つくづく、議員は社長時代も今も、変わりませんねぇ」、「国会議員になったら、もうちょっと、エラそうにしてもいいのに・・・それをしないから、リラックスできていいです」という趣旨のことを何度か言っていました。
 ぼくにすれば、変わる理由がありません。
 わはは。

▼さて、夜が明ければ、いよいよ国際原子力機関、あのIAEAの本部に乗り込みます。
 IAEAのトップであるグロッシー事務局長、それからIAEAのナンバー2であり核セキュリティ部門のトップであるエヴラール事務次長と、それぞれ個別に会って議論します。

 このふたりはいずれも、ロシア軍の攻撃を受けている最中のザポリージャ原発 ( ウクライナ ) へ突入して調査し、今や世界の有名人です。
 特に、グロッシー事務局長は超多忙で、よくまぁ、会ってくれるなと思います。

 どんなトラブルがあっても、こうやって任務の中身が素晴らしく充実していれば、みなさんに、日本の主人公である主権者のあなたに、顔向けができます。

▼帰国後、水面下交渉のほんとうの様子をみなさんと共有する場、独立講演会 ( ここ ) で逢いましょう。
 それから、渾身の小説、「夜想交叉路」 ( たとえばここ ) の感想を教えてください。この厳しく烈しい旅程のなかで、それだけが愉しみです。






 
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