2023-01-16 10:48:10
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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恐ろしい強行軍でロンドンに着いたら、ショックが待っていました ふつうには小さなこと ? わたしには痛いショック
▼オーストリアの首都ウィーンのIAEA ( 国際原子力機関 ) 本部では、グロッシー事務局長との正式会談が終わったあと、ふたりだけの小声の会話がなお、続きました。
▼正式会談は、ひとつ前のエントリーの、IAEAの公式カメラマンによる写真にありますように、IAEA側も日本国側も、関係の当局者が同席します。
日本側は、外務省のウィーン代表部の外交官、外務省からIAEAに派遣されている担当官、そして今回の出張で連携している独立総合研究所 ( 独研 ) のヘイワース美奈研究員です。
今回の会談では、同席者の発言はありませんでした。
すべての議論は、日本の国会議員であるわたしと、IAEAのトップであるグロッシーさんの一対一で行いました。
それだけ高度に危機的、そして専門的、さらには国際政治の要素を深く含んだ議論だったと言えます。
▼グロッシーさんは別れを惜しみ、今後の深い連携について、言葉を重ねてくれました。
戦争さなかのウクライナに6度にわたって入っているひとです。
みずからをあえて危険に晒して現場に入ることによって、あのプーチン大統領にも、ゼレンスキー大統領にも、強い発言力、影響力をつくったリーダーであることが、今回の会談でよおく分かりました。
不肖わたしは、福島第一原発が事故のさなかに、日本の専門家が実際にはすこしでも福島から遠ざかろうとしているなかで、いわば逆方向へ、事故の中心に向かい、吉田昌郎所長の許可を得て、福島第一原発の構内に入りました。
そして爆発も起こした原子炉建屋の情況や、津波に襲われた海側の実状、構内の破壊のほんとうの現実をつぶさに調べました。
苦闘する作業員のかたがたと共に、専門家として事故の実態を把握しました。
その後の福島第一原発はすでに安定し、外部から人が入れるようになり、すっかり情況が変わったなかで廃炉に取り組む日々ですから、事故の最中の構内を知る専門家は世界でひとりとなりました。
( 作業員のかたがたは異なる立場で、もちろん現場を深く知悉され、あれから12年目となっても戦い続けておられます。深い敬意をあらためて捧げます。・・・あくまで、客観的な専門家としては事故当時の現場を知るのがひとりしかいない、という意味です )
グロッシーさんは、この事実を知っています。
そしてわたしは、過去に戦地にみたび、入っています。グロッシー事務局長と同じく、丸腰です。
これらすべての目的は、現場を踏む、それです。
グロッシーさんと、そこに深い共感がありました。
これから長く、連携していくことになります。
グロッシーさんが、わたしの大好きなアルゼンチン出身なのも、なにかのご縁です。
グロッシーさんは大の親日家でもあります。日本国民の支持も、わたしから伏してお願いしたいと思います。
▼グロッシー事務局長との会談をすべて終えたあと、IAEA事務次長のエヴラールさんとの会談に臨みました。
事務次長は複数、いらっしゃいます。
原発大国フランス出身のエヴラールさんは、IAEAの「原子力安全・核セキュリティ」担当部門のトップです。
わたしは、国家安全保障をはじめ5つの専門分野がありますが、原子力に関しては、この「核セキュリティ」が専門です。
それはふつうPPと呼びます。
Physical Protection 核物質防護です。
したがって、さらに詳細に踏み込んで、チェルノービリ原発、ザポリージャ原発に、あり得ないはずの軍事攻撃が起きているなかでのPPを議論しました。
▼非常に高度な「秘」の議論であるため、公開情報であるブログで明らかにするようなことは、できませぬ。
ただ・・・再生可能エネルギーをはじめ他のエネルギー源とベストミックスを図りつつ、再生可能エネルギー万能論にも立たず、最善の原子力の平和利用を進めるために、軍事攻撃という、これまでは想定外だった脅威にも立ち向かっていくことでは、いわば魂から、同意しました。
▼このIAEA訪問は、金曜でした。
それが終わると、週末となりました。
一般的には、国際機関も、動きが止まります。
しかし不肖わたしは、前述のように他に複数の専門分野がありますから、暗号化された電話とEメールで、仕事があります。
また日本をはじめ世界各国には時差があります。世界一斉に週末になってくれればいいのですが、そうではないので、あちこちと協議、議論もあります。
それでも滞在しているウィーンで、ほんのわずかな歓びがありました。
それは、シューベルトの生家を訪ねることができたことです。別エントリーでみなさんにお見せします。
▼しかし、あっという間に移動です。
いま英国のロンドンで、1月16日月曜の深夜、午前2時ちょうどです。
きょうの朝8時40分にホテルを出て、イギリスの政府当局者と議論します。
そして議論が終わると、その2時間後にはフランスに向かうのです。
その前に、主権者・国民のみなさんにこうして報告もせねばなりません。
すべて自費・自主の出張であっても、それは変えません。
機械ではなく、にんげんの日程としては、正直申して、むちゃくちゃです。
むちゃくちゃな強行軍なので、ロンドンのホテルは空港直結のホテルです。
ところが、部屋に入ると・・・バスタブ、浴槽がありません。つまり風呂がありません。
海外の安いホテルにある、シャワーしかないというやつです。
▼いったいこのぼく ( わたし、と言うより、ぼくです ) が、どうやって心身のタフネスを維持しているのか。
人間ドックでの体内年齢が32歳と言っても、その32歳でも、ほんとうは壊れるような日程です。
これを乗り切るノウハウは、ふだんの日本での厳しい日々とまったく同じ、仮眠のあとの朝に、熱い風呂に全身を浸して、血を駆けめぐらせることなのです。
体内年齢が若いということは、血管が若いということでもあります。
したがって、浴槽に入れば、その瞬間から、どんどん血管の中を血が走ってくれて、元気になります。甦ります。
これはシャワーでは、ぼくの場合、全くと言っていいほど起きません。
ひとによるのでしょうが、ぼくにはシャワーは効果が無いのです。
ロンドンは辛い、辛い、現場になりそうです。
ま、イラク戦争に入ったときは、浴槽どころか、ホテルと言われていったところは実際は瓦礫の山に近かったです。
ここは、浴室だったらしいところの残骸はありましたが、シャワーもへったくれもありませぬ。水が出ないのですから。
とにかく平たいところを見つけて横になって、仮眠をとっていたら、米陸軍の戦闘ヘリが凄まじい轟音で現れて、破壊されたベランダ越しに強烈なライトを当てて、いまにも機銃掃射をやりそうになりました。
ぼくは怒りを込めて、仁王立ちになり、米語で「わたしは光輝ある天皇陛下の臣民である。せっかく寝ているのに、なにをするんだ」と叫びましたが、もちろん轟音に掻き消されます。
米軍ヘリはしばらくぼくに眩 ( まばゆ ) い光をあててじっとホバリング ( 空中停止 ) し、やがて、腹を見せるように旋回して去っていきました。
ここは先進国の大都市ロンドンだよ、戦火のバクダッドじゃない。
熱い風呂に入りたかったなぁ~ん。
しかし、あのように戦地に居ると思えば、どうにか我慢もできます。
それしかないよ、わははのは。