On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2023-01-16 13:00:27
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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もっと恐ろしいこと



▼音楽の都、ウィーンのシューベルトの生家には、シューベルトのメガネが置いてありました。
 左右とも、レンズに真横のひびが入り、つまりは割れています。

 レプリカかどうかは分かりませんが、シューベルトが掛けていたとき、実際に割れていたそうです。 ( 定説かどうかは分かりません。シューベルトの生涯には、不確かな説も多いです )

 割れたメガネのまま、作曲を続け、報われざるまま夭折 ( ようせつ ) したシューベルトを象徴しているように、思えました。

▼ぼくはシューベルトの交響曲「未完成」が大好きです。いや、好きというレベルではありませぬ。愛しています。
 一部をすでに書いている小説のタイトルも、「未完成」といたしました。

 もしもこの交響曲のタイトルを、シューベルト自身が付けたのなら、絶対に、おのれの小説のタイトルにしません。
 作家の中には、長い時間が過ぎていれば良いとお考えなのか、他の芸術家が付けたタイトルをそのまま自作のタイトルにされる方もいらっしゃいます。
 いつもと同じく、他のひとの生き方には干渉しません。
 ただし、ぼくは、それをしません。

「未完成」は文字通りに未完成です。
 4楽章あるはずの交響曲が、2楽章しかありません。
 だからシューベルトが生きているときには、楽譜の出版もなく、演奏もされていません。
 そのために後世の人々が「未完成」と呼ぶようになったのです。

▼ぼくはこのシューベルトの割れた眼鏡を、悲しく、そして生々しく見ました。
 ひとつには、作家としてのぼくの運命と似ている気もするからです。
 すべてを注いだ新しい小説の「夜想交叉路」も、早くも忘れられつつあると思います。

 たとえば、リアルな書店のネット出店であるここで、すこし前までおおくのひとが読んでくださいました。
 ぼくは腹の底から励まされ、いま真っ最中の苦しい自主出張にも、強い励みになっていたのです。
 しかし・・・止まってしまった気がします。

 そりゃ、そうですよね。
 何の広告も無く、書評も無く、なにもなく、ただこの地味なブログで紹介するだけです。
 この世にそんな物語は無いことになっています。
 ぼくという国会議員はこの世に居ないことになっているのと、ははは、似ています。



▼それでも、読んでくださるひとは居ます。
 この海外出張に連携し、同行している独立総合研究所のヘイワース美奈研究員が、2冊を持ってきてくれました。
「議員と話した女性の読者にサインを頼まれています」ということです。
 ウィーンの夜が明けるまえに、こゝろを込めてサインしました。
 ありがとうございます。うれしいです。

 ぼくの死後、「夜想交叉路」、「わたしは灰猫」、「平成紀」の小説3作は、いつか再評価されて、すこしづつ読まれ続ける、これは実は確信しています。
 作品の革新性や、奥行きが評価され、そのときには「国会議員の書いた小説」という偏見は、もうあまり影響しないでしょう。

 国会議員もなにも、ぼくは、もうほんとうに居ないのですから。
 そしてもちろんぼくは、仮に再評価されても、シューベルトと同じく、それがまったく分かりません。

 魂となって、しつこく覗きに来たりしませんよ。
 そういう性格じゃない。
 
 ロンドンは、朝の4時25分になりました。
 ホテルに風呂が無いので、血がめぐらないまま、英国政府に行くことになります。
 この狭い部屋の壁か、ちいさな机に頭を打ちつけて、頭だけは動くようにして行きますかね。

 苦闘千里。
 苦闘は、ぼくだけじゃない。
 苦しくても戦い続けるみなさん、命が仮にあとわずかでも、それがある限りは、最期まで連帯します。



 
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