On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2023-01-19 16:00:10
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久方ぶりのワシントンDC、その見逃せない変化



▼あっという間にパリを去り、花の都パリと言われたその花を見ることもなく、アメリカ合州国の首都ワシントンDCに着いています。
 ここを客観視すると、今なお、世界政治の動きの中心だと考えざるを得ません。
 そのために、表でも、奥深いところでも、実務の固まりとも言えます。

 諸国の実務者が日常的にぶつかり合う地でありながら、実は隠れた良き観光地でもあります。見所はたくさんあります。みなさんに広く、お薦めです。
 ぼくにも印象に残る場所、ふたたび訪れたい場所は、ずいぶんとあります。たとえば国立墓地です。その正門前には、あの硫黄島の戦いを、勝者であるアメリカから見た巨大な像があります。

 しかし今回、それらの再訪は、叶わぬことです。
 カケラも無理です。
 いま現地時間で、1月19日木曜の午前2時3分。
 まもなく朝になれば、ホテルをもうチェックアウトしてしまって、長旅の重い荷物ごと、アメリカの政府機関 ( 後述 ) へ出発します。
 その政府機関で、高度な守秘義務のある議論が終われば、もう空港へ向かって、ニューヨークへ飛ばねばなりません。

▼ちなみに、ぼくが壊れる前に、トランクが壊れました。
 これだけ頻繁に飛行機の乗り降り、それも国境を越えて、航空会社も次々変わっていれば、こうした事故も起きて不思議はないです。

 ぼく自身は、パリで2夜、連続の徹夜になってしまい、ベッドに入ることすらできなかったのはショックを受けました。しかし壊れません。

 国会が閉じ、ハワイ真珠湾でまず、米軍のインド太平洋軍司令部 ( INDOーPACOM ) の知友、アキリーノ司令官に会い、そこから気温差50度以上のストックホルムに飛び、7か国を回り、通常国会が開会する前夜に帰ってくる。
 一切の日程が自費であるために、動きの具体的な中身を自己決定できます。専門家の端くれとしての知見を、既得権益などに影響されず、活かすことができます。

 しかし同時に、日本の国会議員としての制約を、守らねばなりません。
 国会が閉会中か、特別の場合にしか海外へ出られません。
 政府に入って、政務官や副大臣や閣僚になれば、費用は公費という名の国民負担となります。今回のぼくのような莫大な自己負担は決して生じません。
 また国会の開会中でも必要に応じて海外を訪れる、そのための条件も大きく変わり、政府に入っていない議員ほどの制約はないことは確かです。

 ただし、作家をはじめ自由業と国会議員は両立ができますが、政務官、副大臣になると自由業を続けるためには閣僚の許可が必要です。
 その閣僚は、総理の許可が必要になります。
 つまり時の大臣や総理に左右されます。
 さらに政府内に居て政府批判をすることはできません。これは日本だけではなく、諸国共通のルールです。

 ルールを変えるために動きつつ、現行のルールをまず守って動かないと、ほんとうの発言権は生まれません。
 メディアやネット上で派手な様子を見せても、実際には、何も変えられないのです。
 ちなみに、この苦闘というほかない海外での努力の最中に、巧みに中傷を生み出して広げる発信を重ねている人も居て、それを信じ、影響された書き込みがこのブログに続いています。
 こうして短い時間、ホテルに居て仕事をしているあいだにも、それが届きます。

 ニュージーランドで多くの期待を背負ってきた女性宰相、アーダーンさんが突如、辞職を表明しました。
 詳しい裏事情は聞いていませんし、人さまざまです。
 しかし、お気持ちの拝察はできます。
 やってられっか。
 日本語で表現するなら、そういう気持ちかも知れませんね。
 ただ、善意の国民に非常に上手に、中傷行為をさせる人の狙いは、たとえばぼくが投げ出すことでしょう。
 その手には乗りませぬ。

▼さて、日本国民がほんとうは直面している新しい、ぞっとする危機に立ち向かうために、成果を挙げようとすると、こうした無茶な日程になるのは避けられないところです。

 このワシントンDCでのたった一夜がこのまま明けて、朝が来れば、アメリカ合州国政府のDOE ( エネルギー省 ) に属する、核セキュリティに関するある重要な機関を訪ねます。
 アメリカのエネルギー省は、日本のエネルギー庁と、きわめて残念ながら重みが決定的に違います。
 なぜか。
 ひとつは、核兵器の管理の一端を担っているからであり、ひとつは、自前資源があるからです。
 ぼくは民間の専門家時代から、このDOEを訪問しています。そのときからずっと自費です。

 それが終わると、アメリカの原子力規制当局であるNRC ( 原子力規制委員会 ) に向かいます。
 ここも再訪ですが、今回初めて訪ねる重要な、機密性の高い現場もあります。

 そこからもう、空港です。

▼パリからワシントンDCまでは、大西洋を横断する9時間以上のフライトでした。
 日本から飛ぶよりはもちろん短いけれど、見えない疲労が蓄積している心身には、ちょっとした苦しさのある道程でした。

 そして時差もまた変化します。
 ここワシントンDCに着いて、しばらくしたら、去ったばかりのパリは翌日の朝4時すぎ、ふだん住んでいる東京は翌日のお昼どき、そして今、自分の心身があるワシントンDCは夜が深夜に移り始める22時すぎでした。
 
 もともと、時差の影響をあまり感じない方ですが、たぶん、ぼくの意識しないところで身体は懸命に調整しているのだろうと思います。

▼かつて民間の専門家時代に、たったひとりで海外出張に出ていた当時は、1日1か国という日程が珍しくなかったです。
 毎日、訪問する国が変わり、ついにはチェコの美しい首都プラハでチェコ政府の当局者に「ここは・・・どこでしたっけ」と思わず聞いて、「あなた、大丈夫 ? 」と言われました。
 今回、ほんとうに久しぶりに、その感覚がふと、顔を出します。
 そして当時よりも年齢はずっと上なのに、日程は、はるかに厳しいです。むちゃらくちゃら度が、凄絶にアップしています。

 しかしたった今、ワシントンDCは午前3時を回りましたが、心身の奥から、新しい元気が盛りあがってくるのが分かります。
 支えは、上記のような情報工作があってもなお、みなさんだけです。

▼このエントリーのタイトルに書いたワシントンDCの変化は、次のエントリーで短く書きます。



 
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