2023-01-21 18:28:51
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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その長き旅に報いなし その1
( 写真は、NRC・核規制委員会です。DOE・エネルギー省ではありません。文章を読み進めていただくと、わかります )
▼みなさんに報告しながら強行軍で訪ねてきた七か国、その最後の地のアメリカ合州国は、まずワシントンDCを訪ねました。
米国東部時間の1月19日木曜の朝、仮眠から飛び起きて、最初に、エネルギー省 ( DOE ) に入りました。
日本の原子力規制庁から駐ワシントン日本大使館に出向している、核セキュリティの担当官と、この旅で連携している独立総合研究所 ( 独研 ) のヘイワース美奈研究員が同行です。
▼米国のエネルギー省は、先のエントリーに記したとおり、核兵器の管理の一翼を担い、およそ百年をかけて実用化した自前の新資源のシェールガス、シェールオイルを持ち、また在来型の資源も持っていますから、ありのままに申して日本の資源エネルギー庁とは、すくなくとも現在は、けたの違う有力官庁です。
エネルギー省がその活動の中身を「秘」としたい意思は、アメリカの他の政府組織よりも、強いものをいつも感じます。
ここに入るのも、久しぶりです。
建物そのものが巨大ですが、ただの外観写真を撮るにも許可が要ります。
わたしたちに付き添っているエネルギー省・DOEの担当官の許可を得て、撮りました。
撮りましたが、その写真を公開して良いかどうかは、上に聞いてみるということです。
官庁街にある官庁の外観写真を公開していけないのなら、民主主義と遠ざかるとは思いますが、担当官との約束を破るわけにはいきません。
▼ちなみに、この担当官は人柄の明るいひとです。また、まもなく退職して民間に移るそうです。
すなわち、個人の問題ではありません。
組織としてのDOEの考え方ですね。
このことから、さまざまなことが分かりますが、そのひとつは、アメリカは、エネルギーこそを国家の根幹と考えているからこそ、ここまで厳しいということです。
不肖ぼくは、国際社会を昔から自己負担で歩いてきて、それを知っているから、日本の自前資源についても取り組みを続けています。
エネルギーの自律という根っこ無くして、国家の真の独立はありません。
もしも、この取り組みが実を結んで日本が自前資源を持つ、誇りある国になれば、その成果は、誰か他の人が手を上手に挙げて、その人物や組織のものになるでしょう。
もしも、この取り組みが実を結ばず、日本が自前資源を持つ国にならなければ、その責めはすべて、一切合切、ぼくのせいになるでしょう。
▼別に、淡々と述べています。
これが、ぼくの背負っているものなのです。
命をくださったのも ( 両親と共に ) 天であり、背負うものを決めているのも、天です。
したがって文句を言う、言わないの問題ではありませぬ。
「夜想交叉路」に登場する春子と、同じです。
「夜想交叉路」は、ぼくが国会議員の任務を完遂しつつ命の滴で書きあげた小説ですが、いつもと同じく、一定の読者だけに読まれて、その限られた読者に深く永遠に感謝しつつ、まもなく忘れられるでしょう。
もうすでに、その兆候があります。
「国会議員の書いた小説なんて」という偏見が、やはりこの本を覆っていると考えます。
そして、この作品は、ぼくの死後に甦るでしょう。
ぼくは報われません。
それが天命です。
ワシントンDCから移動したニューヨーク、不夜城の街のはずが、この時間はほぼ真っ暗な夜にみえます。
いまNYは、午前4時50分です。
この街を知るひとほど、暗い夜なんて信じられないでしょうが、事実です。
今いるホテルはNYの中心街にありますが、その位置関係や、窓の向きの関係でしょう。
昏 ( くら ) い夜を見ながら、旅を終えようとする今、静かにこう考えています。
▼さて、おとといのワシントンDCに戻ると、エネルギー省・DOEでは、その一部門である国家核安全保障局 ( NNSA ) と、極めて重要な議論をしました。
内容は秘ですが、すべて、ありのままに日本国政府に渡します。
全額自己負担の出張ですが、その成果は、私 ( わたくし ) しません。
局長は、たおやかな女性です。
日本の官僚主義、官尊民卑とはまるで違って、民間からここへ来て、女性で、局長です。
まなざしに含羞があり、話の内容は毅然としているけれども、民間出身らしい柔軟さがあります。
その左右に居並ぶ、この「核安全保障局」という重荷を背負った国家機関の幹部たちを、やわらかく、かつ妥協なく掌握していることが、会議を通じてありありと、気持ちよく伝わってきました。
話しているうちに、とても気が合ってきたのです。
初対面の人でも気が合うというのは、こういう会議・議論を、日本国と日本の国民の役に立つものにするのは、決定的に重要です。
気が合ったので、別れ際に、楽しい写真をこのヒンダーシュタイン局長と撮りました。
この写真も、上記の担当官が「公開して良いかどうか、上に聞く」とのことです。
▼わたしたちはこの日、ここから長く車に乗って、ワシントンDC郊外にあるNRC(核規制委員会)に向かいました。
このNRCは独立性の高い機関です。
これもまた、久しぶりの訪問です。
かつては変わった形のビルが、いわば田舎に聳え立っていたのが、今はNRCのビルが左右に2棟、新しく建ち、いわば規模が3倍になって見えるのにすこしびっくり。
写真は、そのNRCの幹部です。
議論をしたのは、緊急時に即応して指揮する「NRCオペレーションセンター」だったので、写真は撮れません。
そこから出て、何も機密のない廊下に出て、許可を得て撮り、公開しています。
ここでお会いしたNRC幹部陣のトップも女性の、ガブリラス部長 ( 核セキュリティおよび重大インシデント対応担当部長 ) です。
いつも通り、初対面でも気が合いました。
ただし、冒頭の写真は、部長ではありません。見送りをしていただいた幹部と担当官です。
▼今いるニューヨークはもう、朝の6時10分を過ぎました。
日曜の夜に帰国すると、翌日の月曜朝にはもう国会に登院します。
その翌日の火曜から実に、金曜までずっと、基本朝8時前には自由民主党の本部か国会議事堂に居なければならないカゲキな日程が待っています。
そして28日土曜には、独立講演会@東京で、4時間半立って、志を持って集まってくださるみなさんに、話します。
この海外出張は、1月5日からのハワイ議連 ( 参議院自由民主党日本ハワイ友好議員連盟 ) による米国ハワイ州の真珠湾、米国インド太平洋軍司令部訪問を含めると、実質的に17日間に及びます。
そのあいだの日程も苛烈な強行軍ですが、日本に戻ると直ちに、何の自由時間もない厳しい国会と党務の日程になります。
海外にいるうちに、みなさんに報告しないと、きちんと報告しきれないままになるから、正直、休息や眠りの時間を使って毎日、報告してきました。
しかし今朝も、もう出発時間が迫ってきました。
「その2」以降を、諦めないで書くようにしますから、待っていてくださいね。
報いは無くとも、みなさんだけが、ぼくを支えてくださいます。
次の独立講演会は、神戸です。ここです。募集は、今週の金曜の午後1時で、終わります。