On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2023-08-10 02:34:38
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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【推敲しました】  「国会議員の書いた物語」は今や、呪われる時代・・・なのかなぁ  いや、違う、全責任はわたし自身にある





ひとつ前のエントリーの空は、こんな風に変化していきました。
 それを機窓から見ているうち、民間の専門家時代、想像以上の困難をどうにか超えて硫黄島に初めて入った、その帰路の空が英霊の血の色のように赤かったことも思い出しました。



▼これが、その時の空です。
 手前は、乗っていた小型機の翼です。
 この空から帰って、硫黄島に取り残されたままのおよそ1万人の同胞のご遺骨をふるさとに取り戻すために、表でも、水面下でも、動いてきました。
 安倍総理に話したら、再登板後に思いがけず硫黄島に入ってくださいました。
 もっと驚いたことに、わたしが硫黄島での行動を思わず話したことを覚えておられて、わたしと同じ動作で、英霊を閉じ込めているとみられる滑走路に両手を突いて「必ず故郷に取り返します」と、同じ祈りを捧げてくださったことでした。
 いま何か月も苦吟して未完成のノンフィクションの新作に、その時のことを記しました。

 あれから長い時間が経ちました。思いがけず、国会議員となった今も、滑走路を引き剥がすために努力を続けています。
 こうしたことには気が遠くなるほど時間が掛かるのが、わたしたちの日本の現在でもあります。

▼この硫黄島からの帰りの空の写真は、わたしの本で見たことがあるというひともいらっしゃるでしょう。
 民間の専門家時代に書いた本は、ほんとうに沢山の人が読んでくださいました。
 上掲の写真を載せた「ぼくらの祖国」は、22刷に達し、編集者から「永遠のロングセラーです」という思いがけない言葉もいただきました。

 7年まえの西暦2016年6月、参院選の公示直前に万やむを得ず出馬を覚悟したとき、その同じ編集者から「政治家になったら、本が途端に売れなくなりますよ」と告げられました。
 悪意ではなく、好意からです。ありのままの事実を教えてくれただけです。

 わたしは国会議員にはなりましたが、旧来の政治家にはまったくなっていません。
 献金ゼロ、政治資金集めパーティもゼロ、団体支持お断り、後援会無し、後援会長置かず、地元無し、選挙活動無し、派閥無しというのが、ありのままのわたしですが、そのような議員は、実は世界的にもおそらく居ません。
 しかし編集者の予言あるいは警告の通り、本は売れなくなりました。

「石原慎太郎さんは、政治家と作家を兼業していましたが、作家としてあまり偏見を持たれなかったのでは」と言うと、別の編集者から「あまりにも時代が違います」とぴしゃり、言われました。
 石原さんの参議院初当選は、西暦1968年です。わたしの2016年の初当選より、確かに48年、およそ半世紀も前です。

 それと実は、逆にまつりごと ( 政 ) の世界では最後まで、石原さんは一種のアマチュアとして扱われていました。今では、あまり表に出なくなった事実です。政治記者のときに、それを痛感しました。
 わたしが記者時代に、石原慎太郎代議士をそう扱って取材していたという意味ではなく、他の政治家を取材していたら多くの与野党議員が石原さんをそう扱っていると知った、そういう意味です。
 また、石原慎太郎さんと一度だけ、たまたま軽い食事をご一緒したときには、それをご本人から直に感じました。
 その原因のひとつは、あくまでも作家、それも弟が超人気俳優の石原裕次郎さんということもあってタレント性の強い作家が政治にも進出した人だ、と見られていたことでしょう。

 今、わたしが国会でアマチュアとして扱われているということはないと客観的に考えます。それがあれば、代表を務める議員集団の護る会 ( 日本の尊厳と国益を護る会 ) が当初の5人から自然に88人へ成長することは無かったでしょう。
 むしろ外交・安全保障や危機管理、資源エネルギー、インテリジェンスにおいて専門性のある議員として遇されていることは、初当選からすぐに感じました。
 やはり、複合的な意味で、時代が違うのかも知れません。国会議員の仕事が、ほんとうは変わってきている、専門性が求められる時代になりつつある、ということがあり得ます。

▼前述のように、献金も、パーティ券の売り上げも、団体や後援会からの支援もゼロですから、自費自主による海外出張も、費用は原稿執筆で賄っています。
 国会議員の兼職は認められていますが、最初の選挙中におのれで考えて、シンクタンクの独立総合研究所の代表取締役・兼・首席研究員を辞め、創業者株も全株、無償で返上しました。
 兼業しているのは、物書きであることだけです。

 原稿は今、3種類しかありません。
 ひとつめは、本、単行本です。
 ふたつめは、北國新聞 ( ほっこくしんぶん / 本社・金沢 ) の連載コラムです。連載原稿は、議員になる前は、沢山ありました。議員になった後は、月刊Hanadaの「澄哲録片片」 ( ちょうてつろく・へんぺん ) が打ち切りとなった現在、これだけです。
 みっつめは、会員制レポートの東京コンフィデンシャル・レポート ( TCR / ここ ) です。

 みっつめのレポート執筆は、機密情報や水面下の交渉を、完全会員制でクローズドの会員に精緻に伝えるための文章です。いわば特殊な文章です。文体もその目的に合わせています。
 このレポートは、実に23年4か月も続いています。見出しは無条件で公開しています。関心のあるかたは下掲の青いボタンを押してみてください。

最新レポートはこちら

▼この東京コンフィデンシャル・レポート ( TCR ) はちゃんと続いているわけですね。
 一方、普遍的な原稿である本と、連載は惨憺たるものです。

 後者の連載は、前述の通り、たった1本になっています。ただし、その1本を維持してくれている地方紙の雄、北國新聞には深く感謝しています。短いコラムですが、毎号、力の限りを尽くして書いています。
 北國新聞は、亡き安倍さんの最大の遺産である平和安全法制に賛成した、極めて例外的な新聞です。

 最大の苦しみは、本です。
 ノンフィクションも議員になると、急に読まれなくなりましたが、物語文学、すなわち小説はもっと悲惨です。
 読まれて批判されるのではなく、まったく読まれずに、「政治家の書いた小説なんて」という扱いを、そもそも書店から受けますから、読者に届くはずもありません。ほとんど並べてもらえないですから。

 そうしたなかで、紀伊國屋ウェブストアだけは例外だと思っていました。
 最新の物語である「夜想交叉路」が順調に読まれていき、在庫がいったん無くなりました。
 頼んでも頼んでも、なかなか補充されず、やっと240冊ほど補充され、それも順調に読まれて、在庫が189冊になっていました。
 それが突然、在庫11冊になったのです。
 どなたかが、この物語は面白いから人に配ろうと大量買いをしてくださったのか、それとも、篤志家が支援も込めて買ってくださったのかと、喜んでいました。

 それが、編集者からの申し訳なさそうな連絡で、暗転しました。
 担当の方が、一気に返本なさったそうです。
 これは書店員の方の自由意志ですから、何も言ってはなりませぬし、言いません。

 その、わずかに残された11冊は、あっという間に、6冊になりました。半分ぐらいになったわけですね。興味を持ってくださる方がいらっしゃれば、ここを見てみてください。
 本が売れない時代ですから、悪いペースでは無いと思うのですが、今回も「政治家の書いた小説なんて」ということなのかも知れません。
 しかし覚悟を決めて国会議員になったのは、わたしなのですから、全責任はわたし自身にあります。

 それでも、わたしを励まし続けてくれる編集者は、紀伊國屋ウェブストアと交渉してくれて、少数ながら補充されるようです。
 しかし、それまでの間に在庫がまたしてもゼロになり、読んでくれようとしたひとにも、肩透かしになって、もっと読まれなくなるだろうという予感がします。
   
「国会議員の書く本は基本的に読まれないはずだけど、ノンフィクションはまだマシ。小説なんて論外」ということなのかもしれません。
 思わず、それ、分かると、言いそうになります。
 わはは。



 出版社から、見本で届いたときに撮りました。
 うれしかったな。
 この本の手触り、重さ、紙の色、字の大きさ、そして表表紙、裏表紙。みんな、考えた通りに読者に良さげに実現していると思ったからです。

 本にも命があります。
 短命になるのなら、わたしのせいです。この書に、こゝろから、申し訳なく思っています。





 
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