On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2023-09-05 11:48:59
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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【修正しました】【推敲しました】  聖女のおふたりが捧げられた日本国民への感謝に、思いがけないほど胸を打たれました  みなさんにもこの震えるような気持ちが伝わりますように



▼いまザンビア時間の9月5日火曜日の夜明け前、4時48分です。
 日本は同じ日の昼前ですね。

 きのう9月4日は、サブサハラ ( サハラ砂漠以南のアフリカ ) の烈しい直射日光のもと、日本のODA(政府開発援助)が貢献しているザンビア大学獣医学部、疾病予防を含む医療施設、困難な情況でのお産を含む大型病院などを駆け巡りました。
 現地のJICA関係者が「ザンビアは標高が1300メートルあって、とても高いので、直射日光が余計に強いんです」と仰った通り、なかなかなものです。
 今の日本でも、多くのひとが恐ろしく強くなった直射日光と格闘しています。
 アフリカの乾いた大地の激烈な日差しは、またニュアンスが違い、同じ人間のアフリカ人にとって、受容しなければならない厳しい環境のひとつでしょう。

 そのなかを走り回るのは、たいへんではありますが、フランスの植民地だったアフリカ諸国と違いここはイギリスの植民地だった英語圏なので、大学の幹部教授から医療施設にやってきた庶民まで、直接に話すことができて、とてもやり易いです。
 やり易いだけではなく、たがいに人間としての共感を、短い触れあいでもちょっとびっくりするほど豊かに感じることができます。
 エライ人から学生、病めるひとまで、どんどん話し掛けました。
 険しい表情に見えたのが破顔一笑、みんなにこにこと応じてくれます。
 ザンビア人は、日本が大好きです。

▼この日の日程のひとつに、首都ルサカの郊外にある、障害児のための教育施設がありました。
 そこに辿り着くまでが凄まじい悪路です。
 ぼくはイラク戦争のときバクダッドに入るまでのサッダーム・ハイウエイ ( のちに処刑されたサッダーム・フセイン大統領が造った直線道路 ) が、米軍の爆撃によって縦にうねり、車も内臓も虚空へ飛び出しそうになりながら走ったことを思い出しました。

 いま建設中のこの施設が完成したとき、一体どうやって子供たちが通うのかと心配になりました。
 援助というのは、やはり一筋縄ではいきません。
 施設を造れば済むのではなく、現地のみんながそれを使える、使いこなせる、そして次の世代にも維持できるようにせねばなりません。

 荒涼とした景色のまんなかで、手作業で建設中の現場に入ると、ふたりのカトリック修道女が迎えてくれました。
 ヒンズーの国インドから、少数派のキリスト教の修道女が、ここで、ザンビアの目の不自由な子供たち、耳の不自由な子供たちに教えることになるのです。

 写真は、同行してくださった在ザンビア日本大使館の冷静で静かに明るい小沢さんと、修道女ふたりです。
 ぼくは中高がカトリックのミッション・スクールでした。淳心学院です。母と姉がプロテスタント、父が曹洞宗、ぼくが世界の神々がみな好きな子供、それでカトリックの学校に通うという変な具合でしたが、カトリックの世界はだから、それなりに理解しています。良きところも、受け容れられない悪しきところも、知っているという意味です。

 修道女と話していると、おふたりの、この世に恵まれずに生まれた子供たちへの、海より深い献身がありありと伝わってきました。
 形のない魂が、まるでリアルな手触りのように、伝わってきます。
 澄み切っていながら少しも冷たくはなく、温かい人肌のような感覚のままこちらに届くのです。

 おふたりは日本への感謝を何度も何度も語られました。
 ここは、日本だけではなくインドも援助して、建設されています。
 ザンビアでは、日本のODAで造られた施設、置かれた設備にすべて、日本の人々から援助された、という意味の英文プレートが付けられています。
 日本から、ではなく、日本の人々からと明記されているのです。
 日本はかつて中国にも大規模なODAを贈りました。ぼくの知る限り、こんなプレートは、見たことがありません。わずかに目にしたのは、誰にも分からないような場所の、ちいさな日の丸でした。汚れたままで、中国の善意ある庶民にも分からないままになっています。
 ここザンビアでは、たとえば病院の高い給水塔の最上部に、ザンビア国旗と並んで日章旗が大きく描かれています。病院の若手幹部がわたしに、「あれでザンビア人がみんな、日本を覚えるのですよ」と語りかけてきました。
 
 修道女おふたりは、2年に一度だけ、母国インドに帰るそうです。
 おふたりに「ヒンズーの国インドで、よく家族がここへ送り出してくれましたね」と尋ねると、若いひとりが「両親がカトリックなので、私もキリスト教に馴染んで育ったんです。両親も、ここで献身することに賛成してくれました」と澄んだまなざしで、ぼくの目を覗き込むように、答えてくれました。




▼もうひとりの議員は、先輩の参議院議員で今回の団長である、舞立昇治さんです。
 実はこの「参議院のODA特別委員会からサブサハラに派遣されて
ODAの実情と課題を調査する」という出張は、サブサハラの厳しさを敬遠されてか、行く議員がぼくひとりしか居らず、ひとりでは挙行できないので、複数の班がある今年度のODA調査派遣のうちアフリカだけが皆無になる情勢だったのです。

 そこへ舞立さんが別の委員会から手を挙げてくださって、ぎりぎり成立しました。
 派遣成立の恩人です。
 総務省出身の舞立議員は、国内課題に徹する行政官の生活を送ってきたそうです。そこへいきなりこの厳しい海外というのは、大変だと思いますが、穏やかに、しかし毅然と、団長の責務を果たされています。
 当選回数がぼくより上ですから、慣例の通りに、団長でいらっしゃいます。たったふたりの派遣団、参議院の事務当局のおふたりを入れても、4人の派遣団なのですが、団長のさりげない威厳はたいせつです。


▼もう朝の5時半を過ぎました。
 あとわずかな時間で、ザンビアの閣僚との会談に出発せねばなりません。
 そのあと次の訪問地へ向かいますから、荷物のパッキングも大急ぎで必要です。

 大学や医療施設で交わした議論は、いずれあきらかにする機会があるでしょう。
 みなさん、日本の国民による貢献は、こうやってアフリカの茶色い大地で、聖女のおふたりに人知れず、深い感謝と愛を捧げられているのです。

▼出発前に無理を押して収録した「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」がどんどんアップされています。
 この動画は、ぼくからみなさんへの感謝と祖国愛です。視聴が2億数千万回になっていてもスポンサー料は1円も受け取っていません。
 最新分は2本です。
 まず、プーチン大統領に失脚の危機だけではなく暗殺危機が迫ることを解析しています。これです。
 そして拉致事件をめぐって個人攻撃ではなく、そして憤怒を抑えに抑えつつ、当局者が無意識に浮かべてしまう「薄ら笑い」を告発しています。これです。

 若い日本男子、日本女子の学生インターンが連携してくれて収録しているショート動画は、ここに最新分からずらり並べています。視聴には、20秒から30秒ほどしか掛かりません。
 



 

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