On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2023-12-02 03:45:17
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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マサカ・・・「咲音はその後どうしたのか」、「灰猫さんはどうなった」、「少年運転士は ? 」の問いに答える時が来るとは思いませんでした


▼世は週末となりました。
 みなさん、できれば寛いでくださいね。週末も、あるいは週末にこそ仕事というひと以外は、リラックスしてほしいなぁと思います、いつも。

 わたしは原稿です。
 土日は原則として国会の日程が無く、党の部会や議連もありません。ふつう、国会議員は週末に地元へ戻って選挙活動をするからです。
 わたしは地元をつくらないので、原稿です。公務日程が無いと、みなさんと同じく寛いで、原稿を書けるのでうれしいです。

▼この12月後半と、新年の1月前半、つまり国会が閉じているあいだに、ふたたび日本のインフラストラクチャ ( 社会の基盤になる施設 ) をテロリズムと軍事攻撃から護るための海外出張に出ます。
 国会が閉じているあいだは短いので、凄絶なる強行軍にて、諸国を回ります。
 諸国の軍や治安機関、政府と英語で直に議論し、原子力発電所などの現場を訪ねます。
 費用もたいへん掛かります。

 その費用は自分で出します。
 得た情報はひとつ残らず、日本政府に渡しますが、自主的な出張なので政府からは費用が1円も出ません。
 わたしは政府に対しても真正面から言うべきを言うために、政府入りしていないので、当然です。 ( これも当然ながら、総裁選に勝って、立場がアレになれば、変わります )

 そして、派閥や準派閥のグループに一切、属していないので、「派閥のパーティの券を売れ」というノルマが無い代わりに、ノルマを超えた分のキックバック・マネーもありませぬ。わはは。
 ご存じのように、自分でパーティを開くことも無く、献金無く、団体の支えもありませんから、12月と1月の海外出張も自腹です。
 したがって、週末だろうが真夜中なんだろうが、原稿を書くのであります。

▼さて、冒頭の写真です。
 実はこれ、かなり珍しいものです。
 文庫本の表紙の初校ゲラですね。つまり、単行本が文庫本になることが決まり、その表紙カバーの最初の案を、編集者がわたしに送ってきてくれたのです。
 許可を得て、アップします。 

 職業作家と編集者にとっては、珍しくない・・・と言いたいところですが、作家は、表紙カバーのゲラチェックまでする人は少ないと思います。
 わたしは、原稿を書くだけではなく、表紙、背表紙、裏表紙のデザインの原案もすべて、自分でやるので、こうして送ってきてくれます。

▼まず、予想していない、ちょっと意外なことが起きたのです。小説第2作の「わたしは灰猫」を文庫本にしたいという連絡が、版元の扶桑社から来ました。
 いつだったか、ずいぶんと前です。3か月ぐらいかな、もっと経っているかなぁ。

 写真は、あくまで仮の表紙案です。
 特に、ペケが付いているところや、アタリと書いてあるところ、それから0000円になっている価格、それらはすべて仮置きしているだけで、実際とは違います。

 普通こういう仮置きが世に出ることはないので、大したことはないけど、珍しいと思ってくださるかな ?

▼しかし、そのあとに、もっと珍しいことが起きたのです。
 タイトルが変わってしまいました。
 その新タイトルが入った、今度は最終の表紙案のゲラを見てください。

 ちなみに、初校 → いきなり最終案ではありません。
 何段階かを経て、最終案になるのですが、今回は単行本の表紙デザインが、わたしが撮った写真を使っていることもあって、デザインそのものはそんなに大きく変わっていません。
 しかしタイトルが変わるというのは、本の表紙にとって決定的なことです。
 ・・・良く考えたら、わたしという作家は、単行本が文庫本や新書になるとき、実はすべて、タイトルも変えて本の内容も大きく書き換え、書き加えています。
 だってね、読者のみなさんの立場になると、単行本と同じ表紙、同じタイトル、同じ文章なら、文庫本や新書になったというだけで買うのは、おカネがもったいないですよね。
( ただし、もしも将来、小説第3作の「夜想交叉路」が文庫本になる時が来たら、タイトルだけは変えないかも知れませぬ )



▼「そして、灰猫とわたし」という妙なサブタイトルが新たに付いているのは、なぜか。

 それは、作者のわたしが、登場人物・・・咲音や、灰猫さんや、少年運転士がその後どうなったのか、何をしたのかを書き起こして、それを文庫本だけのエピローグとして付けたからです。

 つまり、メインタイトル ( 単行本の元々のタイトル ) の「わたしは灰猫」の「わたし」は、灰猫さん。
 新しいサブタイトルである「灰猫とわたし」の「わたし」は、咲音です。

▼「わたしは灰猫」は、作者としては、これまでの小説の概念を打ち破る作品として仕上げました。
 試みのひとつは、肉体の動き、生命の所作としての躰の動きと変化を、文章で表現しようとしたことです。
 従来にない試みであることは確かでしたから、18年と4か月もの時間を、完成までに要しました。

▼わたしが、いわば『同時進行型の作家』であることも、これだけの長時間を一作の完成に要することに深く関係しています。
 慶應義塾大学の文学部を中退し、早稲田大学の政治経済学部経済学科に入り直して卒業し、共同通信社の記者になりました。
 記者を務めている18年9か月は、記者専業でした。
「わたしは灰猫」の完成に費やしたのと同じ18年で紛らわしいけど、記者の18年9か月は、まったくのサラリーマン生活です。
 だから専業でいることを、みずからに課していました。
 共同通信にそれを強いられたわけではありません。尊敬していた先輩記者のなかに、本を書いて、それだけじゃなく、出版記念パーティまでやってそこに政治家を呼んでいる人が居ました。
 ぼくは、そういうことはしたくないと、秘かに考えていました。

▼共同通信を辞め、三菱総研の研究員に転身したとき、サラリーマンであることに変わりは無かったけど、自由度は遙かに増しました。
 そこで職業作家としてもスタートすることを決心し、小説「夜想交叉路」 ( 旧作 ) が文學界新人賞の最終候補作になりました。結果は落選。この会の文學界新人賞は当選作無しに終わりました。
 作家としては、ノンフィクションにも着手し、ここでもフィクション ( 小説 ) とノンフィクションの同時進行型になりました。
 そしてテレビ番組からオファーがあり、参加するようになりました。最初のオファーはテレ朝の「TVタックル」です。そして、関テレの「スーパーニュース・アンカー」では、ひとりで長時間のニュース分析をするようになりました。
 しかし本業は、三菱総研の研究員であり、やがて独立総合研究所(独研)の代表取締役社長・兼・首席研究員になり、あくまで作家も、テレビ番組参加も、副業だったのです。

「わたしは灰猫」を書くのに費やした18年4か月は、本業のスキマ時間に、書いては直し、直しては書きの日々でした。

▼前述したように、ノンフィクションの単行本が新書になるとき、徹底的に全文を見直し、書き直し、そして書き加えます。
 それは読者のことを考えて、だけではありません。
 世界も日本も、単行本を出した当時とは、大きく変わっていることも理由です。
 世は本に連れ、本は世に連れ、ですね。

 では小説の単行本が文庫本になる時は書き直さないか。
 いいえ。
 小説第1作の「平成」の単行本 ( 文藝春秋社刊 ) が文庫本 ( 幻冬舎文庫 ) になるとき、一字一句すべてを見直し、書き直し、さらにタイトルも「平成紀」と変えました。

 しかし・・・「わたしは灰猫」は、売れる売れないには関係なく、書き手のおのれとしては、あまりに完成度が高く書き直すことのできないものでした。
 読んでくださった方々からは、このエントリーのタイトルの通り、登場人物のその後を尋ねるコメントが、驚くほど沢山、このブログに来ました。
 うれしくもあり、同時に、『いえ、この小説は、余韻がいちばん大切ですから、登場人物のその後については書きません』と考えていました。

▼18年4か月かけて書いているうちに、わたしは思いがけず、国会議員にならざるを得なくなりました。
 すると書店も、わたしがこゝろに秘かに敬愛している書店員さんたちも、「政治家の書いた本」としてか、わたしの著作を見なくなりました。
 全書店じゃないし、全書店員じゃない ?
 その通りですね。
 しかし、「政治家の書いた本なんて。まして小説なんて、あり得ない」という色眼鏡を外して、読んでくれるのは、やはり超少数派です。
 そして、読者も少数派です。

「わたしは灰猫」は、6刷で終わりました。
 本がほんとうに売れない、読まれない時代です。
 6刷なら、良い方かも知れません。
 しかし6刷どまりでは、文庫本になったりしないと思っていました。

▼そこへ、意外な、「文庫本にしたい」という知らせです。
 自分の書いた単行本を突き放して読み返し、さらに、扶桑社にあらためて単行本をゲラの形にして刷り出してもらい、一字一句を見直していきました。
 すると、困ってしまったのです。

 隅から隅まで、完成している。
 手を入れる隙が無い。

 そこで、発想を転換しました。
『登場人物のその後を、書き起こそう』と。



▼「登場人物のその後」を、何度も何度も書き直し、同時に、元々の本文にも、ついに最小限度ながら手を入れて、ようやくに完成しました。



▼みなさん、できれば、読んでください。
「わたしは灰猫」を読んで、登場人物のその後にやきもきしてくださった方々も、それから、初めて読む方も。
 作者としては、みずから納得できる、登場人物と一緒に、その先の人生を生き抜く、新たな作品の誕生となりました。

▼読者にとって、僭越な物言いながら、良いことがもうひとつ、あります。
 文庫本ですから、サイズが小さくなった代わりに、値段が安くなりました。

 定価¥968 ( 本体価格:¥880+税10% ) です。
 実はとっくに予約が始まっています。
 たとえば、ここにあります。
 12月22日の発刊です。初版の部数がとても、とても少ないので、宣伝で申すのではなく、お読みになりたい方は予約なさった方が実際に安全かと思います。
 ちなみに、元の単行本は、たとえばここです。

▼久しぶりに、文学の話をできて、愉しかったです。
「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」の発信は倦まず、弛まず続いています。
 今回、ご紹介する最新放送は、これです。
 ずばり、中国の独裁者、習近平国家主席の力の衰えを具体的に述べています。





 
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