On the road~青山繁晴の道すがらエッセイ~

2023-12-24 03:42:29
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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『なぜ、自分で何度も読んでしまうんだろう』



▼これが、「登場人物たちはその後どうなったんだろう」というみなさんの問いへの答えが始まる、ページです。
 何のことか。
 もう、ご存じの方もいらっしゃると思います。
 出版されたばかりの文庫本のうち、「後日譚」 ( ごじつたん。譚とはストーリーのこと ) となる新しい部分、その扉のページです。

▼ここをですね、書いた本人のぼくが、本が出てから何度も繰り返し、読んでしまうのです。
 なぜか。
 はっきりとは分かりません。
 ただ・・・登場人物のその後、特に咲音がどうしているのか、彼らをこの世に生み出したぼくも気になる。
 そんなバカなと思われるかも知れません。
 しかしホントです。

 できれば、あなたも読んでみてください。
「わたしは灰猫 そして、灰猫とわたし」という文庫本です。
 さっそくに読んでくださったかたから「ちいさくて持ちやすくて、親戚にも回せる」という趣旨、「いい感じにつるつるした本の感触がいい」という趣旨の感想が来ていますが、ぼくも同感です。
 中身については・・・「ぐいぐい、思いがけないところへ引っ張られた」という趣旨を言ってくださっています。

 ぼくは本のテーマ、文体、それから「神は細部に宿る」という永遠の金言をもとにした表現、その創意工夫、そして文学的方法論 ( 手法 ) に深く広くこだわり抜く、物書きです。
 この小説では、本編の手法と、後日譚の手法を大きく変えました。一日のうち、もっとも世に動きが少なくなる時間帯、すなわち公務がほとんど無い、午前3時とか4時台に考えに考えた末のことです。
 それはどんな手法なのかも、できれば愉しんでみてください。

 書店に置いてくれているかは分かりません。
 もしも置いてくれていなくても、ネット書店には確実にあります。今のところは。
 発刊前に重版となる、意外な光栄に浴しました。ただ、もともと部数はとても少ないです。

【 ★ 以下は、上記の話が何のことか分からない人だけ、読んでください。
 総裁選への出馬を宣言してから、それからパーティ券事件が起きてから、これまでお前なんてまるで知らなかったけど一体どんな奴か知りたい、という人がほんのわずかにだけ増えましたから、下掲に、すこし記しておきます】

▼ぼくは国会議員となって5年目の秋、一篇の小説を単行本として世に問いました。
 献金を受け取らずパーティ券も売らず団体の支援も受けず派閥の抱え込みも拒み、その代わり、海外出張をはじめ、まつりごと ( 政 ) のコストの多くを、プロフェッショナルな作家の仕事を続けることで賄っています。
 ただし、作家活動を続けるのは、それよりも、青山繁晴というひとりの日本男子の本願です。祈りに似た、自然な行動です。

▼ぼくの作家活動は、ノンフィクション分野と、フィクションすなわち小説、物語の分野の両方にまたがります。
 両分野を合わせてひとつの、ぼくなりの文学です。

 共同通信の記者の時代は、報道機関に属するときの信念として、一冊の本も出しませんでした。
 記者を辞めて、最初は、三菱総研の研究員に転身しました。
 すぐに、ノンフィクション、フィクション、両分野の本を出していきました。
 フィクション・小説の最初は、文學界新人賞の最終候補作となった『夜想交叉路』です ( 賞は落選。他の候補作も落選し、この回の文學界新人賞は受賞作なし ) 。
 この原稿は、落選のため印刷されなかったので、小説第1作とは言えません。

 次に、記者時代に直面した昭和天皇の崩御をめぐる群像を描いた『平成』 ( 文藝春秋社刊。のちに文庫化されるとき書き改めて幻冬舎文庫の『平成紀』 ) を書き上げました。これが実質的に、小説第1作となりました。

 ノンフィクションの本を出しながら、小説第2作に取りかかったのですが、これが難物でした。
「肉体の動きを文章で表現する」という新しい手法を試みたことが、書くのに苦悩した最大の要因です。

 何度も投げ出しながら、諦めはせず、18年4か月を掛けてようやくにして『これ以上は完成度を高められない』とおのれで考える水準まで到達し、扶桑社から単行本として出版されたのでした。
 これが、『わたしは灰猫』という物語です。

▼そして、まだ最近のことです、扶桑社の編集者から「文庫本化します」と連絡がありました。
 ふつう、自作が文庫本になるとき、作家は書き直したりしません。
 しかし、わたしは文庫本でも新書でも、必ず書き直します。
 別段、完璧主義ではありません。読者の立場になれば、作品が新しく前進したところをお読みになれば愉しいのでは・・・と思うからです。

 ところが、『わたしは灰猫』は、書き直すところがほとんどありません。
 それでも、公務に明け暮れる毎日のなかで、午前3時から4時台ぐらいに何度も読み直し、すこし手を加えることができました。
 しかし物足りません。
 読者からすれば、ノンフィクション分野のぼくの最新作、新書の『戦 TELLーALL BOOK』と違って、新しいところが少ないのではと懸念しました。
『戦 TELLーALL BOOK』も、元は単行本の『ぼくらの哲学』を新書化するにあたって、全面的に書き直したものです。
『戦 TELLーALL BOOK』は、最後の最後に、マサカのタブーに踏み込んでいます。



▼『わたしは灰猫』についても、新しい覚悟を決めるべきだと考えました。
 この小説は、余韻をもっともたいせつにしたのです。
 少年時代にたくさん読んだヘミングウェイの小説の余韻が胸の奥にいつまでも残っているからです。
 その余韻をあえてぶち破って、後日譚を書く。
 そう覚悟を決めて、生み出したのが、『そして、灰猫とわたし』なのです。
 それを加えて、下掲の、新しい文庫本が誕生しました。



▼文庫本は安価です。
 しかし有償です。

 無償の発信も、主権者のみなさんのために、ずっと続けています。
 日本の安全保障を高めるために自主・自費の海外出張に出ていましたから、「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」の本編の次回収録は、12月27日になります。
 しかし、すこしでも、みなさんの情報の空白をつくらないように、19歳の学生インターン、増野優斗くんの凄い努力と、三浦麻未公設第一秘書の安定した努力と、帰国翌日の疲れを克服する、ぼくのささやかな、ほんのひとカケラの努力で、スマホを使ってショート動画を撮りました。
 いつもの撮影クルーは不在だったので、画質は落ちますが、よろしければ視てください。1本あたり20秒から30秒くらいですから。

▼ぼくのことを何もご存じなかった方のために、最後に記しておきます。
 上記の『わたしは灰猫』のあと、印刷されないまま埋もれていた『夜想交叉路』という小説について、ぼくの恩人の編集者である田中亨 ( すすむ ) さんという人が「本にして、世に出すべきです」と言ってこられました。
 最初は、え、マジ ? という反応です。

 しかしとりあえず、パソコンの中に残っていた原稿を渡しました。
 読んだ田中さんは、かなり昂奮されたと記憶しています。
 それに励まされて、全面的な改稿に取り組みました。
 またしても、時間と眠気との戦いです。
 そして、世に出ました。まったくの新版の『夜想交叉路』です。


▼そして今、いわば責務として、ノンフィクション分野の次作に取り組んでいます。
 これも何度も、何度も、投げだした原稿です。

 仮題は『総裁選ヲ解放スル  わたしの接したもうひとりの安倍総理』です。あくまで仮題です。
 この原稿に苦吟する理由は、安倍さんがわたしに赤裸々に語った月旦 ( げったん。人に対する評価のこと ) を実名で、そのまま、書いていいのかどうか悩むからです。






 
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