2024-01-16 00:08:55
この日時は本エントリーを書き始めた時間です
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【書き加えました】 現地時間のきのう日曜は、愕然としつつ投げず諦めず戦い、きょう月曜は、長いよき連帯を確認しつつ戦いました
( これはフランスのノルマンディ地方の朝焼けです。こんな早朝に動かないと、日程をこなせません。
ことしの欧州の冬は、物凄く寒いです。
そのうえフランスの国鉄の特急に乗っているとき、窓のすきまから風がどんどん入ってきて、喉がやられました。
しかしきっと回復します )
▼現地時間1月14日の日曜は、フランス北部の古都ルーアンで、フランス政府ではなく日本政府の現実に直面しました。
その「現実」とは何か。
具体的には申しませぬ。個人攻撃はしないからです。
しかし・・・
緊急の事態に、まったく考えられないほど何の対応もできない。小学生でも分かる、行動できることを、日本政府の当局者たちが考えない、身動きできない、いや身動きしない。
さらに、恐ろしいほどの怠慢もある。
意外に思う人も居るかもしれません。
たとえば「緊急事態に弱いのは想像がついても、怠慢ってあるのかなぁ」って。
さまざまな温室も用意されている日本から出ると、言葉を喪うような、日本の行政官・官僚の裸の現実に向き合うことになります。
これまで、民間専門家の時代も、現在の国会議員の時代も、日本政府と向き合ってきました。だから慣れっこと言えば慣れっこですが、これほど酷いのは初めてだと思います。
▼しかし看過しないで、政府側に、深夜まで助言、諫言、提案を致しました。
ジャンヌ・ダルクが火刑に処せられた地、ルーアンの日曜の夜は、ほんとうに寒かったです。
▼翌朝、まだ真っ暗なうちにルーアンを出発。
ここでまた政府の失態に直面しつつ、ノルマンディの海岸に面した原子力発電所へ向かいました。
そうです、先の大戦のあのノルマンディ上陸作戦のあった壮大な海岸です。
15世紀のジャンヌ・ダルクの時代には、その海から、イギリスの理不尽な侵略軍も上陸してきた地です。
▼フランスの原発に、高度に武装して常駐する国家憲兵隊、その突撃部隊の指揮官です。
国家憲兵隊とは、長年、議論してきました。
その実績があるために、今回、なんとわたしたちのために実働で、すなわち装甲車や突撃兵、狙撃兵を実際に動かして対テロリスト戦闘と原発防護のシミュレーションを展開してくださいました。
深く感謝しつつ、そのあと、兵のひとりひとりと言葉を交わし、許可を得て、狙撃銃をはじめ各種の武器を調べ、防弾服を調べ、武器を持ち、非常に重い盾を持つことを実際に体験して調べました。
その写真は一切、撮ることができません。
上掲の写真は、それらが全て終わって、まもなくお別れする時です。
人柄のよい指揮官殿は、まだ緊張が完全には解けていない感じもあります。
▼うしろの海が、ノルマンディの英仏海峡です。
そのなかでいちばん狭い、つまり英国とフランスが近いのが、有名なドーバー海峡ですね。
この右手には、原発の広大な構内が広がっていますが、それは写真を撮ることができません。
ここから、かつてはイギリスの侵略軍が上陸してフランスに広大な占領地をつくり、それを解放するためにオルレアンの乙女とも呼ばれたジャンヌ・ダルクが戦い、そして19歳で火あぶりとなったのでした。
また第二次世界大戦では、そのイギリスも加わった連合軍が、フランスをナチスドイツによる占領から解放するために、この海岸線から上陸してきました。ノルマンディ作戦です。
英仏海峡の海は、想像以上に荒々しく、歴史の息吹が生々しく伝わってきました。
▼ぼくの左は、政府系のフランス電力 ( EDF ) の幹部ブルーノさんです。
去年、パリでEDFと議論したとき、突如として、「私は以前からあなたのファンです。本の愛読者でもあります」と英語で仰いました。
しかし日本語はおできになりません。ぼくの著作のなかでは唯一、英語のネット版が出版されている「ぼくらの祖国」をお読みになったのかもしれません。
ぼくに同行していて、この写真も許可を得て撮ってくれた独立総合研究所のヘイワース美奈・研究員によると「なんか、もっともっとファンですよ。単なる読者じゃありません」ということだそうです。
うーむ。よく分かりませんが、この日もわざわざパリから来てくださり、ずっと笑顔でした。
そして、なんとこのブルーノさんが、フランスの原発に常駐する国家憲兵隊のための予算を決めているそうです。
その隣は、EDFのセキュリティ担当幹部です。
▼とにかく、多くの人と直に話し、議論します。
その行動が、日本の安全保障の向上に繋がります。
▼この日々にも、いつも通り、「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」の動画を無条件で公開しています。
出発前のギリギリの日程のなかで、どうにか収録しました。
最新分は、これです。
自由民主党の総裁選への出馬する立場で、なぜ小説を書き続けるのか、その理由、その根っこをお話ししています。このテーマは初めてですね。
▼そのノルマンディから,かなりの時間をかけてルーアンに戻り、強烈に寒い風の吹き込む列車に乗って、パリのサン・ラザール駅へ着きました。
しかしパリを歩く時間はゼロ、そのサン・ラザール駅から直に、写真のパリ北駅へ向かいました。
パリ北駅は、フランスとイギリスを海底トンネルで結ぶユーロスターのフランス側の出発点です。
ユーロスターに乗るのは久しぶりでした。
重い荷物2つと悪戦苦闘しながら、ユーロスターでロンドンに着きました。
そのロンドンも歩く時間はゼロ。
ロンドンからすぐ、3時間ちかくを掛けて北海に面したサフォークに辿り着きました。
正直、疲れました。
今、田舎の古いホテルに泊まっています。
数時間あとの早朝には、今度はイギリスの原子力発電所へ出発します。
この旅は、いつもの海外出張と同じく、民間の専門家時代も今も、個人的利益は皆無です。
それが、ささやかな生き方です。